· 

現代日本の安全保障とマス・メディア7

第2章 1976年 旧・防衛計画の大綱の成立の背景

 

 1976年(昭和51年)に制定された防衛計画の大綱は

 

「わが国が保有すべき防衛力としては、安定化のための努力が続けられている国際情勢及びわが国周辺の国際政治構造並びに国内諸情勢が、当分の間、大きく変化しないという前提に立てば、防衛上必要な各種の機能を備え、後方支援体制を含めてその組織及び配備において均衡の取れた態勢を保有することを主眼とし、これをもって平時において十分な警戒態勢をとりえるとともに、限定的かつ小規模な侵略までの事態に有効に対処し得るものを目標とすることが最も適当」(注1)

 

としている。

 

「限定的かつ小規模な侵略まで」に対応する防衛体制を整えることをもとめている。

 

しかし、この「限定的かつ小規模な侵略まで」に対応するというものは、1970年代中盤の東西冷戦デタント傾向期の、東側勢力が軍拡にむかっていないという間違った認識のもとで、現状の防衛力を確保するものであった。

 

情勢の変化に対しては言及されておらず、非常に硬直的な政策であった。

 

もっとも、これは基盤的防衛力という最低限必要な防衛力ということであるから、情勢の変化は、好転してもこれ以上防衛力を低下させることはできず、情勢が悪化した場合には、それに相応して防衛力を整備することが必要であるはずであった。

 

しかし、現実は、この必要最低限必要な防衛計画の大綱に示された防衛力整備に動くことが難しく、さらに必要最低限の防衛力すら削減する方向で政府部内一致したこともあった。

そのうえ、1976年(昭和51年)の三木武夫内閣は防衛予算をGNP(国民総生産)の1%以下にすることを閣議決定した。これは情勢が悪化した場合には対応できないことを決定づけるものであった。この防衛予算をGNPの1%にするという閣議決定は、当時の防衛予算がGNPの1%弱であったことから、ただ単にそれを延長したものであり、情勢の変化や必要最低限の防衛力の整備はまったく考慮されずに決定されたものであった。

 

特に三木首相は、田中角栄政権のロッキード事件、疑獄事件によってイメージの悪化した自民党において、「クリーン三木」をスローガンに総理・総裁となった人物であった。そのため、「クリーン」なイメージの政策を打ち出す必要があり、「クリーン」なイメージではないと考えられた防衛関係の政策には無関心、消極的で、「クリーン」に相応しい、軍縮イメージを打ち出そうとしていた。

 

それが防衛予算のGNP1%以内の閣議決定であり、その他にも「クリーン」に相応しいと考えられた政策が打ち出された。1976年2月27日に三木政権政府統一見解として、輸出貿易管理令に示されている「共産国むけの場合、国連決議により武器等の輸出が禁止されている場合、国際紛争中の当事国またはそのおそれのある国向けには輸出してはならないことになっている」の武器輸出三原則対象地域への輸出禁止に加え、

 

「 三原則対象地域についての武器の輸出を認めない。

  

三原則対象地域以外の地域については、憲法及び外国為替及び外国貿易管理法の精神にのっとり、武器の輸出を慎むものとする。

  

武器製造関連設備の輸出については、武器に準じて取り扱うものとする。     」

 

 

を、発表した。(注1)

 

武器輸出三原則地域はともかく、そのほかの地域、特に同盟国、友好国、遠方の国に

対する武器輸出の自粛は、日本の国家戦略、防衛政策、国家安全保障、経済安全保障に重大な影響を及ぼした。その例は、生産量が少ないことから生じる国産兵器の価格高騰、開発費抑制のための国際共同開発参加が不可能である、コンバット・プルーブンと呼ばれる実戦による兵器の実用性の証明確認ができない、仮想敵国への牽制手段の放棄などである。

 

しかし、この「武器輸出三原則に関する政府統一見解」はザルともいえるものであった。川崎重工業で生産されたKV-107中型ヘリコプター(定員25人)は、サウジ・アラビア軍、サウジ・アラビア国家警備隊などに軍用として輸出され、ソニーのテレビ・カメラはアメリカ軍が使用するテレビ映像誘導空対地ミサイルに使用され、川崎重工業の大型オフロード・バイクもアメリカ陸軍・海兵隊の制式偵察バイクに採用された。その他、数多くの電気機器、電子部品がマクドネル・ダグラスF/A-18ホーネット戦闘攻撃機に使用された。そのうえ、武器製造に必要な大阪機工、森精機、富士通ファナックなどが生産する工作機械、NC旋盤、マシニング・センタなどの武器製造関連設備も兵器製造を目的としてアメリカをはじめ、西側各国の防衛企業に輸出され、使用された。また、日本製のトラック、トレーラー、ピック・アップ・トラックやスポーツ・ユーティリティ・ヴィークルがスペインをはじめ数多くの国の軍に制式採用され、紛争に使用された。さらに、石川島播磨重工業が建造し、民間使用としてソ連に売却された大型浮きドックが、敵国のソ連海軍艦艇に使用されるなど、適当な法運用にもほどがあった。

単に「クリーン三木」の演出に利用されただけの感があり、日本の国益をかき乱したに過ぎなかった。しかも、それは現在も継続されており、その悪影響は非常に甚大である。

 

さらに三木政権はテロリズムに対しても一方的譲歩の姿勢をとり続けた。

 

それまでの日本のハイジャック解決策は「引き分け戦術」であった。「引き分け戦術」とは、犯人の要求には一切応じないが、強行解決もはからず、犯人を第三国に逃亡するのを容認するというものであった。

 

しかし、三木首相は、この「引き分け戦術」に対しても反対し、犯人の要求には前面屈服し、身代金を支払ったうえ、さらに「超法規的措置」により、収監中の犯人を釈放するという、テロリスト、犯罪者に金を渡した上に、罪を償わせることなく、自由の身にし、さらなるテロリズムを誘発させることを事実上、容認したのであった。

 

このような背景の下で成立した昭和51年の防衛計画の大綱は、平成8年(1996年)に成立する新・防衛計画の大綱まで、国際情勢の激変にもかかわらず、なんら変化することなく継続され、さらにはそこで定められた必要最低限の所要防衛力を満たすことはなかった。