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現代日本の安全保障とマス・メディア80GSG9とSAT

一方で1977年10月に発生したルフトハンザ・ボーイング737機がPFLP(パレスチナ解放人民戦線)にハイジャックされた。犯人のテロリストは、ヨーロッパ各国に収監されている西ドイツ赤軍派(RAF)とPFLPのメンバーの釈放、身代金900万ドル(約15億円)を要求した。こうしたテロリストの要求に対し、西ドイツ政府は要求拒否を決断した。

 

パイロットを殺害したテロリストが陣取るソマリア・モガディシオ空港に指揮を執る総務長官と、対テロ特殊部隊である内務省国境警備隊第9部隊(GSG-9、現・連邦警察庁GSG-9)を派遣する。

 

イギリス陸軍特殊空挺部隊(SAS)の支援のもと、スタン・グレネードを使用、H&K MP5機関拳銃で犯人の無力化に成功、3人を射殺、1人を逮捕した。日本の警察庁首脳は事態を重視、西ドイツに幹部を派遣、GSG-9設立の経緯と運用を調査した。

 

GSG-9は1972年のミュンヘン・オリンピックでイラク・バグダッドを拠点とするパレスチナ・ゲリラ「黒い9月」によるイスラエル選手団人質、殺害事件の反省から発足した。

当時の西ドイツでは、基本法(憲法)により、北大西洋条約機構域外に連邦軍を派遣できなかったことから、全世界に隊員を派遣できる国境警備隊に対テロ特殊部隊を設立することになった。このことは憲法なども政治的制約により、自衛隊の運用が厳しく制限されている日本において、非常に参考になった。

 

GSG-9は、第二次世界大戦からコマンド部隊を運用し、マラヤ、ギリシアでの共産主義ゲリラ掃討、北アイルランドでの暴徒鎮圧とIRA(アイルランド共和軍)への対テロ戦、家屋強襲群設置を実施した経験のあるイギリスSAS(特殊空挺部隊)に国境警備隊のヴェーゲナー中佐を派遣、対テロ戦闘のノウハウを学んだ。

 

1977年10月末、警察庁は警視庁警備部第6機動隊に極秘裏に「第7中隊」(「特科中隊」)を編成、肉体的、頭脳的、精神的に優れた警察官から60人を選定し、対テロ特殊部隊を編成した。また、1977年12月には大阪府警察警備部第2機動隊に「零中隊」を編成、警視庁と同様に優秀な人員40人で編成される対テロ特殊部隊を編成した。これら対テロ特殊部隊は、GSG-9、SASなどから対テロ作戦を学び、徐々に実力をつけていった。(注3)