· 

現代日本の安全保障とマス・メディア9

第3章 1976年 旧・防衛計画の大綱における防衛力 陸上自衛隊2

 

 

装備は、普通科部隊にはアメリカ軍供与のM1カービン、M1ガーランド・ライフル、M3グリース・ガン短機関銃、M1919軽機関銃、M1918ブローニング・オートマティック・ライフル(BAR、自動火器)などが数多く残っていたが、1960年代に入り、徐々に近代化が始まった。

 

豊和工業64式7,62mm×51口径小銃、住友重機械工業62式7,62mm×51口径機関銃の配備が非常にゆっくりと進んだ。1967年からはオリーブ・ドラブ1色であった作業服から、迷彩作業服の採用がはじまり、1976年には長年、大蔵省に却下されていた個人化学防護装備の採用が認められた。

 

さらに、1970年代末からは5,56×45mmライフル弾、9mm×19拳銃弾の採用が検討され始めた。これは、7,62mm×51ライフル弾は反動が大きく、フル・オートマティック射撃に適していないため、アメリカ、NATO諸国が5,56mm×45ライフル弾使用小銃に切り替えていったことに呼応している。

 

同じく拳銃もNATO諸国が9mm×19拳銃弾の採用を始めたことによるものだった。日本もその潮流に逆らえず、新装備に踏み切った。5,56mm×45ライフル弾使用の豊和工業89式小銃、ファブリック・ナショナール(FN)社MINIMI機関銃の配備が徐々に進められた。

 

同様に拳銃もコルトM1911A1 45ACP口径(11、43mm×23)拳銃からSIG SAUER(シュバイツイッシュ・インダストリー・ゲゼルシャフト・ザウエル) P220 9mm×19口径自動拳銃に切り替えられた。

 

普通科部隊および後方支援部隊などの移動手段も確立されていった。普通科、歩兵の文字にふさわしく歩くことが主であった普通科部隊が自動車化されていった。三菱自動車工業73式小型トラック、トヨタ自動車73式中型トラック、いすゞ自動車73式大型トラック、三菱自動車工業74式特大型トラックと急速に普通科部隊の移動手段が高速化していった。しかし、アメリカ、ヨーロッパなどの西側諸国の歩兵部隊が機械化、装甲化、空中機動化しているのに比べ、日本の陸上自衛隊の大半の部隊の移動手段が非装甲のトラックおよび徒歩であると、脆弱性は否定できなかった。

 

しかし、ソ連の侵攻が危惧された北海道の部隊には最優先で機械化が非常にゆっくりとすすめられた。既存の三菱重工業60式装甲車(428両)に加え、三菱重工業/小松製作所73式装甲車の配備が進んだ(約338両)。しかしここでもまた諸外国の機械化比率より大幅に下回ったもの(約半分)であることは否定できなかった。

 

各師団の戦車部隊は61式戦車が主流であったが、1973年度最末期に制式化された74式戦車が第7師団から優先的に配備されていった。1960年代から始まった第2世代戦車の最後発で、最後発の強みを生かし、信頼性の確立されたイギリス・ヴィッカーズL7 105mmライフル砲を装備し、40mmAP弾対応の装甲、レーザー測距儀、アクティヴ赤外線暗視装置・赤外線投光器などセンサー類も最新のものを採用するなど当時としては最高の性能を誇った。しかし、配備のスピードは遅く、なかなか旧型戦車を置き換えるに至らなかった。

 

1977年のドイツ・レオパルド2戦車を皮切りに、パッシブ赤外線暗視装置、レーザー照準装置、デジタル・コンピューターなどの最新センサー演算装置や、チタニウム合金、セラミック、アラミド繊維などを使用し、飛躍的に防御力の向上した複合装甲(運動エネルギー120mmAPFSDS弾、化学エネルギーHEAT弾対応)と、西ドイツのラインメタル製120mm滑腔砲を装備する第3世代戦車が1980年に入って急速に普及したため、74式戦車の陳腐化は避けられなかった。しかし、それなりに74式戦車の存在は、陸上自衛隊の要として日本の防衛力に貢献した。

 

火砲の配備も進んでいった。小松製作所/日本製鋼所75式自走155mm榴弾砲が201輌、ゼネラル・ダイナミクス/三菱重工業M110A2 203mm自走榴弾砲が91輌、ヴィッカーズ・シップビルディング・アンド・エンジニアリング・リミテッド、OTOメララ、ラインメタルなど英・西独・仏・蘭・伊の国際共同開発のFH-70 155mm榴弾砲が477門と火力の増強が進んでいった。

 

各師団飛行隊、各方面隊航空隊の航空機の配備はベルUH-1B/Hイロコイ・HUEY汎用ヘリコプター、マクドネル・ダグラスOH-6Dカイユース観測ヘリコプター、ボーイング・ヴァートル/川崎重工業KV-107(CH-46 シー・ナイト)中型輸送ヘリコプターに加え、1979年にはベトナム戦争で有効性が確立されたベルAH-1S(AH-1F)ヒューイ・コブラ攻撃ヘリコプターが対戦車ヘリコプターとして導入が決まり、日本の対戦車能力、対地攻撃能力が飛躍的に向上した。

 

さらに1984年からはKV-107中型輸送ヘリコプター(定員25人)に代わりボーイングCH-47Jチヌーク輸送ヘリコプター(定員50人)の導入が始まった。これによって、輸送能力は飛躍的に向上し、効率的な運用が進んだ。しかし、他の西側諸国と比較して、空中機動能力が未だ低いことは否定できない。

 

防空能力としては全般防空に8個高射特科群にMIM-23ホーク地対空ミサイルが配備されていたが、アメリカでのMIN-23インプルーヴド(改良)・ホーク地対空ミサイル配備同様、日本もホーク地対空誘導弾を近代化改良し、三菱電機が改ホークを開発、防空能力の向上に努めた。

 

さらに、東芝81式短距離地対空誘導弾システム(81式短SAM)を導入し、各施設や師団防空能力を強化している。部隊防空にはL90 35mm機関砲とともに、アメリカからFIM-92スティンガー携帯地対空ミサイルを輸入、配備するなど飛躍的に防空能力が高まった。

 

1980年代後半に入ってからは、日本も他の西側諸国の戦力に追いつき始めた。威力偵察に使用される小松製作所87式偵察警戒車、連隊防空用に高性能レーダーを搭載し、対空用エリコン社製35mm機関砲を装備する三菱重工業87式自走高射機関砲が配備された。そしてエリコン35mm機関砲と79式対戦車ミサイルを装備し、乗員3名・歩兵7名を収容する日本初の歩兵戦闘車である三菱重工業89式装甲戦闘車を導入、配備した。

 

 

戦車においては、複合装甲とパッシブ赤外線暗視装置、デジタル・コンピューター、赤外線レーザー距離測定装置、西ドイツのラインメタル製120mm滑腔砲を装備する第3世代戦車の三菱重工業90式戦車の配備が始まった。