日本の国家安全保障とマス・メディアに関する論文です。

「日本の国家安全保障」

90年代

田中大介

 

 

 

  日本の国家安全保障 

           90年代

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     田中大介

 

 

 

  ソ連弱体化・崩壊後の日本の安全保障

 

 

 1985年、ゴルバチョフ政権が誕生したソ連は、中距離核戦力全廃に合意し、雪解けムードが漂った。しかし、1987年のソ連の戦力は正規軍500万人、予備役5500万人という強大なもので、装備もT-72戦車、T-80戦車など新世代戦車やミコヤンMiG-29戦闘機をソ連と衛星国、友好国に配備する質の高い軍事力を誇っていた。

 

冷戦終了

 

アンドロポフ、チェルネンコと続いたソ連の書記長は強硬路線が続いたが、ゴルバチョフになって西側自由主義陣営の前に屈することとなった。石油価格の暴落により経済力が落ち、西側勢力に張りあって強大化させた軍事力を支えきれなくなっていた。ゴルバチョフはペレストロイカ、グラスノスチと融和政策を打ち出してきた。これにより西側自由主義陣営はゴルバチョフを持ち上げ平和の訪れを期待したが、それは幻想にすぎなかった。 

中国の共産主義独裁と拡張主義は続き、そのほか数々の独裁政権は存在し続けた。さらに1990年8月のイラクのクウェート侵攻にはじまる地域紛争の増加で、その期待は砕かれた。しかしながら各国政府、財界、マス・メディアは独裁政権の圧制を黙認し、新たなる市場として利用する。

ジョージ・H・W・ブッシュ大統領はアメリカ主導の世界管理、グローバリズム「新世界秩序」を掲げた。しかし、民族浄化がおこなわれ、情勢が悪化するボスニア紛争に対しては、セルビア共和国が支援する精強なセルビア人勢力と対峙するのに躊躇した。

平和維持活動への貢献を迫られたアメリカであったが、ローレンス・イーグルバーガー国務長官は、危険なボスニアを避け、安全そうなソマリアを国際貢献の場として選択した。 

ソマリア平和維持活動UNOSOMⅡに参加したアメリカだったが、非装甲のM998ハマー高機動多目的装輪車輌のみの治安維持活動は、ソマリア現地武装勢力の持つ自動小銃の格好の的となった。結局、LAV-25装甲車とベルAH-1W攻撃ヘリコプターが護衛する大コンボイ編成での移動を余儀なくされる危険な地域紛争で、アメリカ軍兵士の死は続き、撤退することとなる。

このような中で日本は、中東から石油を大量に輸入しながら湾岸戦争に参戦しなかったためにアメリカを中心に叩かれ、申し訳程度に遅刻するかたちで停戦後に機雷処理に駆けつけ、国際貢献という大義に脅かされながらカンボジアPKOに参加した。参加させられた陸上自衛隊施設大隊は過激なポル・ポト派の攻撃可能性のもと、非装甲トラックのみで派遣させられ、銃は64式小銃のみ、しかもその銃は空マガジン(空弾倉)しか装着が認められず、戦闘に巻き込まれなかったのは不幸中の幸いであった。

 1980年代前半の日米防衛摩擦は、1980年代後半からは日米貿易摩擦となり、日本にはアメリカ側の理不尽な要求が突きつけられた。スーパー・コンピューターの一方的な押し付けがあった。アメリカのクレイ・リサーチ製スーパー・コンピューターの導入を求めてきたにもかかわらずアメリカは日本製スーパー・コンピューターを「国家安全保障上の理由」で輸入採用を拒んだ。

政府購入電子機器は従来からアメリカより日本のほうが外国製品を購入していたが「閉鎖的」、「非関税障壁」との理由でさらなる購入を強いられた。自動車は過去の外資参入規制のツケがまわってきたのか、日本の自動車会社が「自主的」という名目の強制でアメリカ製部品を購入させられた。トヨタ自動車はゼネラル・モーターズ社シボレー・ブランドの中型車シボレー・キャバリエを自社の販売網で売らされることになった。

それでも満足できないアメリカ野党の民主党はトヨタ自動車のレクサス、日産自動車のインフィニティ、本田技研工業のアキュラという高級ブランドが事実上輸入不可能になるほどの高率の関税をかける提案をおこなった。 

輸送中に割れやすいため世界的に輸出・輸入の少ない板ガラスにおいて、日本は板ガラスを輸入していないと批判、閉鎖的な市場と批判された。

また、日本の公共事業にアメリカ企業が食い込むべく、関西国際空港建設などへの参入の要求や、公共事業自体の拡大とそれにともなうアメリカ企業の参入をもとめてきた。

 さらに防衛分野でもアメリカの追い込みは続いた。FSX(次期支援戦闘機)では当初日本は、エンジン以外は国産を予定していた。エンジンはゼネラル・エレクトリックF404ターボ・ファン・エンジンをライセンス生産する予定であった。アメリカからもゼネラル・エレクトリック、ユナイテッド・テクノロジーズ(プラット・アンド・ホイットニー)からターボ・ファン・エンジンの売り込みがはかられた。

しかし、アメリカの国防省、空軍には日本が戦闘機を国産することに異論があった。日本が国産戦闘機製造できるようになるとアメリカ離れをおこす、日本が吹聴している技術力による戦闘機はアメリカを凌駕することになり危険である、などだった。

結局、紆余曲折の末、ゼネラル・ダイナミクスF-16ファイティング・ファルコン戦闘機をベースとする日米共同開発となった。安全保障でアメリカに頼っているため受け入れざるを得なかった。開発比率は日本60%、アメリカ40%となった。

しかし、アメリカでは元商務省高官、三極委員会(名誉会長:デイヴィッド・ロックフェラー、歴代会長はヘンリー・キッシンジャー、ズビグニュー・ブレジンスキーなど)スタッフである経済戦略研究所(ESI)所長のクライド・プレストウィッツが、

「日本はアメリカの航空機技術を盗もうとしている、アメリカの市場を脅かす」

とFSX共同開発論反対を訴え始めた。

プレストウィッツの主張は日米貿易摩擦のネタに飢えている議会で重宝され、FSX計画は妨害された。さらにプレストウィッツと議会のFSX反対に後ろ盾を得たゼネラル・ダイナミクスは日本に技術を供与するという契約に反し、日本へのフライ・バイ・ワイヤ技術のソース・コード供与を拒否した。

これによって計画は大幅に遅れ、開発費は高騰した。日本は安全保障をおざなりにしてきたツケを払わされることとなった。安全保障という直接的には経済につながらないものに手をぬいたばかりに、経済でも大きな被害を被ることになった。

 日本は経済分野で包囲網をしかれ、軍事的にも苦境に陥ることになるのだが、日本の政治家、官僚、メディア、学者、研究者、国民はどう行動していくのか、検証していく

 

 

 

 

新冷戦と日本の安全保障

 

 

 

第1章 55年体制の崩壊と連立政権の誕生による防衛政策

 

 1987年、就職情報誌「リクルート」、転職情報誌「とらばーゆ」などを発行する出版社リクルート社の関連不動産子会社リクルート・コスモス社の未上場株式譲渡をめぐる政治疑獄は政治資金問題に発展し、政治資金問題だけにとどまらなかった。多額の政治資金を必要とする選挙制度、中選挙区制(1選挙区から多数の被選挙人を選ぶ)に問題があるという議論になり、新たなる選挙制度を模索する事態に至った。自由民主党の最大の派閥・竹下派(経世会)の小沢一郎氏、羽田孜氏らは小選挙区制(1選挙区から被選挙者1人を選ぶ)を採用するよう強く主張した。しかし、自民党総裁・宮沢喜一氏ら自民党執行部、竹下派の大多数は、選挙制度改変は断念し、他の手段による政治改革を目指した。このことに反発した小沢氏や羽田氏は経世会・竹下派を離れ、21世紀へ向けて政治改革をめざす少数派グループ「改革フォーラム21」を結成し、目指すとメザシをかけメザシを食べる駄洒落パフォーマンスで小選挙区制を主張した。

 6月13日、野党は衆議院において内閣不信任案を提出した。自民党は過半数を握っており、本来ならこの不信任案は否決されるはずであった。しかし小沢氏、羽田氏らのグループが議会を欠席し、不信任案は成立した。宮沢喜一内閣は衆議院を解散し、総選挙にうってでることとなった。6月23日小沢氏、羽田氏らは自民党を離れ、新生党を結成、また武村正義氏らの自民党所属グループも自民党を脱党、新党さきがけを結成した。

 選挙は自民党が過半数を握るかどうかの激戦となり、空前の政治改革連呼選挙となった。

結果は自民党が223議席と過半数を割るものとなり、久々の連立政権が模索された。また、常に自民党の半数の議席を確保していた第一野党・社会党は、第一野党の座はかろうじてまもりきったものの、140議席から70議席へと議席を半減させるという敗北となった。一方で新生党は現役30議席に満たなかったところから一気に56議席を獲得、発言力をいっそう強いものにした。

 よみうりテレビの選挙速報臨時特別番組でのインタビューにおいて神戸大学教授の五百頭旗真氏が、自民党が苦境の中、比較的善戦したことについて「残念」そうな表情を出し、白鳳大学の福岡政行教授も「皆さんの力で日本の政治を変えましょうと」と呼びかけ、自民党に批判的態度をとるなど、自民党が最大議席を穫得しながら自民党主導の政権誕生は困難な情勢となっていた。こうした状況下で自民党は日本新党、新党さきがけとの連立を目指し協議に入っていたが、自民党批判の空気を読み取った両党は協議を打ち切り、結局は破談となり、非自民党連立政権が決定的となった。そして、自民党批判の空気を感じ取っていた議員が続々と自民党を離れた。竹下派の有力政治家・橋本龍太郎氏と同じ選挙区で長年のライバル関係であった加藤六月氏や、太田誠一氏、西岡武夫氏など有力議員が沈没する船から逃げ出すネズミのように、自民党を離れ新生党へと入党した。こうして非自

民連立政権は誕生した。内閣総理大臣は「政治改革」の顔で、細川ガラシャの子孫、近衛文麿の孫という「政界のプリンス」として世論、マス・メディアにおいて人気の高かった細川護煕氏となった。側近の官房長官には新党さきがけ党首の武村正義氏が就任した。

 細川政権は政治改革、特に選挙制度改革を目的に結集した連立政権であった。連立政権与党第一党の社会党(議席数70)と野党第一党・自民党(議席数220)の数の力に配慮した政権運営を強いられた細川政権は妥協を迫られた。自民党の主張する小選挙区400議席、比例代表100議席の計500議席の案と、社会党の主張する小選挙区250議席、比例代表250議席の案が対立した。細川政権は自民党、連立政権与党との協議で小選挙区300議席、比例代表200議席の計500議席という小選挙区比例代表並立制で妥協し、衆議院の選挙制度改革、政治改革は一応の決着がついた。この時点で細川連立政権の存立理由はなくなっていた。その理由は、政治改革、選挙制度改革決着以外にこの細川連立政権の共通目標、共通政策はなかったあらである。国連主導の国際貢献活動を目指し、自衛隊の海外派遣に積極的な新生党と、自衛隊を憲法違反とし、廃止したうえに、日米安全保障条約も破棄し、非武装中立を主張する社会党が連立政権内で主導権争いを行っていたからである。国家の基本政策である安全保障政策において180度正反対の政党を抱え込む政権は明らかに野合であった。しかし、細川首相は政権維持に奔走し、政権存在意義として安全保障、防衛政策に活路を見出し、左翼イデオロギーに基づく大幅な政策変更を思いついた。

 細川首相はソ連の崩壊から自衛隊による防衛や、軍事力による抑止そのものの意義が下がったと安易に考え、自衛隊の縮小、日米同盟の弱体化を考えていた。このことは後の細川の論文で(1998年のフォーリン・アフェアーズ誌)であきらかになる。(注1)しかし、その考えは適切であったのか。ソ連は崩壊したが、不安定な状態は続いていた。中国が軍事費を増大させ、軍事力を大幅に増強し、北朝鮮のミサイル開発、核開発は進展し、特殊部隊・工作部隊の日本国内への浸透は継続されていた。一方で、湾岸戦争における多国籍軍による強制的平和執行活動、カンボジアにおける国連平和維持活動など、国際秩序維持軍事作戦、国際貢献活動、国連による平和維持活動に対応する必要が生じてきていた。

 細川政権は平成6年度(1994年)予算の一般歳出を前年度比伸び率2,3%増加としたが、防衛費の伸び率は、緊迫する東アジア情勢、日本に向けてのあからさまな軍事的示威活動の存在にもかかわらず0,855%増加におさえ、軍縮傾向政策を鮮明にした。        

また、細川は1976年(昭和51年)に策定された防衛計画の大綱を新たなものに改訂しようと画策した。そのために設置されたのが細川首相の私的機関である防衛問題懇談会である。(注1)防衛問題懇談会は防衛には素人のアサヒビール会長の樋口廣太郎氏を座長に、政治評論をする秩父セメント会長の諸井文氏を座長代理に任命し、委員はリベラル派の青山学院大学教授の渡辺昭夫氏、反軍・軍縮・平和、融和妥協外交と防衛省昇格反対を主張する上智大学教授の猪口邦子氏、外務次官を勤めた経済団体同友会顧問の大河原良雄氏、防衛力増強に反対し、トン制限など防衛政策に規制を強いてきた大蔵省の元・財務官の行天豊雄氏(東京銀行顧問)、日本電信電話株式会社(NTT)特別参与で元・統合幕僚会議議長の佐久間一氏、リベラル派の東京海上火災顧問で元・防衛次官の西広整輝氏、神戸製鋼所副会長で元・通商産業次官の福川伸次氏が任命された。安全保障、防衛の専門家ではなく、関心も低く、防衛力整備に否定的なメンバーが多く選ばれた。

審議は1994年2月28日に第一回会合を開き、1994年8月12日に報告書を完成させた。報告書は、多角的な安全保障協力をメインに、日米安全保障協力関係の機能充実、信頼性の高い効率的な防衛力の維持と運用など、ありきたりな提言している。その具体的な内容はコンパクト化という情勢判断を見誤った提言、ごくありふれて当然である機動力向上、海上交通輸送路の防衛、テロ、弾道ミサイル防衛、そして国連平和維持活動、平和維持軍凍結解除など時流に乗ったもの、安全保障対話の推進、アメリカとの政策協議と情報交流の充実、アメリカ軍との運用面における協力体制の推進、後方支援における相互協力体制の推進、装備面での相互協力の促進、駐留アメリカ軍に対する支援体制の改善など従来からの問題点を主張しているにすぎない。

具体的施策として、CキューブドIシステム(指揮・統制・通信・情報)の充実、統合運用体制の強化、機動力と即応能力の向上という当然の提言、現行約27万4000人から24万人程度への縮小という結論ありきの提言、画一的な師団編成から多機能的な部隊に再編成(陸上防衛力)、対潜水艦戦、対機雷戦重視から、よりバランスのとれたもの(海上防衛力)、戦闘機の削減という現実無視の提言、空中給油機能・長距離輸送能力の検討(航空防衛力)、弾道ミサイル対処システムのアメリカとの積極協力、防衛力の弾力性の維持などをあげている。

対テロ・ゲリラ・コマンド戦など多様化する危機に対処するにはマン・パワーが重要であるが、結局は軍縮傾向政策に沿い、対テロ・ゲリラ・コマンドには不向きな人員削減を提言している。これは戦闘機の削減にも言えることで、中国軍の航空戦力、海上戦力の大幅な強化という情勢があるにもかかわらず戦闘機は削減することになっており、航空防衛力の低下が懸念される。一方で空中給油機の導入は検討にとどまっており、戦闘機削減に相応する航空防衛力の維持に懸念を残した。長距離輸送能力も検討にとどまり、国連平和維持活動の増加や迅速な部隊展開に必要な機動力の強化につながっていない。

海上防衛力の対潜水艦戦重視からの転換は、1個護衛艦群あたり対潜哨戒ヘリコプター護衛艦(DDH)2隻・防空ミサイル護衛艦(DDG)1隻体制から、対潜哨戒ヘリコプター護衛艦(DDH)1隻・防空ミサイル護衛艦2隻(DDG)体制に転換した海上自衛隊実情に沿っただけものである。防衛力の弾力性の維持といわれているものの、日本の防衛力は、実際は硬直したままであった。

注1 防衛問題懇談会「日本の安全保障と防衛力のあり方-21世紀に向けての展望」

 

 

 第2章 1976年 旧・防衛計画の大綱の成立の背景

 

 1976年(昭和51年)に制定された防衛計画の大綱は「わが国が保有すべき防衛力としては、安定化のための努力が続けられている国際情勢及びわが国周辺の国際政治構造並びに国内諸情勢が、当分の間、大きく変化しないという前提に立てば、防衛上必要な各種の機能を備え、後方支援体制を含めてその組織及び配備において均衡の取れた態勢を保有することを主眼とし、これをもって平時において十分な警戒態勢をとりえるとともに、限定的かつ小規模な侵略までの事態に有効に対処し得るものを目標とすることが最も適当」(注1)としている。

「限定的かつ小規模な侵略まで」に対応する防衛体制を整えることをもとめている。しかし、この「限定的かつ小規模な侵略まで」に対応するというものは、1970年代中盤の東西冷戦デタント傾向期の、東側勢力が軍拡にむかっていないという間違った認識のもとで、現状の防衛力を確保するものであった。情勢の変化に対しては言及されておらず、非常に硬直的な政策であった。もっとも、これは基盤的防衛力という最低限必要な防衛力ということであるから、情勢の変化は、好転してもこれ以上防衛力を低下させることはできず、情勢が悪化した場合には、それに相応して防衛力を整備することが必要であるはずであった。

しかし、現実は、この必要最低限必要な防衛計画の大綱に示された防衛力整備に動くことが難しく、さらに必要最低限の防衛力すら削減する方向で政府部内一致したこともあった。そのうえ、1976年(昭和51年)の三木武夫内閣は防衛予算をGNP(国民総生産)の1%以下にすることを閣議決定した。これは情勢が悪化した場合には対応できないことを決定づけるものであった。この防衛予算をGNPの1%にするという閣議決定は、当時の防衛予算がGNPの1%弱であったことから、ただ単にそれを延長したものであり、情勢の変化や必要最低限の防衛力の整備はまったく考慮されずに決定されたものであった。特に三木首相は、田中角栄政権のロッキード事件、疑獄事件によってイメージの悪化した自民党において、「クリーン三木」をスローガンに総理・総裁となった人物であった。そのため、「クリーン」なイメージの政策を打ち出す必要があり、「クリーン」なイメージではないと考えられた防衛関係の政策には無関心、消極的で、「クリーン」に相応しい、軍縮イメージを打ち出そうとしていた。

それが防衛予算のGNP1%以内の閣議決定であり、その他にも「クリーン」に相応しいと考えられた政策が打ち出された。1976年2月27日に三木政権政府統一見解として、輸出貿易管理令に示されている「共産国むけの場合、国連決議により武器等の輸出が禁止されている場合、国際紛争中の当事国またはそのおそれのある国向けには輸出してはならないことになっている」の武器輸出三原則対象地域への輸出禁止に加え、

「 三原則対象地域についての武器の輸出を認めない。

  

三原則対象地域以外の地域については、憲法及び外国為替及び外国貿易管理法の精神にのっとり、武器の輸出を慎むものとする。

  

武器製造関連設備の輸出については、武器に準じて取り扱うものとする。     」

 

 

を、発表した。(注1)

 

武器輸出三原則地域はともかく、そのほかの地域、特に同盟国、友好国、遠方の国家に

対する武器輸出の自粛は、日本の国家戦略、防衛政策、国家安全保障、経済安全保障に重大な影響を及ぼした。その例は、生産量が少ないことから生じる国産兵器の価格高騰、開発費抑制のための国際共同開発参加が不可能である、コンバット・プルーブンと呼ばれる実戦による兵器の実用性の証明確認ができない、仮想敵国への牽制手段の放棄などである。

しかし、この「武器輸出三原則に関する政府統一見解」はザルともいえるものであった。川崎重工業で生産されたKV-107中型ヘリコプター(定員25人)は、サウジ・アラビア軍、サウジ・アラビア国家警備隊などに軍用として輸出され、ソニーのテレビ・カメラはアメリカ軍が使用するテレビ映像誘導空対地ミサイルに使用され、川崎重工業の大型オフロード・バイクもアメリカ陸軍・海兵隊の制式偵察バイクに採用された。その他、数多くの電子部品がマクドネル・ダグラスF/A-18ホーネット戦闘攻撃機に使用された。そのうえ、武器製造に必要な大阪機工、森精機、富士通ファナックなどが生産する工作機械、NC旋盤、マシニング・センタなどの武器製造関連設備も兵器製造を目的としてアメリカをはじめ、西側各国の防衛企業に輸出され、使用された。また、日本製のトラック、トレーラー、ピック・アップ・トラックやスポーツ・ユーティリティ・ヴィークルがスペインをはじめ数多くの国の軍に制式採用され、紛争に使用された。さらに、石川島播磨重工業が建造し、民間使用としてソ連に売却された大型浮きドックが、敵国のソ連海軍艦艇に使用された。適当な法運用にもほどがあった。単に「クリーン三木」の演出に利用されただけの感があり、日本の国益をかき乱したに過ぎなかった。しかも、それは現在も継続されており、その悪影響は非常に甚大である。

さらに三木政権はテロリズムに対しても一方的譲歩の姿勢をとり続けた。それまでの日本のハイジャック解決策は「引き分け戦術」であった。「引き分け戦術」とは、犯人の要求には一切応じないが、強行解決もはからず、犯人を第三国に逃亡するのを容認するというものであった。しかし、三木首相は、この「引き分け戦術」に対しても反対し、犯人の要求には前面屈服し、身代金を支払ったうえ、さらに「超法規的措置」により、収監中の犯人を釈放するという、テロリスト、犯罪者に金を渡した上に、罪を償わせることなく、自由の身にし、さらなるテロリズムを誘発させることを事実上、容認したのであった。

このような背景の下で成立した昭和51年の防衛計画の大綱は、平成8年(1996年)に成立する新・防衛計画の大綱まで、国際情勢の激変にもかかわらず、なんら変化することなく継続され、さらにはそこで定められた必要最低限の所要防衛力を満たすことはなかった。

 

 

注1  武器輸出に関する政府統一見解 三木内閣総理大臣 

昭和51年2月27日衆議院予算委員会

 

 

 

 

第3章 1976年 旧・防衛計画の大綱における防衛力 陸上自衛隊

 

陸上防衛力として、陸上自衛隊の編成定数は18万人とされた。基幹部隊としては、平時地域配備する部隊に13個師団と2個混成団が置かれることとなった。これは普通科(歩兵)を基幹とする地域防衛部隊である。甲師団は約9000人を定員に、普通科連隊を4個連隊配備し、特科連隊(砲兵)、後方支援連隊(兵站)、戦車大隊、施設大隊(工兵)、通信大隊、対戦車隊、偵察隊、飛行隊、音楽隊、保安中隊(憲兵)などを要する。乙師団は約7000人で普通科連隊の数などが、甲師団に比べて少ないなどの違いがある。

また、地域の特性によって、部隊の配備が異なっている。平原が存在する北部方面隊には、戦車連隊が配備される一方で、中部地方、近畿地方の中部方面隊の師団には戦車大隊が配備されるにとどまるなど、地域特性に配慮された部隊配置となっている。

北海道の防衛を担う北部方面隊(総監部:北海道・札幌駐屯地)には、3個師団が置かれた。第2師団(本部:北海道・旭川駐屯地)が第3普通科連隊,第9普通科連隊,第25普通科連隊,第26普通科連隊を基幹に道北に配置され、第5師団(本部:北海道・帯広駐屯地)が道東に第5戦車大隊、第4普通科連隊、第6普通科連隊、第27普通科連隊を基幹に配置された。第11師団(本部:北海道・真駒内駐屯地)は道央、道南を防衛地域とし、第11戦車大隊、第10普通科連隊、第18普通科連隊、第28普通科連隊を基幹に部隊配備された。また、第1特科団が配備され、強力な火力で敵を撃滅することが期待された。

各師団はそれぞれの地域を中心とした防衛を担うことになっていた。特に北海道は防衛計画の大綱のいう「小規模かつ限定的な侵略」が生じる危険の高い地域として、装備が優先的に配備された。機甲化、機械化、装甲化をもっともはやく進められた。

東北には東北方面隊(総監部:宮城県・仙台駐屯地)が担当し、南東北は第6師団(本部・神町駐屯地)が防衛した。第20普通科連隊、第21普通科連隊、第22普通科連隊、第44普通科連隊を基幹に約9000名の甲師団であった。北東北は第9師団(本部:青森県・青森駐屯地)が、第5普通科連隊、第38普通科連隊、第39普通科連隊を基幹とする乙師団が置かれた。関東・甲信越・静岡の防衛は東部方面隊(総監部:埼玉県・朝霞駐屯地)が担当した。南関東と山梨県、静岡県は第1師団(本部・市ヶ谷駐屯地)が担当し、特に首都を防衛する部隊として力を注がれた。第1普通科連隊、第31普通科連隊、第32普通科連隊、第34普通科連隊、第1戦車大隊を基幹とする甲師団である。北関東と新潟県は第12師団(本部・相馬原駐屯地)がおかれた。第2普通科連隊、第13普通科連隊、第30普通科連隊、第48普通科連隊を基幹とする師団であった。

日本の面積の30%を防衛するのは中部方面隊(総監部:兵庫県・伊丹駐屯地)である。西部本州と四国が担当地域で、近畿地方を防衛するのは第3師団(本部:兵庫県・千僧駐屯地)で、第7普通科連隊、第37普通科連隊、第36普通科連隊、第45普通科連隊を基幹とする定員・8800人の甲師団であった。

中部地方を防衛するのは第10師団(本部:愛知県・守山駐屯地)で、第14普通科連隊、第33普通科連隊、第35普通科連隊、などを基幹とする乙師団、約7000名の部隊であった。中国地方を防衛するのは第13師団(本部:広島県・海田市駐屯地)で、第8普通科連隊、第17普通科連隊、第46普通科連隊、第47普通科連隊を基幹とする7100人の乙師団であった。四国を防衛する第2混成団(本部:香川県・善通寺駐屯地)は、第15普通科連隊を基幹に組織される。

 九州・沖縄を防衛するのは西部方面隊(総監部:熊本県・健軍駐屯地)で、北部九州を第4師団(本部:福岡県・福岡駐屯地)で、第16普通科連隊、第19普通科連隊、第40普通科連隊、第41普通科連隊を基幹部隊とし、さらに対馬警備隊が対馬海峡をにらんでいる。南部九州を防衛するのは第8師団(本部:熊本県・北熊本駐屯地)で、第12普通科連隊、第24普通科連隊、第42普通科連隊、第43普通科連隊を基幹にしている。沖縄には、第1混成団(本部:沖縄県・那覇駐屯地)が第1混成群と第101飛行隊を基幹に防衛を担当していた。

 機動運用部隊として、1個機甲師団、1個空挺団、1個ヘリコプター団が置かれた。

1個機甲師団は第7師団(本部:北海道・千歳駐屯地)として、北部方面隊に配備され、第71戦車連隊、第72戦車連隊、第73戦車連隊を核に、第7化学防護隊、第7飛行隊、第7偵察隊、第7通信大隊、第7施設大隊、第7後方支援大隊、第7高射特科大隊、第7砲兵連隊、第11普通科連隊を擁し、陸上自衛隊の部隊として、戦車、装甲車を中心に最新装備が最優先に配備され、機動運用機甲師団として運用された。

1個空挺団は第1空挺団(千葉県・習志野駐屯地)として、東部方面隊に配置され、普通科、対戦車隊を中心にした約1500名からなる部隊である。空挺降下能力、ヘリ・ボーン能力を有し、また遊撃戦にも卓越した部隊で、レンジャー資格の中でも最も厳しい空挺レンジャー資格を有する隊員が7割以上を占め、軽歩兵の普通科部隊として最強の能力を誇る。そして、航空自衛隊の輸送機、陸上自衛隊のヘリコプターを利用し、迅速に紛争地域に派遣できる数少ない部隊である。

1個ヘリコプター団は防衛庁長官直轄部隊として、第1ヘリコプター団が編成され、千葉県木更津駐屯地に配置されている。大型輸送ヘリコプターによって、各部隊、資材を迅速に必要地域に派遣できる能力を有している。

陸上自衛隊の野戦防空戦力と広域防空戦力(全般防空)として、地対空誘導弾部隊が8個高射特科群、全国に配備されている。北からの脅威(ソ連・ロシア)に対抗するため、第4高射特科群が北海道・道北の名寄駐屯地に配置された。また、札幌や千歳などの北海道の中枢の防空に第1高射特科群が東千歳駐屯地に配備されている。東北地方では、航空自衛隊、アメリカ空軍のある三沢基地に近く、海上自衛隊の航空基地のある八戸駐屯地に第5高射特科群が配備されている。また、首都圏の防空には千葉県・松戸駐屯地に第6高射特科群が置かれている。航空自衛隊の広域全般地対空誘導弾部隊が近辺に無く、しかも人口密集地域、経済中枢地域のある地帯の近畿地方には第8高射特科群が兵庫県・青野原駐屯地に配備され、同じく北九州地域には第3高射特科群が福岡県・飯塚駐屯地に配備されている。そのほかに、東アジアの要石である沖縄の防空には、航空自衛隊の全般防空地対空誘導弾部隊とともに、第7高射特科群が沖縄県・大村駐屯地に置かれている。

装備は、普通科部隊にはアメリカ軍供与のM1カービン、M1ガーランド・ライフル、M3グリース・ガン短機関銃、M1919軽機関銃、M1918ブローニング・オートマティック・ライフル(BAR、自動火器)などが数多く残っていたが、1960年代に入り、徐々に近代化が始まった。

豊和工業64式7,62mm×51口径小銃、住友重機械工業62式7,62mm×51口径機関銃の配備が非常にゆっくりと進んだ。1967年からはオリーブ・ドラブ1色であった作業服から、迷彩作業服の採用がはじまった。1976年には長年、大蔵省に却下されていた個人化学防護装備の採用が認められた。

さらに、1970年代末からは5,56×45mmライフル弾、9mm×19拳銃弾の採用が検討され始めた。これは、7,62mm×51ライフル弾は反動が大きく、フル・オートマティック射撃に適していないため、アメリカ、NATO諸国が5,56mm×45ライフル弾使用小銃に切り替えていったことに呼応している。同じく拳銃もNATO諸国が9mm×19拳銃弾の採用を始めたので日本でも追随することになった。

5,56mm×45ライフル弾使用の豊和工業89式小銃、ファブリック・ナショナール(FN)社MINIMI機関銃の配備が徐々に進められた。同様に拳銃もコルトM1911A1 45ACP口径(11、43mm×23)拳銃からSIG SAUER(シュバイツイッシュ・インダストリー・ゲゼルシャフト・ザウエル) P220 9mm×19口径自動拳銃に切り替えられた。

普通科部隊および後方支援部隊などの移動手段も確立されていった。普通科、歩兵の文字にふさわしく歩くことが主であった普通科部隊が自動車化されていった。三菱自動車工業73式小型トラック、トヨタ自動車73式中型トラック、いすゞ自動車73式大型トラック、三菱自動車工業74式特大型トラックと急速に普通科部隊の移動手段が高速化していった。しかし、アメリカ、ヨーロッパなどの西側諸国の歩兵部隊が機械化、装甲化、空中機動化しているのに比べ、日本の陸上自衛隊の大半の部隊の移動手段が非装甲のトラックおよび徒歩であると、脆弱性は否定できなかった。しかし、ソ連の侵攻が危惧された北海道の部隊には最優先で機械化が非常にゆっくりとすすめられた。既存の三菱重工業60式装甲車(428両)に加え、三菱重工業/小松製作所73式装甲車の配備が進んだ(約338両)。しかしここでもまた諸外国の機械化比率より大幅に下回ったもの(約半分)であることは否定できなかった。

各師団の戦車部隊は61式戦車が主流であったが、1973年度最末期に制式化された74式戦車が第7師団から優先的に配備されていった。1960年代から始まった第2世代戦車の最後発で、最後発の強みを生かし、信頼性の確立されたイギリス・ヴィッカーズL7 105mmライフル砲を装備し、40mmAP弾対応の装甲と、レーザー測距儀、アクティヴ赤外線暗視装置・赤外線投光器などセンサー類も最新のものを採用する。当時としては最高の性能を誇った。しかし、配備のスピードは遅く、なかなか旧型戦車を置き換えるに至らなかった。

1977年のドイツ・レオパルド2戦車を皮切りに、パッシブ赤外線暗視装置、レーザー照準装置、デジタル・コンピューターなどの最新センサーと演算装置、チタニウム合金、セラミック、アラミド繊維などを使用した飛躍的に防御力の向上した複合装甲(運動エネルギー120mmAPFSDS弾、化学エネルギーHEAT弾対応)と、西ドイツのラインメタル製120mm滑腔砲を装備する第3世代戦車が1980年に入って急速に普及した。そのため74式戦車の陳腐化は避けられなかった。しかし、それなりに74式戦車の存在は、陸上自衛隊の要として日本の防衛力に貢献した。

火砲の配備も進んでいった。小松製作所/日本製鋼所75式自走155mm榴弾砲が201輌、ゼネラル・ダイナミクス/三菱重工業M110A2 203mm自走榴弾砲が91輌、ヴィッカーズ・シップビルディング・アンド・エンジニアリング・リミテッド、OTOメララ、ラインメタルの国際共同開発のFH-70 155mm榴弾砲が477門と火力の増強が進んでいった。

各師団飛行隊、各方面隊航空隊の航空機の配備はベルUH-1B/Hイロコイ・HUEY汎用ヘリコプター、マクドネル・ダグラスOH-6Dカイユース観測ヘリコプター、ボーイング・ヴァートル/川崎重工業KV-107(CH-46 シー・ナイト)中型輸送ヘリコプターに加え、1979年にはベトナム戦争で有効性が確立されたベルAH-1S(AH-1F)ヒューイ・コブラ攻撃ヘリコプターが対戦車ヘリコプターとして導入が決まり、日本の対戦車能力、対地攻撃能力が飛躍的に向上した。

さらに1984年からはKV-107中型輸送ヘリコプター(定員25人)に代わりボーイングCH-47Jチヌーク輸送ヘリコプター(定員50人)の導入が始まった。これによって、輸送能力は飛躍的に向上し、効率的な運用が進んだ。しかし、他の西側諸国と比較して、空中機動能力が未だ低いことは否定できない。

防空能力としては全般防空に8個高射特科群にMIM-23ホーク地対空ミサイルが配備されていたが、アメリカでのMIN-23インプルーヴド(改良)・ホーク地対空ミサイル配備同様、日本もホーク地対空誘導弾を近代化改良し、三菱電機が改ホークを開発、防空能力の向上に努めた。

さらに、東芝81式短距離地対空誘導弾システム(81式短SAM)を導入し、各施設や師団防空能力を強化している。部隊防空にはL90 35mm機関砲とともに、アメリカからFIM-92スティンガー携帯地対空ミサイルを輸入、配備するなど飛躍的に防空能力が高まった。

1980年代後半に入ってからは、日本も他の西側諸国の戦力に追いつき始めた。威力偵察に使用される小松製作所87式偵察警戒車がある。連隊防空用に高性能レーダーを搭載し、対空用エリコン社製35mm機関砲を装備する三菱重工業87式自走高射機関砲が配備された。そしてエリコン35mm機関砲と79式対戦車ミサイルを装備し、乗員3名・歩兵7名を収容する日本初の歩兵戦闘車である三菱重工業89式装甲戦闘車を導入、配備した。

戦車においては、複合装甲とパッシブ赤外線暗視装置、デジタル・コンピューター、赤外線レーザー距離測定装置、西ドイツのラインメタル製120mm滑腔砲を装備する第3世代戦車の三菱重工業90式戦車の配備が始まった。

砲兵部隊では、644個の対人対物子弾(均質圧延防弾鋼板40mm貫通)を投射し、面制圧に有効な射程32kmのM26ロケット12発と、射程160km以上ある弾道ミサイル「ATACMS(陸軍戦術ミサイルシステム)」を装備するLTV/ローラル・ヴォート・システムズM270多連装ロケット発射システム(ATACMSは現在のところ未装備・検討中)が導入され、火力投射の期待を担った。

対戦車、対艦艇、対舟艇にたいしても整備が図られた。1988年には88式地対艦誘導弾システムが配備された。対舟艇・対戦車には有線誘導の79式対戦車誘導弾と、セミ・アクティヴ・レーザー誘導の87式対戦車誘導弾が配備された。

空中機動においてはシコルスキーUH-60JAブラック・ホーク汎用ヘリコプター、川崎重工業OH-1観測ヘリコプターなどが開発、配備されていった。しかし、大量生産できない日本の財政制度、諸政策によって値段は高騰し、配備は遅れ、防衛力整備が進まない。

一方で、高機動車がトヨタ自動車によって開発された。これは、アメリカ4軍が使用するジープ、中型トラック双方の後継車両として開発されたAMジェネラルM998ハマー高機動多目的装輪車両(HMMWV)に酷似しており、使用目的も似ている。双方とも民間技術を多用し、大量生産することで価格低減、大量配備を狙ったもので、さらに装甲強化型、救急車、牽引車、地対空ミサイル搭載車、対戦車ミサイル搭載車、無線中継車などにファミリー化し、生産台数を増やし、メンテナンス・コストを低減させることも狙っている。アメリカではそうなったが、陸上自衛隊では結局、小型トラック、中型トラック、軽装甲機動車と別物が開発、生産され続け、コスト削減にはつながらなかった。

旧・防衛計画の大綱が新・防衛計画の大綱に切り替わった1996年までに進められた陸上自衛隊の防衛力は、旧・防衛計画の大綱開始年次の1976年と比較して、飛躍的に向上した。しかし、大量生産できないことからくる価格の高騰と、それにともなう採用数の低下の悪循環によって、1点豪華主義的な装備となってしまっている。また、ソ連による「限定的かつ小規模な侵略」、着上陸侵攻対処を想定した戦力構成、戦術を採っていたため、市街戦や陽動作戦、ゲリラ・遊撃戦、コマンド対処、テロへの対処のための施策、特殊部隊や市街戦部隊、狙撃作戦などが重要視されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

第4章 1976年 旧・防衛計画の大綱における防衛力 海上自衛隊

 

シー・レーン防衛の中心として、機動運用にあたる護衛艦部隊には4個護衛艦群が当てられている。1個護衛隊群には8隻の護衛艦と8機の対潜哨戒ヘリコプターが配備され、海上防衛の主力である。1996年、こんごう級イージス護衛艦3番艦DDG-175「みょうこう」の竣工によって完成した。

護衛艦隊(神奈川県・横須賀基地)のもとに第1護衛隊群(横須賀基地)、第2護衛隊群(長崎県・佐世保基地)、第3護衛隊群(京都府・舞鶴基地)、第4護衛隊群(広島県・呉基地)がおかれている。

旗艦として、対潜哨戒ヘリコプター搭載護衛艦DDH141「はるな」(1970年起工、1973年竣工)、DDH142「ひえい」(1972年起工、1974年竣工)、DDH143「しらね」(1978年起工、1980年竣工)、DDH144「くらま」(1979年竣工、1981年竣工)があたっていた。はるな級対潜ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)は基準排水量5200トン、満載排水量7200トンで蒸気タービン推進、Mk42 127mm砲2門、Mk29発射機にRIM-7シー・スパロー短距離艦対空ミサイル(ポイント・ディフェンス:個艦防空)8発、Mk15ファランクス20mm機関砲近接防御武器システム2基、Mk112発射機にMk46魚雷搭載対潜ロケットを8発装填、68式三連装短魚雷発射機2基、Mk141発射機にRGM-84ハープーン艦対艦ミサイルを8発などが主な兵装である。対潜戦には対潜哨戒ヘリコプター3機搭載でこれにあたった。

DDH143「しらね」を1番艦とするしらね級ヘリコプター搭載護衛艦もはるな級ヘリコプター搭載護衛艦に準じる能力である。対潜能力とともに、個艦防空も充実した艦船である。特に対潜哨戒ヘリコプターを3機搭載することで、対潜水艦戦に秀でている。そして、護衛隊群の対潜哨戒ヘリコプターの母艦に準ずる機能を有しており、電子機器なども逐次更新され、第一線の護衛艦として遜色の無い物となっていた。

艦隊防空を担う防空ミサイル護衛艦DDGはDDG168「たちかぜ」を1番艦とするたちかぜ級3隻ミサイル護衛艦であった。1973年に起工し、1976年に竣工している。Mk13発射機にRIM-66スタンダード1艦対空ミサイル(SM-1、エリア・ディフェンス:艦隊防空)を44発装填、護衛隊群の防空を担っている。その他の装備として、Mk42 127mm砲2門、Mk141発射機にRGM-84ハープーン艦対艦ミサイルを8発、Mk112発射機にMk46魚雷搭載対潜ロケットを8発装填、68式三連装短魚雷発射機2基と、防空以外にも対潜、対艦能力も有している。1983年に起工、1986年に竣工したDDG171「はたかぜ」を1番艦とするはたかぜ級ミサイル護衛艦2隻もこのたちかぜ級ミサイル護衛艦に準じた兵装、能力となっており、さらに旗艦能力とヘリコプター離発艦能力を有していた。

DD122「はつゆき」を1番艦とするはつゆき級汎用護衛艦は、昭和53年中期業務見積もりによって計画され、1979年に起工、1982年に竣工、就役している。基準排水量2950トン、満載排水量4000トン、ガス・タービン推進で、兵装はOTOメララ 76mmコンパクト砲1門、Mk112アスロック発射機にMk46魚雷搭載アスロックを8発装填、Mk141発射機にRGM-84ハープーン艦対艦ミサイルを8発装填している。個艦防空としてMk29発射機にRIM-7シー・スパロー艦対空短距離ミサイル8発と、Mk15ファランクス20mm機関砲近接防御武器システムを搭載している。また、対潜哨戒ヘリコプター1機を搭載し、汎用護衛艦としてバランスのとれた艦となっている。当初、上部構造物はアルミニウム合金であったが、1975年のアメリカ空母CV-67ジョン・F・ケネディと巡洋艦CG-26ベルナップの衝突事故で、アルミニウム合金の脆弱性が指摘され、さらに1982年のフォークランド紛争で、アルミニウム合金製上部構造物艦船が相次いで攻撃によって炎上、沈没したことから、はつゆき級汎用護衛艦8番艦DD130「やまゆき」からは上部構造物が鋼鉄製に変更され、ダメージ・コントロールが向上している。はつゆき級汎用護衛艦は1987年までに12隻建造された。

 昭和56年中期業務見積もりによって計画された汎用護衛艦DD151「あさぎり」を1番艦とするあさぎり級汎用護衛艦は1985年に起工し、1987年に竣工、1988年から就役している。基準排水量は3500トン、満載排水量4900トンであるが、はつゆき級汎用護衛艦の発展型である。兵装はOTOメララ 76mmコンパクト砲1門、Mk112アスロック発射機にMk46魚雷搭載アスロックを8発装填、Mk141発射機にRGM-84ハープーン艦対艦ミサイルを8発装填している。個艦防空としてMk29発射機にRIM-7シー・スパロー艦対空短距離ミサイル8発と、Mk15ファランクス20mm機関砲近接防御武器システムを搭載している。また、対潜哨戒ヘリコプター1機を搭載する。はつゆき級汎用護衛艦よりレーダーや射撃管制装置などが向上し、能力的には大きく発展したものとなっている。このあさぎり級汎用護衛艦は1991年までに8隻建造され、これによって護衛隊群の汎用護衛艦は完備された。

護衛艦群完成の締めくくりとしてイージス護衛艦DDG173「こんごう」を1番艦とするこんごう級イージス・システム搭載ミサイル護衛艦が1990年に起工し、1993年に竣工、就役した。

ガス・タービン推進、基準排水量7250トン、満載排水量9500トン、となっている。主砲はOTOメララ 127mm単装砲1門である。Mk41垂直発射システムにRIM-66スタンダード艦対空ミサイル、RIM-156SM2艦対空ミサイルなど艦隊防空ミサイルを74発、Mk46搭載対潜ロケットを16発装填している。対潜水艦自衛に68式三連装短魚雷発射機2基にMk46魚雷を装填、対水上戦闘艦自衛にMk141発射機にRGM-84ハープーン艦対艦ミサイルを8発装填している。近接防御武器システムにはMk15ファランクス20mm機関砲近接防御武器システム2基があたる。

イージス護衛艦に搭載されているイージス・システムは、ソ連の圧倒的数量のミサイル攻撃から艦隊を守るために60年代から開発が始まったもので、1973年から試験が開始され、1978年に採用された。1983年就役のアメリカ海軍CG-47「タイコンデロガ」を1番艦とするタイコンデロガ級巡洋艦から搭載された。イージス・システムのフェーズド・アレイ・レーダーは従来型レーダーより格段に能力が向上しており、探査距離、目標探査、さらに戦闘情報処理能力は従来艦の比ではないとされている。さらにMk41垂直発射システムにより、多目標同時攻撃が可能となっている。またこんごう級イージス護衛艦はアメリカ海軍DDG-51「アーレイ・バーク」を1番艦とするアーレイ・バーク級イージス駆逐艦と同様、ステルス(低発見性)的な船体を取り入れている。3番艦「みょうこう」によって護衛艦群は完成したが、さらに4番艦DDG176「ちょうかい」が建造され、4個護衛艦群すべてにイージス艦が配備されることとなった。

護衛艦に搭載される対潜哨戒ヘリコプターは当初、シコルスキー(三菱重工業でライセンス生産)HSS-2(SH-3シー・キング)であったが、1980年代後半に入って、シコルスキー(三菱重工業でライセンス生産)SH-60Jシー・ホーク対潜哨戒ヘリコプターに順次切り替えられ、対潜水艦戦能力、運用性の向上に努めている。

地方隊は10個隊とされ、横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大湊に置かれた。DEと称されるやや小型で、情報処理能力などが簡略化された地方隊専用の護衛艦や、護衛隊群の任を解かれた旧式の汎用護衛艦が任に当たっている。

最新のDEはDE229「あぶくま」を1番艦とするあぶくま級護衛艦の6隻である。1988年に起工、1989年に竣工、就役している。基準排水量2000トン、満載排水量2900トン、ディーゼル及びガス・タービン推進、兵装はOTOメララ 76mmコンパクト砲1門、Mk112発射機にMk46魚雷搭載対潜ロケット8発、Mk141発射機にRGM-84ハープーン艦対艦ミサイル8発、68式3連装魚雷発射機2基にMk46魚雷を搭載している。近接防御武器システムにはMk15ファランクス20mm機関砲近接防御武器システム1基を装備している。DEとしてはじめて対空レーダーを搭載し、防空能力を強化した。

それ以前のDEとしては、1979年に起工、1981年に竣工、就役したDE226「いしかり」を1番艦とするいしかり級護衛艦1隻がある。いしかり級護衛艦の基準排水量1250トンである。そして、いしかり級護衛艦の改良型であるDE227「ゆうばり」を1番艦とするゆうばり級護衛艦2隻、基準排水量1450トンが1981年に起工、1983年に竣工している。ともにディーゼル、ガス・タービン推進で、OTOメララ 76mmコンパクト砲1門、Mk141発射機にRGM-84ハープーン艦対艦ミサイル8発、ボフォース4連装対潜ロケット1基を装備している。またDE218「ちくご」を1番艦とするちくご級護衛艦が1971年に起工、1972年に竣工している。Mk112アスロック8連装発射機1基とOTOメララ 76mmコンパクト砲を装備し、対潜能力に重きを置いている。

地方隊配備の護衛艦は、それ以外は旧式の汎用護衛艦DDで補われ、護衛隊群と地方隊の艦船をあわせて60隻体制と旧・防衛計画の大綱では定められている。

潜水艦部隊は6個隊・16隻体制と定められていた。三菱重工業神戸造船所(兵庫県神戸市中央区)と川崎重工業神戸工場(兵庫県神戸市中央区)において隔年ごとに建造され、就役期間は16年と短く、能力を高く保っている。また、訓練・予備に2隻がある。1971年のうずしお級潜水艦から、NS63高張力鋼製で涙滴型船型、新型ソナー、三次元自動操縦装置を装備したディーゼル電気推進潜水艦が建造、配備された。兵装は533mm魚雷発射管6門で、基準排水量は2000トンから3000トンへと徐々に増加していっている。また、1984年3月に就役したゆうしお級潜水艦5番艦「なだしお」からは、533mm魚雷発射管から発射可能なUGM-84ハープーン潜対艦ミサイルを配備し、対艦戦闘能力を向上させている。いずれも水中速力20ノットと、原子力潜水艦の水中速力の60%前後と遅いが、静粛性、浅海面作戦行動に優れ、沿岸防衛、海峡防衛、近海防衛を基本とする日本の海上防衛力にのっとった性能を保持している。アメリカと同様に高張力鋼の品質は世界最高で、深海作戦にも対応できると思われる。主電池はGS YUASA,潜望鏡は日本光学、電子戦装置は三菱電機、レーダー・通信装置は日本無線である。

作戦用航空機は約220機と定められていた。大半は対潜哨戒機である。1977年に国防会議で、ロッキードP-2JネプチューンからロッキードP-3Cオライオンに代替することが決定され、対潜能力は向上していくことになる。P-3Cもアップ・デート2からアップ・デート3へと向上していった。結局P-3Cは100機が導入され、アメリカに次ぐ対潜哨戒機を保有するに至り、海上自衛隊の対潜水艦能力は、護衛隊群、地方隊の艦船、ヘリコプターも含めて世界最高水準に達した。

 

 

 

 

 

第5章 1976年 旧・防衛計画の大綱における防衛力 航空自衛隊

 

航空総隊(府中基地)のもとに北部航空方面隊、中部航空方面隊、西部航空方面隊、南西航空混成、航空支援集団、航空教育集団、航空開発実験集団が設置された。

北部航空方面隊には第2航空団(千歳基地)、第3航空団(三沢基地)、北部航空警戒管制団(三沢基地)、第3高射群(千歳基地)、第6高射群(三沢基地)がある。

中部航空方面隊には第6航空団(小松基地)、第7航空団(百里基地)、中部航空警戒管制団(入間基地)、第1高射群、第6高射群がある。

西部航空方面隊には第5航空団(新田原基地)、第8航空団(築城基地)、西部航空警戒管制団(春日基地)、第2高射群がある。南西航空混成団には第83航空隊(那覇基地)、南西航空警戒管制団(那覇基地)、第5高射群(那覇基地)がある。

航空支援集団には航空救難団(入間基地)、第1輸送航空隊(小牧基地)、第2輸送航空隊(入間基地)、第3輸送航空隊(美保基地)、航空保安管制群(入間基地)、航空気象群(府中基地)がある。

航空教育集団には第1航空団(浜松基地)、第4航空団(松島基地)、第11飛行教育団(静浜基地)、第12飛行教育団(防府北基地)、第13飛行教育団(芦屋基地)、航空教育隊(防府南基地)がある。

その他、補給本部が十条にある。

航空団は団司令を頂点に副団司令、副官と続く。航空団は監理部、人事部、防衛部、装備部、衛生班と、群本部と飛行隊からなる飛行群、そして群本部と検査隊、装備隊、修理隊、車輌機材隊、補給隊からなる整備補給群、および群本部と、飛行場勤務隊、施設隊、監理隊、業務隊、会計隊、衛生隊からなる基地業務群で構成される。

千歳基地の第2航空団には第201飛行隊、第203飛行隊が配備され、F-15J/DJ戦闘機が装備されている。三沢基地の第3航空団には第3飛飛行隊と第8飛行隊が配備され、支援戦闘機が装備されている。小松基地の第6航空団には第303飛行隊と第306飛行隊が配備され、F-15J/DJ戦闘機が装備されている。百里基地の第7航空団には第204飛行隊と第306飛行隊が配備され、F-15J/DJ戦闘機が装備されていた。新田原基地の第5航空団には第202飛行隊と飛行教導隊が配備されF-15J/DJ戦闘機を装備していた。築城基地にはF-15J/DJ戦闘機を配備する第304飛行隊と支援戦闘機を装備する第6飛行隊が配備されている。那覇基地には第302飛行隊が配備され、F-4EJ戦闘機が装備されていた。小牧基地の第1輸送航空隊にはC-130H輸送機が配備され、入間基地の第2輸送航空隊にはC-1輸送機が装備されている。

航空警戒管制部隊には北部航空管制団(三沢基地)、中部航空管制団(入間基地)、西部航空管制団(春日基地)、南西航空管制隊(那覇基地)が担当した。

北部航空管制団隷下には北部防空管制群(三沢基地)、警戒通信隊(三沢基地)、整備隊(三沢基地)、第1移動警戒隊(三沢基地)、第8移動警戒隊(千歳基地)と各レーダー・サイトがおかれた。

中部航空管制団隷下には中部防空管制群(入間基地)、整備補給群(入間基地)、基地業務群(入間基地)、第2移動警戒隊(入間基地)と各レーダー・サイトがおかれた。

西部航空管制団には隷下に西部防空管制群(春日基地)、整備業務群(春日基地)、基地業務群(春日基地)と土佐清水通信隊(土佐清水分屯基地)と各レーダー・サイトがおかれた。

南西航空警戒管制隊隷下には南西防空管制群(那覇基地)、警戒通信隊(那覇基地)、防空管制隊(那覇基地)と第4移動警戒隊(那覇基地)、奄美通信隊、整備隊がおかれた。

レーダー・サイトを中心とした警戒管制部隊は28個警戒群と1個飛行隊が定められた。BADGE(自動警戒管制組織)システムとよばれるもので、日本の各地(第18警戒群:稚内分屯基地、第28警戒群:網走分屯基地、第26警戒群:根室分屯基地、第36警戒群:襟裳、第45警戒群:当別分屯基地、第42警戒群:大湊分屯基地、第33警戒群:加茂分屯基地、第37警戒群:山田分屯基地、第27警戒群:大滝根山分屯基地、第35警戒群:佐渡分屯基地、第23警戒群:輪島分屯基地、第44警戒群:峯岡山分屯田基地、第1警戒群:笠取山分屯基地、第5警戒群:串本分屯基地、第35警戒群:経ヶ岬分屯基地、第7警戒群:高尾山分屯基地、第9警戒群:下甑島分屯基地、第17警戒群:見島分屯基地、第19警戒群:海栗島分屯基地、第43警戒群:背振山分屯基地、第15警戒群:福江島分屯基地、第13警戒群:高畑山分屯基地、第56警戒群:与座岳分屯基地、第54警戒群:久米島分屯基地、第55警戒群:沖永良部島分屯基地、第53警戒群:宮古島分屯基地)に配置されたレーダー・サイトと中央管制システムによって成り立っており、1個飛行隊は三沢基地に配置されたグラマンE-2Cホーク・アイ早期警戒機13機からなる。

 要撃戦闘機部隊は10個飛行隊、支援戦闘機部隊は3個飛行隊、航空偵察部隊は1個飛行隊、航空輸送部隊は3個飛行隊と定められ、作戦用戦闘機430機、うち戦闘機350機と定められた。

要撃戦闘機はノース・アメリカンF-86Fセイバー戦闘機435機、ノース・アメリカンF-86Dセイバー・ドッグ戦闘機122機、ロッキードF-104J/DJスター・ファイター戦闘機230機、マクドネル・ダグラスF-4EJファントム戦闘機(初飛行1958年、自重13500kg、総重量18818kg、推力79,62kN×2)140機(注1)と、更新され続けた。

また1977年に国防会議で導入が決定し、1980年から導入されたマクドネル・ダグラスF-15J/DJイーグル戦闘機(初飛行1972年、自重12973kg、総重量20244kg、最大重量30845kg、推力105,7kN×2)が225機の導入が計画された。(200機に縮小、総生産数は213機)。(注2)

F-15J/DJ戦闘機は1981年に西部航空方面隊の新田原基地に第5航空団隷下に「F-15臨時飛行隊」が結成され配備されたのをはじめに、第202飛行隊に続いて配備され、1984年に第2航空団隷下に第203飛行隊へのF-15J/DJが配備されたことでF-104Jの更新を完了、第204飛行隊(茨城県・百里基地)、第305飛行隊(石川県・小松基地)、第304飛行隊(福岡県・築城基地)と配備が続いていった。

F-15J/DJイーグル戦闘機は、大型にもかかわらずチタニウム合金を従来機より大幅に使用したため重量が抑えられ、大推力による高機動、高速巡航で空戦において圧倒的に優位に立つ。

電子装備も大型な機体を生かし、大型ゆえ高性能なAPG-63レーダー火器管制システムを搭載している。

電子戦装置はアメリカ議会の反対で導入できなかった戦術電子戦システムTEWS(AN/ALR-56レーダー警戒装置、AN/ALQ-135電子妨害装置、AN/ALQ-128電子戦警戒受信装置、AN/ALE-45チャフ/フレア・ディスペンサーなどで構成)に代えて、日立製作所が開発した国産電子戦装置J-TEWS(J/APR-4レーダー警戒装置、J/ALQ-8電子妨害装置、AN/ALE-45Jチャフ/フレア・ディスペンサー、J/APQ-1後方警戒装置などで構成)を装備し、20世紀では超一流の性能を誇った。

 支援戦闘機部隊は3個飛行隊とされた。当初は、F-86Fセイバー戦闘機であったが、1977年から三菱重工業F-1支援戦闘機(初飛行1975年、自重6550kg、推力32,46kN×2)に更新されていった。第3飛行隊(青森県・八戸基地)、第6飛行隊(福岡県・築城基地)、第8飛行隊(宮城県・松島基地)に配備され、1984年までに77機が生産された。

 航空偵察部隊は1個飛行隊とされ、RF-4EJ偵察機が13機配備され、後にF-4EJ戦闘機を偵察機改造したうえで、17機が追加されていく。

 航空輸送部隊は3個飛行隊とされ、川崎重工業C-1輸送機が27機(ペイロード8トン)、ロッキードC-130Hハーキュリーズ輸送機(ペイロード18トン)が16機、日本航空機製造YS-11が9機配備されていた。

 地対空誘導弾部隊には6個群とされ、北海道・千歳基地、青森県・八戸基地、埼玉県・入間基地、岐阜県・岐阜基地、福岡県・春日基地、沖縄県・那覇基地に配備されている。当初は、ナイキ・ハーキュリーズ地対空ミサイルであったが、1989年からMIM-104 PATRIOT(Phased Array TRacking to Interceptor Of Target)防空システムに更新されている。

 主要装備は約430機とされ、そのうち戦闘機は350機と定められた。

 

 

 

 

 

第6章 1995年 新・防衛計画の大綱における防衛体制

 

 

 1995年(平成7年)11月28日に内閣安全保障会議と閣議によって「平成8年度以降に係る防衛計画の大綱について」(新・防衛計画の大綱)が決定した。(注1)この新・防衛計画の大綱では、

 

・東西の圧倒的な対立解消と紛争の多発

・大量破壊兵器の存在

・ロシア軍の兵力変化と大規模な軍事力の存在、軍事力の拡充、近代化

・依然、不透明、不確実で、わが国にも波及する可能性が日米安全保障条約が重要である

 

とされた。

 

そうした情勢の下、わが国が採るべき安全保障と防衛力の役割として、

 

・「 日本国憲法の下、外交努力の推進および内政の安定による安全保障基盤の確立を図りつつ、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならないとの基本理念に従い、日米安全保障体制を堅持し、文民統制を確保し、非核三原則を守りつつ、節度ある防衛力」、

 

・「必要最小限の基盤的な防衛力を取り入れる『基盤的防衛力構想』に従い、軍事力の削減や、軍事態勢の変化がみられることや、地域紛争の発生や大量破壊兵器の拡散など安全保障上考慮すべき事態が多様化しており、科学技術の進歩、若年人口の減少、厳しさを増す経済財政事情に配意し、最も効率的で適切なもの。」、

 

・「合理化、効率化、コンパクト化を一層進めるとともに、防衛力の質的向上と多様な事態に有効に対処できるよう弾力性を確保する」、

 

・「 アメリカとの安全保障体制はわが国の安全確保に必要不可欠」、

 

・「 周辺諸国の軍備に配慮しつつ、わが国の地理的特性に応じ防衛力を適切な規模で、日米安全保障体制とあいまって、侵略の未然防止に努める」、

・「大規模災害やテロリズムに対応する」

 

・「国際協力を推進する」

 

とされた。

 

第1節 陸上自衛隊

 

編成定数は16万人とされ、常備自衛官定員は14万5千人、即応予備自衛官は1万5千人とされた。若年人口の減少とたえず90%にとどまる充足率の陸上自衛隊の実状に合わせるとともに、危機が低下したとの認識のもとに、旧・防衛計画の大綱の編成定員18万から大幅に削減される一方、即応予備自衛官制度が導入され有事の際に対応しようとした。

平時地域に配備される部隊は9個師団と6個旅団とされた。強化、近代化の進む中国軍による南西地方の島嶼部占拠や、北朝鮮によるミサイル攻撃、ゲリラ・コマンド対処のため沖縄の第1混成団と四国の第2混成団を旅団化して強化する一方で、ソ連の消滅と極東ロシア軍の弱体化にともなって北海道への着上陸という危機が低下したと考えられる北海道の第5師団と第11師団が旅団化される。第5師団は第5特科連隊と第5戦車大隊が第5特科隊と第5戦車隊に大幅に縮小されるとした。

また、中国地方に配備される第13師団も第46普通科連隊が廃止され、また第13特科連隊が第13特科隊に大幅に縮小、定員7100名の乙師団から大幅に縮小・削減された定員4100名の旅団となった。南関東と静岡・山梨を防衛地域にする第1師団と、近畿地方を防衛地域として配備される第3師団が政経中枢師団として、普通科部隊を中心とした市街戦も重視した地域防衛部隊に改変されるとした。

なお、第3師団は第45普通科連隊(京都府・大久保駐屯地)が廃止され、定員8800人の甲師団から、定員7000人の乙師団へ降格されることとなった。一方で、中部地方を防衛地域とする第10師団は定員7000人の乙師団から、定員8800人の甲師団へと昇格した。有事には戦略機動師団として南関東、近畿を中心に各地に展開する。第49普通科連隊が新設されるたものの即応予備自衛官が中心である。第13旅団は海上自衛隊の呉基地に配備されている輸送艦を利用し、有事の際には揚陸展開される予定であった。

北関東と長野・新潟を防衛地域とする第12師団も旅団化される。この地方の特性である山岳地帯において迅速・有効に展開するため空中機動力が強化され、高速機動力、大量輸送力に優れるシコルスキーUH-60JAブラック・ホーク汎用ヘリコプター、ボーイングCH-47JAチヌーク輸送ヘリコプターの配備が優先して進められる予定であった。一方で第12戦車大隊が廃止され、大幅な火力の削減となった。

第6師団は第21普通科連隊に代わり第44普通科連隊が編入され、第9師団は第38普通科連隊に代わり第21普通科連隊が編入された。

 また、装備も北海道の部隊優先の傾向から地域特性、緊急性のある部隊など、均衡化したものとなっていった。政経中枢師団の第3師団にはトヨタ自動車・高機動車やトムソン・ブランツL16 81mm迫撃砲、ロイヤル・オーディナンスRT 120mm迫撃砲が優先配備された。第1師団は120mm重迫撃砲中隊を解隊し、普通科中隊を増加させる計画になった。ゲリラ・コマンド対処に必要である普通科要員を増加させ、小松製作所の軽装甲機動車も優先して配備される計画であった。また、従来の機甲化、機械化の推進の傾向から、小銃、機関銃、対戦車ミサイルなど普通科部隊の軽歩兵としての装備の充実が図られ、ゲリラ・コマンド対処、市街戦対策に力が注がれるようになった。

北海道の部隊には、その地形特性を考慮して機械化が以前と同様に優先して進められ、60式装甲車の更新、73式装甲車の後継として、イニシャル・コスト、ランニング・コストに優れる装輪(タイヤ式)の小松製作所96式装輪装甲車が配備されていった。しかしながら、1輌あたり1億円以上と、GMカナダ製造の装輪装甲車LAVシリーズ原型の価格の4倍以上と非常に高く、なかなか配備が進まない。また、歩兵戦闘車である三菱重工業89式装甲戦闘車も年産数量程度の生産数にとどまり、価格も高騰し、配備が進んでいない。

しかしながら、1輌あたり10億円近くし、西側欧米諸国の主力戦車よりは割高だった90式戦車は量産が進み徐々に価格が下がり、配備は徐々に進み、旧型の61式戦車を退役に追い込んだ。90式戦車が北部方面隊に配備されると、北部方面隊で使用されていた第2世代戦車の74式戦車が中部方面隊、西部方面隊に配備されるようになった。

機動運用部隊である第7師団(1個機甲師団)、第1空挺団(1個空挺団)、第1ヘリコプター団(1個ヘリコプター団)は旧・防衛計画の大綱と同じく維持された。第7師団の戦車連隊(第71戦車連隊、第72戦車連隊、第73戦車連隊)はすべて90式戦車化され、第11普通科連隊も機械化が完了した。第1空挺団は1500名から300名から500人程度の増員が計画され、迅速な部隊運用能力を有する第1空挺団が強化される。第1ヘリコプター団もCH-47J/JAチヌーク輸送ヘリコプターで統一されており、輸送能力を高く保っている。

地対空誘導団部隊も旧・防衛計画の大綱と同じく8個高射特科群が維持されている。装備も改ホーク地対空ミサイルの能力向上と、新中距離地対空誘導団(03式中距離地対空誘導団、新中SAM)の導入が少しずつ進められ、防空能力の向上が図られている。

戦車の保有数は旧・防衛計画の大綱に定められた1200両から25%減となる900両へ削減され、主要特科装備(火砲)も1000門/両から900両へと、10%削減されることとなった。日本の財政制度、諸政策により大量生産が不可能で、価格を低減させることができず、装備の配備を進められない日本にとって、数量の削減は、質的な均質化を進めるという皮肉な結果を生んでいる。

 

第2節  海上自衛隊

 

新・防衛計画の大綱でも、シー・レーン防衛、機動運用に当たる4個護衛隊群は維持され

た。このあいだにイージス護衛艦4番艦DDG176「ちょうかい」が竣工し、4個護衛隊群すべてにイージス艦が配備され、艦隊防空は飛躍的に高く保たれることとなった。

また新型汎用護衛艦DD101「むらさめ」を1番艦とするむらさめ級汎用護衛艦の導入がはじまった。Mk41垂直発射システムにMk46魚雷搭載アスロック16発を装填している。対水上戦闘艦と対潜水艦の自衛にはMk46魚雷装填の68式三連装短魚雷発射管を2基、OTOメララ 76mmコンパクト砲1門、90式艦対艦ミサイル(SSM-1)8発があたる。対空自衛にはMk48垂直発射システムにRIM-7シー・スパロー短距離艦対空ミサイル16発、Mk15ファランクス20mmバルカン機関砲近接防御システム2基があたる。射撃統制装置はフェーズド・アレイ・レーダー型の射撃統制装置3型(FCS-3)は搭載されず、従来型の射撃統制装置2型31(FCS-2-31)という改良型にとどまった。また、こんごう級護衛艦と同様にステルス性を意識した船型を採用しているが、傾斜角はそれほどではなくステルス性は限定的なものであると思われる。搭載ヘリコプターはSH-60Jシー・ホーク対潜哨戒ヘリコプターである。2002年までに9隻が導入され、1982年に導入の始まった汎用護衛艦はつゆき級護衛艦の大部分を地方隊へ追いやった。

 地方隊は10個隊から7個隊へと30%削減された。そのぶん、地方隊の装備・能力は向上し、数的削減を質的向上で補ったかたちである。

 作戦用航空機は旧・防衛計画の大綱の220機、陸上哨戒機部隊16個隊から新・防衛計画の大綱では170機、13個隊へと大幅に削減された。航空機の新規導入は旧式機の代替にともなうものだけであったから能力的にも削減である。ロシアの不安定さ、中国人民解放軍海軍の増強を考えると問題である。

 掃海部隊も2個掃海隊群から1個掃海隊群に半減された。このあいだ、潜水艦を狙う深深度敷設機雷の処分用に導入されたMSO-301「やえやま」を1番艦とするやえやま級掃海艦が1993年から1994年に3隻導入されている。

また、老齢化した掃海母艦と機雷敷設艦の代替にMST-463「うらが」級を1番艦とするうらが級掃海母艦が2隻就役した。1個掃海隊群・掃海艇12隻へ支援・補給し、シコルスキーMH-53Eシー・ドラゴン掃海ヘリコプターを運用して、高性能機雷敷設能力を保有する。掃海能力は質的には向上したが数的には削減され、機雷というテロリストにも使用可能な貧者の兵器の処理能力の削減は、北朝鮮やテロの脅威がある時に問題である。

 潜水艦部隊は6個隊16隻体制が維持された。ただでさえ少ない潜水艦部隊を削減しなかったのは当然といえよう。1998年に就役したSS-590「おやしお」を1番艦とするおやしお級(基準排水量2750トン、水中排水量3000トン、ディーゼル・エレクトリック推進、533mm魚雷発射管6門)からは従来の運動性重視の涙滴型船体から、静粛性に優れる葉巻型船体に変更された。さらに音響のステルス化をはかるため、吸音タイルを多用した。フランク・アレイ・ソナー、コンフォーマル・アレイ・ソナーを搭載し、捜索探知能力を向上させている。船殻には高張力鋼NS80、NS110が使用され、潜行深度も向上している。

 

第3節  航空自衛隊

 

旧・防衛計画の大綱に定められていた航空警戒管制部隊28個群から8個群・20個隊

と大きく削減された。自動化が進んだこともあるが、正当な削減理由が提示されていない。1個飛行隊は維持され、さらに空中警戒管制システム機で、広範囲の捜索、高速度処理による管制、などで高い警戒管制能力を持つボーイングE―767早期警戒管制機が4機導入された。

 要撃戦闘機部隊も10個飛行隊から9個飛行隊に削減された。極東ロシア軍、中国軍ともに装備を近代化、強化しているなかでの削減の蓋然性は考えられない。削減ありきの削減で、軍縮イメージを打ち出した感がある。

要撃戦闘機部隊の主力はF-15イーグル戦闘機203機で、生産時期によって使用が異なる。1985年生産分からはセントラル・コンピューターが新型化され、1991年生産分からは電子制御式F100エンジンを搭載している。後期生産分はMSIP(段階的改良計画)機として、前期生産機分(PRE―MSIP)機とは異なった機体となっている。宮崎県・新田原基地の第202飛行隊は航空教育集団隷下の第23飛行教育航空隊に改変された。F-4EJファントム戦闘機の要撃戦闘機部隊は第301飛行隊(宮崎県・新田原基地)、第302飛行隊(沖縄県・那覇基地)で南西に偏っている。

そのF-4EJファントム戦闘機は、レーダー火器管制装置はF-16A/B戦闘機と同様のAPG-66に換装、アナログ方式からデジタル方式のセントラル・コンピューターへの換装、レーダー警戒装置はF-15Jと同様のALR-56Cに換装されている。搭載ミサイルは80式空対艦ミサイル(ASM-1)、AIM-9Lスパロー空対空ミサイル,AIM―7F/L空対空ミサイルが搭載可能になっている。(注2)しかし、デジタル・データ・バスが無いため、ミサイル発射後ただちに回避措置のとれるAIM-120空対空ミサイル、AAM-4空対空ミサイルが運用できない。早晩使用は不可能となる。そして、相対的な戦力低下は否定できず、後継機の早期配備が望まれた。

支援戦闘機部隊は3個飛行隊のまま維持された。ただでさえ少ないものを削減しようが無かった。第8飛行隊(青森県・三沢基地)はF-1からF-4EJ改に機種更新され、第3飛行隊は次期支援戦闘機FSXであった三菱重工業/ロッキード・マーティンF-2(旧称・F-16SX-3)支援戦闘機(自重9527kg、離陸最大重量22100kg、推力131,2kN×1)に機種更新されており(注3)、戦力は向上している。第6飛行隊も2005年までにF-2支援戦闘機に機種更新された。

航空偵察機部隊、航空輸送部隊は新・防衛計画の大綱においても旧・防衛計画の大綱と同じくそれぞれ1個飛行隊、3個飛行隊が維持され、機種も同様である。

地対空誘導弾部隊は6個高射群が維持され、MIM-104C PAC2(PATRIOT能力向上型2)に改良されている。若干の弾道ミサイル迎撃能力を持つようになった。

主要装備は旧・防衛計画の大綱の作戦用航空機約430機、戦闘機350機から新・防衛計画の大綱ではそれぞれ約400機、300機と削減され、台湾、韓国よりも少ないものにされてしまった。ただでさえ少ない日本の作戦用航空機が周辺国の大幅な軍備拡張にもかかわらず、新世代機(ロッキード・マーティンF-22ラプター戦闘機など)の増備なしに削減されたのは問題である。

 

 

 

第7章 東アジア各国の戦力

 

第1節 東アジア各国の戦力 アメリカ合衆国太平洋軍 1990年代

 

アメリカ合衆国軍は世界各地に展開しており、地域コマンドとして欧州軍、太平洋軍、中央軍、南方軍、北方軍があるが、東アジアは太平洋軍(United States PAcific COMmand,U.S.PACOM)が受け持っている。太平洋軍はハワイ州オアフ島のキャンプ・H・M・スミスに司令部を置き、司令官は海軍大将である。西経92度から東経42度、北極から南極まで太平洋、インド洋、北極海を水域に持ち、地球の半分を責任地域とする。

アメリカはこの地域の日本、韓国、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランド、タイと条約を締結し、同盟国家としている。

アメリカ太平洋軍は傘下に太平洋艦隊(19万1000人)、太平洋陸軍(3万人)、太平洋海兵隊部隊(6万8000人)、太平洋空軍(4万5000人)があり、さらに地域統合軍として在日米軍(USFJ)、在韓米軍(USFK)、アラスカ軍、ハワイ陸軍、太平洋特殊作戦軍がある。(注1)

 合衆国陸軍第6歩兵師団第1旅団から改編された第172歩兵旅団(独立)「スノー・ホークス」(アラスカ州フォート・ウェインライト)は、定員3800人で、M998ハマー高機動多目的装輪車両(HMMWV)シリーズを主装備とする軽歩兵部隊であった。緊急展開能力があり、シコルスキーUH-60ブラック・ホーク汎用ヘリコプター、ボーイングCH-47チヌーク輸送ヘリコプターも有し、高機動力を生かした作戦が可能であった。

ハワイ州スコフィールド・バラックスには1万7000人の合衆国陸軍第25歩兵師団(軽)「トロピック・ライトニング」が駐留している。3個旅団編成であった。また、UH-60Lブラック・ホーク汎用ヘリコプターも保有している。

 韓国には合衆国陸軍第8軍がソウルに司令部を置き、傘下に第2歩兵師団「インディアン・ヘッド」(議政府キャンプ・レッドクラウド)、第6騎兵旅団、第17航空旅団などを置いていた。

主力である第2歩兵師団第1旅団戦闘団はゼネラル・ダイナミクス(旧クライスラー・ディフェンス)M1A1HAエイブラムス戦車、ユナイテッド・ディフェンス(現・BAEシステムズ)M2A3ブラッドレー歩兵戦闘車を配備する機械化歩兵部隊である。第2歩兵師団第2旅団戦闘団はUH-60Lブラック・ホーク汎用ヘリコプターによるヘリボーン作戦部隊であった。

第6騎兵旅団はマクドネル・ダグラスAH-64Aアパッチ攻撃ヘリコプター、ボーイングAH-64Dロングボウ・アパッチ攻撃ヘリコプターを主装備とする部隊である。

第17航空旅団にはUH-60Lブラック・ホーク汎用ヘリコプター、CH-47Dチヌーク輸送ヘリコプターが配備された。

また、烏山基地には第160特殊戦航空連隊「ナイト・ストーカーズ」第4大隊が駐屯し、シコルスキーMH-60L/K特殊作戦ヘリコプター、マクドネル・ダグラスMH-6リトル・バード特殊作戦ヘリコプター、マクドネル・ダグラスAH-6キラー・エッグ攻撃ヘリコプターを配備し、対テロ・ゲリラ・コマンド作戦に迅速に対応できるような態勢においている。(注2)

 日本にはキャンプ座間に合衆国陸軍第9軍から改編された合衆国陸軍第9戦域陸軍地域コマンド司令部が置かれた。あとは補助部隊で太平洋陸軍の実戦部隊は置かれていなかった。しかし、特殊作戦軍(United States Special OperationCOMmand U.S.SOCOM)のもとにおかれる第1特殊部隊群(1stSFG、グリーン・ベレー、司令部:ワシントン州フォート・ルイス)第1大隊が沖縄県トリイ・ステイションに駐留している。また第1特殊部隊群作戦分遣隊D(デルタ・フォース、400人、ノース・キャロライナ州フォート・ブラッグ)、第1特殊部隊群第2大隊、第1特殊部隊群第3大隊、第19特殊部隊群、合衆国海軍SEAL  TEAM1、SEAL TEAM5が特殊作戦に投入される。

第75レンジャー連隊(3個大隊2300人、司令部:ジョージア州フォート・ベニング)も緊急展開部隊として投入される。第75レンジャー連隊には、第75レンジャー連隊第1大隊(ワシントン州ルイス・マッコード統合基地)、第75レンジャー連隊第2大隊(ジョージア州ハンター陸軍飛行場)、第75レンジャー連隊第3大隊(ジョージア州フォート・ベニング)がある。(注2)

第18空挺軍団(ノース・キャロライナ州フォート・ブラッグ)のもとにおかれる第82空挺師団「オール・アメリカン」(1万6千人、ノース・キャロライナ州フォート・ブラッグ)と、第101空挺師団(空中強襲)「スクリーミング・イーグルス」(1万6千人、ケンタッキー州フォート・キャンベル)、第10山岳師団(ニュー・ヨーク州フォート・ドラム)も大規模な緊急展開部隊として派遣される。これらは第160特殊作戦航空連隊とともに、空挺作戦、ヘリ・ボーン作戦を展開する。さらに第3歩兵師団(機械化)「ロック・オブ・ザ・マルヌ」(ジョージア州フォート・スチュアート)が控えている。

 太平洋海兵隊部隊は兵員約6万人、M1A1戦車、GMカナダ(現・GDLSカナダ)LAV装輪装甲車、フード・マシナリー・アンド・ケミカル・コーポレーション(現・BAEシステムズ)AAV7水陸両用強襲車を装備する。(注2)

航空機はマクドネル・ダグラス(現・ボーイング)F/A-18A/C/Dホーネット戦闘攻撃機(原型YF-17初飛行1974年、実戦配備生産型F/A-18A/B初飛行1978年、機体空虚重量10455kg、推力78,3kN×2)を12個飛行隊144機(注3)、マクドネル・ダグラス(現・ボーイング)AV-8BハリアーⅡ垂直離着陸攻撃機(初飛行1978年、機体重量5670kg、推力95,kN×1)(注4)を188機装備し、近接航空支援をおこなう。

輸送機能はシコルスキーCH-53Dシー・スタリオン輸送ヘリコプター(定員37人)、シコルスキーCH-53Eスーパー・スタリオン輸送ヘリコプター(定員65人)、ボーイング・ヴァートルCH-46シー・ナイト輸送ヘリコプター(定員26人)、ベルUH-1Nツイン・ヒューイ汎用ヘリコプター(定員11人)で兵員を輸送する。

また合衆国海兵隊はベルAH-1Wスーパー・コブラ攻撃ヘリコプターなどヘリコプター408機、輸送機など36機を有する高機動・高攻撃力で、緊急展開が可能な部隊である。アメリカ海軍の太平洋艦隊の強襲揚陸艦6隻(ヘリコプター30機、エアー・クッション揚陸艇3隻搭載、収容人員1900人×6)、ドック型輸送揚陸艦8隻(ヘリコプター6機、エアー・クッション揚陸艇4隻搭載、収容人員840人×8)、ドック型揚陸艦6隻(エアー・クッション揚陸艇4隻搭載、収容人員500人×6)によって紛争地帯、危機地帯に派遣される。

沖縄県にS・D・バトラー海兵隊基地司令部がおかれ、第3海兵遠征軍が駐留する。沖縄県キャンプ・コートニーには第3海兵機動展開部隊司令部と、第3海兵師団司令部がおかれ、海兵隊の各部隊が沖縄県のキャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブの第4海兵連隊、普天間基地の第36海兵航空群など中心に配備され、周辺国に抑止力として睨みを利かせている。

山口県岩国基地にはマクドネル・ダグラスF/A―18A/Bホーネット戦闘攻撃機、マクドネル・ダグラスAV-8BハリアーⅡ短距離離陸・垂直離着陸攻撃機が配備され、海兵隊地上戦闘部隊への近接航空支援を可能にしている。

合衆国海兵隊の電子戦機はグラマン(現・ノースロップ・グラマン)EA-6Bプラウラー電子戦機4個飛行隊22機があった。空中給油機はKC-130T空中給油機からKC-130J空中給油機に置き替えられた。

 アメリカ合衆国海軍は、現役兵力約33万人で、艦艇は300隻近く有する世界最大の海軍で、世界2番目の空軍となる航空戦力がある。そのうち、東アジアを責任地域とするアメリカ太平洋艦隊(ハワイ州パール・ハーバー・ヒッカム統合基地)は、東太平洋の第3艦隊(カリフォルニア州サン・ディエゴ基地)と西太平洋の第7艦隊(神奈川県横須賀基地)の2個艦隊が実戦配備、訓練、休養、整備、補修などローテーションを組みながら共通運用されている。太平洋艦隊の人員は現役兵力15万人で、艦艇は200隻近くが配備されている。

 ニミッツ級原子力空母は、満載排水量91847トン、1番艦ニミッツ就役1975年、原子力蒸気タービン推進、収容機材は空母艦載機70機、ヘリコプター10機搭載している。Mk29発射機に装填するRIM-162発展型シー・スパロー・ミサイル短距離艦対空ミサイル32発、Mk49発射機2基に装填するRIM-116回転飛翔体ミサイル近接防御艦対空ミサイルを42発、Mk15ファランクス20mmバルカン機関砲近接防御武器システム2基で対空自衛にあたる。ニミッツ級原子力空母は太平洋艦隊に5隻配備されている。

空母キティ・ホークとコンステレーションは満載排水量83960トン、蒸気タービン推進で、収容機材、兵装はMk29発射機(RIM-162発展型シー・スパロー・ミサイル短距離艦対空ミサイル32発)、Mk49発射機2基(RIM-116回転飛翔体ミサイル近接防御艦対空ミサイル42発)、Mk15ファランクス20mm機関砲近接防御武器システム2基である。(注5)

 タイコンデロガ級巡洋艦は、満載排水量9500トン、1番艦CG-47タイコンデロガ就役1983年、ガス・タービン推進で、艦隊防空システムにイージス・システムを搭載している。

 タイコンデロガ級巡洋艦1番艦CG-47タイコンデロガの兵装は、Mk26連装発射機(RIM-67スタンダードER艦対空ミサイル88発)、Mk141発射機2基(RGM-84ハープーン艦対艦ミサイル8発)、Mk32 324mm3連装短魚雷発射管2基(Mk46魚雷6発)としている。砲はMk45 127mm単装砲2門、Mk15ファランクス20mm機関砲近接防御システム2基である。搭載ヘリコプターはSH-60Bシー・ホーク/SH-60Fオーシャン・ホーク哨戒ヘリコプター2機である。

タイコンデロガ級巡洋艦6番艦CG-52バンカー・ヒルより、Mk26連装発射機はMk41垂直発射システム122セル(RIM-67スタンダードERミサイル艦対空ミサイルまたはRIM-156SM2艦対空ミサイルを96発、RGM-109トマホーク艦対地ミサイルを26発、ミサイル装填用クレーン6基)に変更された。搭載ヘリコプターはSH-60Bシー・ホーク/SH-60Fオーシャン・ホーク哨戒ヘリコプター2機である。タイコンデロガ級巡洋艦は太平洋に13隻配備されている。(注6)

 アーレイ・バーク級駆逐艦は、満載排水量8500トン、1番艦DDG-51アーレイ・バーク就役1988年、ガス・タービン推進、艦隊防空システムにイージス・システムを搭載している。Mk41垂直発射システム96セルにRIM-66スタンダードMRミサイル艦対空ミサイル、RIM-156SM2艦対空ミサイル、RGM-109トマホーク艦対地ミサイル、RIM-162発展型シー・スパロー・ミサイル短距離艦対空ミサイル、Mk46魚雷搭載対潜ロケットが装填される。Mk141発射機にはRGM-84ハープーン艦対艦ミサイル8発を装填する。Mk32 324mm短魚雷発射管2基にMk46魚雷を6発装填する。砲はMk45 127mm単装砲1門、Mk15ファランクス20mmバルカン機関砲近接防御武器システム2基である。アーレイ・バーク級駆逐艦はステルス性を意識した船体である。太平洋艦隊には14隻配備された。(注7)

現在も建造が続くアーレイ・バーク級駆逐艦フライトⅡA型はヘリコプター格納庫を増備している。

 スプルーアンス級駆逐艦は、満載排水量8040トン、1番艦DD-963スプルーアンスが1975年に就役した。ガス・タービン推進である。非改修型はMk112発射機   (Mk46魚雷搭載ASROC8発)、Mk29発射機(RIM-7Mシー・スパロー短距離艦対空ミサイル8発)、Mk143発射機(RGM-109トマホーク陸上攻撃ミサイル8発)、Mk141発射機(RGM-84ハープーン艦対艦ミサイル8発)、Mk45 127mm砲2門、Mk15ファランクス20mm砲2基を装備している。改修型はMk41垂直発射システム64セル(RGM-109トマホーク艦対地ミサイル48発、Mk46搭載対潜ロケット16発)Mk32 324mm短魚雷発射管2基(Mk46魚雷6発装填)、Mk45 127mm砲2門、Mk29発射機(RIM-7Mシー・スパロー短距離艦対空ミサイル8発)、Mk15ファランクス20mmバルカン機関砲近接防御武器システム2基を装備している。搭載ヘリコプターはシコルスキーSH-60Bシー・ホーク/SH-60Fオーシャン・ホーク哨戒ヘリコプター2機。(注8)スプルーアンス級駆逐艦は10隻配備されていた。 

オリヴァー・ハザード・ペリー級フリゲートは、満載排水量4100トン、1番艦FFG-7オリヴァー・ハザード・ペリー1982年就役、ガス・タービン推進、Mk13単装ミサイル発射機に40発(RIM-66スタンダードMRミサイル艦対空ミサイル、RGM-84ハープーン艦対艦ミサイル装填)を装填し、対潜水艦自衛としてMk32 324mm短魚雷発射管2基にMk46魚雷6発装填する。砲はMk75 76mm単装砲1門(OTOメララ・コンパクト砲)、Mk15ファランクス20mmバルカン機関砲近接防御武器システム1基で、搭載ヘリコプターはシコルスキーSH-60Bシー・ホーク/SH-60Fオーシャン・ホーク哨戒ヘリコプター2機である。太平洋艦隊には15隻配備されている。最近は密輸取り締まり、対テロのためMk13ミサイル発射機に代えてMk38 25mm機関砲を装備している艦も多い。

オリヴァー・ハザード・ペリー級フリゲートの事実上の後継は、LCS(沿岸戦闘艦)である。ロッキード・マーティン提案マリネット・マリーン造船所建造のフリーダム級LCS(1番艦LCS-1フリーダム)と、オースタルUSA提案ゼネラル・ダイナミクス・バス・アイアン・ワークス建造のインディペンデンス級LCS(1番艦LCS-2インディペンデンス)が採用された。

潜水艦の主力はロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦である。水中排水量6982トン、1番艦SSN-668ロサンゼルス就役1976年、原子力蒸気タービン推進、533mm魚雷発射管4門装備(Mk46魚雷、UGM-84ハープーン潜対艦ミサイル)、後期建造型はUGM-109トマホーク陸上攻撃ミサイル12基搭載する。太平洋艦隊には25隻配備されている。静粛性に優れ、同時期の原子力潜水艦ではトップである。(注10)

 シー・ウルフ級攻撃型原子力潜水艦は水中排水量9100トン、1番艦SSN-21シー・ウルフ就役1996年、原子力蒸気タービン推進、660mm魚雷発射管8門装備(Mk48ADCAP魚雷、UGM-84ハープーン潜対艦ミサイル)の配備は3隻に終わった。静粛性、大深度航行、高速航行、戦闘システムすべてにおいて優れたが、4500億円と高価で配備が進まなかった。(注11)

 シー・ウルフ級攻撃型原子力潜水艦は、米ソ冷戦時代のソ連原子力潜水艦探知、追跡を主任務に建造された潜水艦だったため、大深度行動能力、高速航行、高い運動能力をもつ「世界最強」の潜水艦だったが、ロシア潜水艦勢力の弱体化、4500億円という高価格だったため、3隻で建造が打ち切られた。そして3番艦SSN-23「ジミー・カーター」は大幅な設計変更がなされた。船体を30メートル延長、それにともなって水中排水量は12100トンとなった。船体大型化の原因は特殊部隊隊員収容設備を設置したことにある。

全世界で18隻配備されているオハイオ級弾道ミサイル搭載戦略原子力潜水艦は水中排水量18750トン、1番艦SSBN-726オハイオ就役1981年、原子力蒸気タービン推進、533mm魚雷発射管にMk46魚雷搭載する。前期型はUGM-96Aトライデント(C-4)潜水艦発射弾道ミサイル24基搭載し、後期型はUGM-133AトライデントⅡ(D-5)潜水艦発射弾道ミサイル24基搭載する。(注12)

オハイオ級弾道ミサイル搭載戦略原子力潜水艦の1番艦から4番艦までの4隻はSTART(戦略兵器削減条約)により、トライデントC4潜水艦発射弾道ミサイル24基の装備から、UGM-109トマホーク陸上攻撃ミサイル154発ほど搭載する巡航ミサイル搭載原子力潜水艦(SSGN)に改造された。

ワスプ級強襲揚陸艦は満載排水量40532トン、1番艦LHD-1ワスプ就役1989年、蒸気タービン推進である。対空自衛としてMk29発射機2基にRIM-7シー・スパロー短距離艦対空ミサイル16発、Mk49発射機2基にRIM-116回転飛翔体ミサイル近接防御艦対空ミサイル42発、Mk15ファランクス20mmバルカン機関砲近接防御武器システム2基が装備されている。搭載航空機は垂直離着陸航空機10機、ヘリコプター30機、搭載艦艇はエアー・クッション揚陸艇3隻、収容揚陸部隊隊員は1870人である。太平洋艦隊には3隻配備されている。(注14)

 タラワ級強襲揚陸艦は1番艦LHA-1タラワ1976年就役で、満載排水量、兵装、搭載航空機、搭載艦艇、収容揚陸部隊隊員はワスプ級強襲揚陸艦とほぼ同じである。

 ホイットビー・アイランド級ドッグ型揚陸艦は、満載排水量15726トン、1番艦LSD-41ホイットビー・アイランド就役1986年、ディーゼル推進、兵装はMk49射機2基にRIM-116回転飛翔体ミサイル近接防御艦対空ミサイル42発、Mk15ファランクス20mmバルカン機関砲近接防御武器システム2基、搭載艦艇はエアー・クッション揚陸艇4隻、収容揚陸部隊隊員は500人である。ホイットビー・アイランド級ドック型揚陸艦は太平洋艦隊に6隻配備されている。

オースティン級ドッグ型輸送揚陸艦は満載排水量16500トン、1番艦LPD-4オースティン就役1965年、兵装はMk15ファランクス20mmバルカン機関砲近接防御武器システム2基、搭載航空機はヘリコプター6機、収容揚陸部隊隊員は840人である。オースティン級ドッグ型輸送揚陸艦は太平洋艦隊に6隻配備されていた。(注16)

  アヴェンジャー級掃海艦は満載排水量1312トンで、太平洋艦隊に6隻配備されている。

 東アジア、西太平洋を担当する第7艦隊には1986年にタイコンデロガ級巡洋艦CG-52「バンカー・ヒル」、1987年にCG-53「モービル・ベイ」が配備されたが、後期建造型で防空能力の向上したCG-62「チャンセラーズヴィル」、CG-63「カウペンス」に配備艦が変更され、戦力、防空能力を向上させている。

また、早期に退役したスプルーアンス級駆逐艦の代替として、タイコンデロガ級巡洋艦の初期建造型であるCG-49「ヴィンセンズ」が配備され戦力を向上させた。

 またアーレイ・バーク級駆逐艦は、世界初の本格的ステルス船体を取り入れ、イージス・システムも能力向上型にグレード・アップされたものであるが、これも第7艦隊には早期に配備されている。

  横須賀基地を母港とする第7艦隊には、核アレルギーの強い日本を考慮して、通常推進型の空母が配備され続けてきた。また歴代、CV-41「ミッドウェイ」、CV-62「インディペンデンス」、CV-63「キティ・ホーク」と最古参の空母が配備され続けてきたが、メンテナンス、改修工事は充実しており、能力は高く保たれてきた。

太平洋艦隊の海軍航空機部隊は、グラマンF-14Aトムキャット戦闘機(初飛行1970年、自重18191kg、推力93kN×2)が主力であったが(注18)、次第に中心はマクドネル・ダグラスF/A-18A/B/C/Dホーネット戦闘攻撃機に代わった。戦闘機・攻撃機が約400機、ロッキード・マーティンP-3Cオライオン対潜哨戒機など哨戒機が約80機、シコルスキーSH-60Bシー・ホーク/SH-60Fオーシャン・ホーク哨戒ヘリコプターなどヘリコプター約200機などを配備していた。

兵站を担うのはボーイングC-40Aクリッパー輸送機とロッキード・マーティンC-130Tハーキュリーズ輸送機である。ほかの輸送機にはビーチクラフトUC-12B/F/M/W輸送機、ガルフストリームC-20A/D/G輸送機、ガルフストリームC-37A/B輸送機がある。

  合衆国空軍は「グローバル・パワー、グローバル・リーチ」をスローガンに、装備の数、質ともに世界最高の水準で、制空、電子戦、敵防空制圧、戦術爆撃、戦術偵察、航空阻止、近接航空支援、戦略偵察、戦略爆撃、世界展開、戦略輸送、戦術輸送すべてをこなすことのできる唯一の空軍である。

 おもな軍団(メジャー・コマンド)に空軍航空戦闘軍団(航空戦センター、第9空軍、第12空軍)、空軍グローバル・ストライク軍団(全地球攻撃軍団、第8空軍、第20空軍)、空軍航空機動軍団(空軍遠征センター、第18空軍)、空軍特殊作戦軍団(空軍特殊作戦航空戦センター、第23空軍)、空軍宇宙軍団(第14空軍、第24空軍)、太平洋空軍(第5空軍、第7空軍、第11空軍)、在ヨーロッパ合衆国空軍(第3空軍)、空軍教育訓練軍団(第2空軍)、空軍資材軍団(空軍ライフ・サイクル管理センター、空軍試験センター)、空軍予備軍団(第4空軍)、空軍州兵がある。

 合衆国空軍の爆撃航空団は、戦略爆撃だけでなく戦術爆撃もおこなうようになった。1992年に戦略航空軍団(SAC)と戦術航空軍団(TAC)が廃止され、航空戦闘軍団(ACC)に統合されてから、それは進んだ。

レーダーで捉えることは非常に困難であるノースロップ・グラマンB-2Aスピリット爆撃機を21機(TAI20機、PAI16機、生産機数21機)保有している。AGM-86巡航ミサイル、AGM-129巡航ミサイルの運用が可能なロックウェル・インターナショナルB-1Bランサー爆撃機を100機生産している。

500ポンドJDAM(統合直接攻撃爆弾、GPS誘導爆弾)を80発ほど機内に搭載できるボーイングB-52H爆撃機を200機(TAI84機、PAI53機)ほど保有する。

  制空戦闘機には20世紀最強の戦闘機であるマクドネル・ダグラスF-15A/B/C/Dイーグル戦闘機を800機保有している(合衆国空軍/空軍州兵向け総生産機894機、1989年調達終了)。1974年の実戦配備から数々の紛争に投入されてきたが、敵に撃墜されたことはない。E-3セントリー空中警戒管制システム機の支援を受け行動する。

 F-15イーグル戦闘機の後継の制空戦闘機として開発されたのがF-22Aラプター戦闘機である。1989年のパナマ侵攻を初陣に、アメリカの係わる戦闘においてなくてはならない存在となったロッキード・マーティンF-117ナイト・ホーク戦闘爆撃機から導入されたステルス技術は、ロシア、ヨーロッパ、日本より大幅に先を行っていった。そのステルス技術を導入、世界初の本格的ステルス制空戦闘機ロッキード・マーティンF-22Aラプター戦闘機(原型YF-22初飛行1990年、実戦配備型初飛行1997年、自重19700kg、推力156kN×2)は、ステルス技術以外にも高推力エンジンによるアフター・バーナーを使用せずにマッハ1,58という超音速巡航が可能で、推力偏向制御(TVC)装置による画期的な機動、長距離捜索・多目標同時処理が可能なAN/APG-77アクティヴ電子スキャンド・アレイ・レーダー火器管制装置、統合電子戦システムなどを導入、F-15戦闘機の「航空優勢戦闘機」からF-22戦闘機は「航空支配戦闘機」となった。(注22)当初、750機が生産される予定であったが、187機の生産にとどまった。

 制空任務、戦術爆撃任務をこなすデュアル・ロール・戦闘機には、対地攻撃に威力を発揮するAN/APG-70レーダー火器管制装置を装備し、2000ポンド爆弾や5000ポンド貫徹型爆弾「バンカー・バスター」を搭載できるように機体フレームを大幅に強化したボーイング(旧マクドネル・ダグラス)F-15Eストライク・イーグル戦闘爆撃機(初飛行1986年、実戦配備1988年、自重14379kg、推力129kN×2)が221機ある。(注20)

同様にデュアル・ロール戦闘機にロッキード・マーティンF-16A/B/C/Dブロック15/25/30/32/40/42/50/52ファイティング・ファルコン戦闘機(初飛行1974年、実戦配備1979年、F-16Cブロック40自重8627kg、推力129kN×1)を約1400機配備した(合衆国空軍、空軍州兵向け2231機製造、2005年調達終了)。F-16ファイティング・ファルコン戦闘機はコスト抑制と小型な機体ゆえに、当初はレーダー非搭載の昼間限定戦闘機として安価・大量配備を目指して開発されたが、小型でそれなりの性能のAN/APG-66レーダー火器管制装置の装備によって全天候型戦闘機となり、また機体の持つ潜在的能力が開花し制空、領域防空、本土防空、戦術爆撃、敵防空制圧など何でもこなす主力戦闘機として活躍することとなった。(注21)

 航空機動軍団(AMC)の隷下には、ペイロード108トンを誇る大型輸送機ロッキード・マーティンC-5Bギャラクシー輸送機とC-5Bギャラクシー輸送機の改良型C-5Mスーパー・ギャラクシー輸送機を120機生産、94機保有している。C-5Bギャラクシー輸送機はC-5Mスーパー・ギャラクシー輸送機に改修される。

C-130輸送機と同程度の短距離離着陸(900m)で戦略輸送、戦術輸送の両方もこなし、ペイロード78トンと戦車も輸送可能なボーイングC-17Aグローブ・マスターⅢ輸送機を212機生産・保有、そしてペイロード18トンで戦術輸送機の代名詞となっているロッキード・マーティンC-130E/Hハーキュリーズ輸送機とロッキード・マーティンC-130Jスーパー・ハーキュリーズを約600機保有する。

高官輸送用にボーイング737をベースにしたボーイングC-40Bクリッパー輸送機、兵站・人員輸送用にボーイングC-40Cクリッパー輸送機は11機がある。

 救難ヘリコプターにはHH-60Gぺイヴ・ホーク救難ヘリコプター99機が充てられていたが今後はHH-60M救難ヘリコプターに代替されていく。

空中給油機は、ボーイング717をベースとしたボーイングKC-135R/T空中給油機を560機(減少中、1956年生産開始、総生産機数730機)、KC-135空中給油機の2倍の給油能力を持つダグラスDC-10をベースにしたマクドネル・ダグラスKC-10エクステンダー空中給油機を59機保有している。

 合衆国空軍太平洋空軍は東西には東太平洋から西太平洋、インド洋、そして南北には北極から南極まで担当する戦域空軍である。太平洋空軍(司令部・ヒッカム空軍基地)の隷下には、戦闘航空団、混成航空団、輸送航空団をそれぞれ1個ずつ配備する第5空軍(東京都横田基地)、戦闘航空団を2個配備する第7空軍(韓国・烏山基地)、1個戦闘航空団と1個混成航空団を配備する第11空軍(アラスカ州エルメンドーフ空軍基地)、ボーイングB-52ストラトフォートレス爆撃機が配備され、1989年まで戦略航空軍団の基地として重責を担い、現在もその流れをくみ合衆国国家の前進基地として機能する第13空軍(グアム島アンダーセン空軍基地)がある。

 第5空軍の主力は沖縄県嘉手納基地の第18航空団で、F-15C/Dイーグル戦闘機を主力装備とし、制空戦闘を重視している。第44戦闘飛行隊、第67戦闘飛行隊にF-15C/Dイーグル戦闘機が配備され、支援戦力として第961空中指揮管制飛行隊のボーイングE-3セントリー空中警戒管制システム機、第909空中給油飛行隊のボーイングKC-135ストラトタンカー空中給油機、HH-60Gぺイヴ・ホーク救難ヘリコプターを装備し、F-15C/Dイーグル戦闘機を補佐する。

第35戦闘航空団は青森県三沢基地を本拠とし、第13戦闘飛行隊、第14戦闘飛行隊がF-16C/Dブロック50ファイティング・ファルコン戦闘機を装備する。第35戦闘航空団のF-16C/Dブロック50ファイティング・ファルコン戦闘機には、敵防空制圧(SEAD)任務が課せられており、有事の際はF-15C戦闘機護衛のもと、先んじて敵防空網制圧・破壊に投じられる。また三沢基地にはノースロップ・グラマンRQ-4Bグローバル・ホーク無人偵察機が展開する。第374輸送航空団は横田基地にロッキード・マーティンC-130H輸送機を配備しているが、有事の際は数多くの輸送機、支援機が指揮下に入ることが予想される。

 第7空軍は韓国防衛が主任務であり、仮想敵は北朝鮮である。F-16C/Dブロック40ファイティング・ファルコン戦闘機を装備する第8戦闘航空団(群山基地)は対地、対空の両方の戦闘に対応する。第51戦闘航空団(烏山基地)は、F-16C/Dブロック40ファイティング・ファルコン戦闘機とともに、対地攻撃、特に近接航空支援能力を重視した設計のフェアチャイルドA-10A/OA-10AサンダーボルトⅡ攻撃機を装備し、押し寄せる北朝鮮地上兵力の機械化部隊、機甲部隊への攻撃、友軍の進軍の支援のための近接航空支援が主要な任務である。第5空軍が日本を基盤とし、広く極東、東アジアをカバーするのに対し、第7空軍は韓国防衛に特化している。

 第11空軍は混成航空団の第3航空団(エルメンドーフ空軍基地)に、F-22Aラプター戦闘機、F-15Eストライク・イーグル戦闘爆撃機、F-15C/Dイーグル戦闘機、E-3セントリー空中警戒管制システム機、C-130Hハーキュリーズ輸送機を装備する大規模航空団で、有事の際は各地に展開する。第354戦闘航空団(アラスカ州イールスン空軍基地)はF-16C/Dファイティング・ファルコン戦闘機とOA-10CサンダーボルトⅡ攻撃機を装備する対地攻撃任務を主任務とする部隊で、アラスカ州に配備されている空中給油機とともに、各地に展開することが可能である。

 第13空軍は隷下に部隊をもっていない。第13空軍のグアム島アンダーセン空軍基地はB-2スピリット爆撃機が展開し、東アジアの危機に対応していた。

  支援任務にはボーイングE-3セントリー空中警戒管制システム機が32機、ボーイングE-4国家空中作戦センター機が4機、E-8A/C統合捜索目標攻撃レーダー・システム機が18機、RC-135リベット・ジョイント情報収集機が22機などがあたる。

 特殊作戦機にはAC-130Hガンシップ攻撃機、AC-130Uガンシップ攻撃機、E/M-130E特殊作戦・電子戦機、MC-130H特殊作戦機、MC-130P特殊作戦機、MC-130W特殊作戦機がある。

合衆国の核戦略を担うのは合衆国戦略軍(U.S.STRATCOM:United States STRATegic COMmand)で、輸送軍と同じく機能コマンドである。合衆国戦略軍は陸軍、海軍、空軍、海兵隊の4軍の戦略部門を統合するものである。合衆国の核戦略の基本はトライアド(三本槍)、地上発射大陸間弾道ミサイルによる攻撃、爆撃機による核爆弾投下、核弾頭搭載巡航ミサイル、核弾頭搭載短距離攻撃ミサイル攻撃、そして弾道ミサイル搭載戦略原子力潜水艦による攻撃の3つである。

 B-1Bランサー爆撃機は核爆弾をはじめ、空中発射巡航ミサイルAGM-86(射程距離2500km、弾頭200KT)を大量に搭載、発射可能である(B-1B爆撃機は現在、戦術任務のみ)。

B-52Hストラトフォートレス爆撃機は空中発射巡航ミサイルAGM-86と核爆弾による作戦がある。

B-2スピリット爆撃機はステルス性が高く、レーダーなどで捉えるのは困難である。

核爆弾を搭載し、爆撃する。

 地上発射弾道ミサイルには、LGM-30GミニットマンⅢ大陸間弾道ミサイル(射程距離13000km、各個誘導多核弾頭3335KT×3)を450基、MGM-118ピース・キーパー大陸間弾道ミサイル(射程距離9600km、各個誘導多核弾頭550KT×3)を50基配備していた。MGM-118ピース・キーパーは早期に退役することになった。合衆国空軍のICBMはいずれも命中精度は極めて高いとされる(半数必中界100m以内)。

潜水艦発射弾道ミサイルは、UGM-96AトライデントC4潜水艦発射弾道ミサイル(射程距離7400km、各個誘導多核弾頭100KT×8)、UGM-133AトライデントⅡD5潜水艦発射弾道ミサイル(射程距離12000km、各個誘導多核弾頭475KT×8)をオハイオ級弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(水中排水量18750トン)10隻に搭載し、全地球的にパトロールできる。

UGM-133AトライデントⅡD5弾道ミサイルは半数必中界90メートルと、潜水艦発射弾道ミサイルでありながら地上発射型大陸間弾道ミサイルと同等の命中精度という飛躍的に精度の高いものとなっており、合衆国の核戦略の信頼性を向上させるものとなっている。(注23)

 

 

注1  防衛庁『平成15年版防衛白書』

注2 

注3  エア・ワールド『世界軍用機年鑑1993-94』P89

注4  同上P27

注5  国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注6  同上

注7  同上

注8  国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注9,10,11,12  国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

            『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注13『JANE‘S FIGHTING SHIPS』10-11

注14,15,16 『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注17 『JANE‘S FIGHTING SHIPS』10-11

注18 エア・ワールド『世界軍用機年鑑1993-94』P71

注19  同上P90

注20  同上P87

注21  同上P75

注22 ロッキード・マーティン・ホームページ

注23  防衛庁『平成15年版防衛白書』P319,320

     防衛庁『平成26年度版防衛白書』資料1

 

 

 

 第2節 東アジア各国の戦力 中国   1990年代

 

 中国の軍事力は、人民解放軍、人民武装警察、民兵からなり、人民解放軍は中国共産党が指導する軍隊となっている。人民武装警察は人民解放軍陸軍の効率化によって生じた余剰人員を平時には治安維持任務にあたらせるというもので、実質的には陸軍の歩兵部隊であり、装備もアサルト・ライフル、機関銃、重機関銃など歩兵装備と同様である。人民武装警察は66万人ほどいる。民兵は輸送部隊、工兵部隊、兵站部隊、後方支援部隊の色彩が濃く、有事の際には人民解放軍の補佐にあたることになる。

 中国の陸上戦力は総兵力160万人、主として旧ソ連軍の装備をコピーしたものが配備されている。7個軍区、28個省軍区、21集団軍(軍団)、59個師団、35個旅団、10個ヘリコプター連隊からなり、戦車7000両、歩兵戦闘車5500両、野砲/多連装ロケット発射システム15000門、ヘリコプター300機以上を有する。

 また、快速反応部隊と呼ばれる緊急展開部隊が創設され、機動力を高めるため中国国内で生産された民間用航空機なども軍事転用しているようである。陸軍の各種特殊部隊や空軍第15空挺軍と呼ばれる特殊部隊も創設され、総数は2万人以上に登るとている。

 渡洋能力は本格的大型揚陸艦、輸送艦が少ないことから限られたものになっている。しかし、1996年の台湾総選挙の際の威嚇的軍事演習においては民間船舶に多連装ロケット発射システムを搭載し実弾演習をしている映像があることから、有事の際は中国に存在する民間用船舶、民間航空機を総動員することが予想される。特殊部隊によるゲリラ・コマンド作戦とともに、その能力は侮ることは出来ないといえるだろう。(注1)

人民解放軍海軍は北海艦隊、東海艦隊、南海艦隊からなり、兵力26万人、水上戦闘艦670隻、潜水艦70隻を有する。

 ロシアから輸入したソブレメンヌイ級艦隊防空ミサイル駆逐艦は1996年9月に購入、1999年12月に1番艦「杭州 HANGZHOU」、2001年1月に2番艦「福州 FUZHOU」が引き渡された。さらにその後1隻が配備された。ソブレメンヌイ級艦隊防空ミサイル駆逐艦は満載排水量7940トン、蒸気タービン推進、兵装は130mm連装砲2基、SS-N-22艦対艦ミサイル8発、SA-N-7艦隊防空用艦対空ミサイル発射機2基、RBU-1000 6連装対潜ロケット発射機2基、533mm連装魚雷発射管、30mm近接防御武器システム4基である。搭載航空機はカモフKa-28哨戒ヘリコプターを2機である。SS-N-22艦対艦ミサイル(NATOコード:サンバーン)はマッハ2の速度で超低空をS字状に飛来するミサイルで、発見、迎撃することが非常に困難である。また、SA-N-7艦対空ミサイルによって本格的艦隊防空能力を保持するにいたった。しかし、基本設計が1970年代後半であり、情報処理能力、防空能力、電子戦能力、ステルス性、各種センサーは西側陣営の最新鋭艦に比べ劣っているようである。

 

 ルーフ- LUHU級駆逐艦は天安門事件前に計画された艦で、西側陣営が中国に幻影を見ていた時期であるため多くの西側陣営の技術が導入されている。ガス・タービンはアメリカのゼネラル・エレクトリックのベスト・セラー商品であるLM2500で、短距離艦対空ミサイルHQ-7はフランスのクロタル・ミサイルをライセンス生産したものである。現在のところ2隻が就役している。1994年就役、満載排水量4600トン、ディーゼル・ガスタービン推進、HQ-7艦対空ミサイル8発、3連装魚雷発射管2基、搭載航空機はハルビンZ-9Aヘリコプター2機である。(注6)

 ルーター LUDA級駆逐艦は中国初の国産駆逐艦で、人民解放軍海軍の主力で16隻が就役している。1971年から1991年までの長きにわたって建造され続け、そのためバリエーションが多くある。満載排水量3670トン、蒸気タービン推進、兵装は130mm連装砲2基、57mm連装砲2基、25mm連装機銃4基、HY-2艦対艦ミサイル6発、HQ-7短距離艦対空ミサイル8発で、搭載航空機はハルビンZ-9Aヘリコプター2機である。排水量に対して兵装が多く、バランスが悪いと思われる。

 チャンウェイⅡ JIANGWEI Ⅱ型フリゲートは1番艦が1998年に就役し、10隻が建造されている。満載排水量2250トン、ディーゼル推進、兵装は100mm単装砲1基、37mm連装機銃4基、YJ-1艦対艦ミサイル8発、HQ-1短距離艦対空ミサイル8発、RBU1200対潜ロケット発射機2基で、搭載航空機はハルビンZ-9Aヘリコプター1機である。船体の大きさに比べ、多大な兵装でありバランスが悪いと思われる。(注10)

 チャンウェイⅡ型フリゲートのベースとなったチャンウェイⅠ型フリゲートは1番艦が1991年に就役し、チャンウェイⅡ型のHQ-7短距離艦対空ミサイルがHQ-61短距離艦対空ミサイルとなっている以外の兵装は全く同じで、満載排水量も同じである。各種センサー、電子戦システム、情報処理装置などが変更されたと思われる。両艦あわせて14隻建造された。(注11)

 チャンフ- JIANGHU型フリゲートは1970年代から1989年までの長きにわたり建造された中国の主力フリゲートである。満載排水量が1700トンであるにもかかわらず、乗員が200人と多く、兵装も多大である。自動化が遅れていると推測される。長きにわたって建造されたこともあって30隻あり、Ⅰ型からⅣ型まであり、各型によって各種センサー、電子戦システムは変更されていると思われる。兵装は攻撃力重視で、短距離での水上戦闘においては威力を発揮すると思われるが、近代水上戦闘には不向きだと思われる。(注12)

 攻撃型原子力潜水艦には091型ハン級がある。1974年に1番艦が就役し、以後5隻が就役している。水中排水量5550トン、原子力ターボ・エレクトリック推進、兵装は533mm魚雷発射管6門で、水中速力25ノット、潜航深度300メートルと一流の能力を持っている。(注13)

 キロ級潜水艦は1993年に発注、1995年に回航された。12隻が就役している。水中排水量3076トン、水中速度17ノット、ディーゼル・エレクトリック推進、533mm魚雷発射管6門を装備している。静粛性に優れ、発見が困難である。浅海での作戦に適しており、中国近海の環境に適している。(注15)

ソン SONG級潜水艦は、中排水量2250トン、水中速力22ノット、ディーゼル・エレクトリック推進、533mm魚雷発射管6門と一流の能力を誇っている。(注17)

 人民解放軍海軍の主力潜水艦はミン MING級潜水艦である。中国が独力で開発した通常推進型潜水艦で、1971年に1番艦が就役している。現在のところ16隻が就役しているが、1970年代においても時代遅れなデザインであったため、現在の潜水艦として一流とは言い難い。水中静粛性は悪いと思われる。水中排水量2113トン、ディーゼル・エレクトリック推進、水中速力18ノット、533mm魚雷発射管8門という攻撃力重視の潜水艦である。同じく主力潜水艦にソ連のロメオ級のコピーが40隻あった。あまりに古臭いその外観から察するに性能は現代の戦闘に耐えうるものではないと思われる。(注18)

 中国人民解放軍海軍の航空部隊は戦闘機、攻撃機が主力であり、日本のように対潜哨戒機を重視している国とは傾向が違う。最新鋭の装備は西側陣営のF-15イーグル戦闘機に対抗するために旧ソ連が開発したスホーイSu-27戦闘機(初飛行1981年、自重17700kg、推力122,6kN×2、注19)で、高推力エンジンと高い運動性能でレーダーも高出力で優秀なものを搭載している。 

1998年から人民解放軍海軍航空隊への配備が始まったのがJH-7戦闘攻撃機で、C-801空対艦ミサイル2発搭載可能である。(注20)

 殲撃8Ⅱ J-8Ⅱ(F-8Ⅱ)戦闘機は1990年に配備が始まった戦闘機である。天安門事件前の米中蜜月時代に「ピース・パール」計画として、グラマン、リットン、ウェスティングハウス・エレクトリックなどが開発に関与し、F-16A/Bファイティング・ファルコン戦闘機が搭載しているAN/APG-66レーダー火器管制装置、慣性航法装置、その他アヴィオニクスなどアメリカ製を導入する予定であったが、天安門事件によって頓挫している。初飛行は1994年と新しいが、ベースとなった殲撃8 J-8(F-8)戦闘機が新しいものでないために機動、運動性能は良いものではないと思われる。自重は14300kg、推力は65,9kN×2である。(注21)

 殲撃8 J-8(F-8)戦闘機(自重15000kg、推力59,82kN×1)も海軍航空隊は保有しているが15機しか保有しておらず、今後の増備も少数にとどまると予想される(注22)。殲撃8戦闘機のベースとなった殲撃7 J-7(F-7)戦闘機(自重5275kg、推力59,82kN×1)も老朽化が進んでいる(注23)。数の上で主力となっているのは旧ソ連のミコヤンMiG-19戦闘機/殲撃6 J-6(F-6)戦闘機で320機保有しているが、あまりにも古く空戦では活躍できず、対艦攻撃支援などに限られるだろう。またミコヤンMiG-19戦闘機/殲撃6 J-6戦闘機を改造した強撃5 Q-5(A-5)攻撃機を93機保有している。空戦ではなく対艦攻撃に重きを置いており、ある程度の実用性は認められる。(注24)

 爆撃機はイリューシンIl-28爆撃機をコピーしたH-5爆撃機が50機、ツポレフTu-16爆撃機をコピーしたH-6爆撃機が51機ある。(注25)

 人民解放軍海軍航空隊の航空機による対潜哨戒の中心は艦載ヘリコプターで、フランスのアエロスパシアル(現・ユーロコプター)のドーファン2の中国国内ライセンス生産品であるハルビンZ-9Aヘリコプターと、ロシアから輸入するカモフKa-28ヘリコプターが主力であり、今後とも両方が増備されていく模様である。

中国の航空戦力は、人民解放軍海軍航空隊とともに、人民解放軍空軍が担っている。人民解放軍空軍はスホーイSu-27戦闘機(NATOコード:フランカー)を1993年にロシアから26機を輸入したのを皮切りに、着実に輸入し続け機数を増やした。さらに1996年にはSu-27戦闘機の生産ライン輸入協定を調印し、1998年末からノック・ダウン生産を始めた。

スホーイSu-30MKK戦闘爆撃機、Su-30MK2戦闘爆撃機をロシアから輸入しており、購入を続けるとされた。

 主力は殲撃8Ⅱ J-8Ⅱ(F-8Ⅱ)戦闘機を50機、殲撃8 J-8(F-8)戦闘機(初飛行1970年代半ば、自重15000kg、推力59,82kN×1)を100機以上(注26)、殲撃7 J-7(F-7)戦闘機(原型MiG-21戦闘機初飛行1956年、中国国内生産初飛行1970年代前半、自重5257kg、推力59,62kN×1)を400機保有、殲撃6 J-6(F-6)戦闘機を1000機保有、強撃5 Q-5(A-5)攻撃機(初飛行1965年、自重6654kg、推力36,52kN×2)を750機保有している。(注27)

 かつて少数であった第4世代戦闘機は300機以上となり、さらに旧世代戦闘機を数千機保有しているため周辺諸国の脅威となっている。

 また、アメリカのエンジン輸出拒否によって計画が頓挫したイスラエルのラビ戦闘機を開発したイスラエル人技術者が農業技術者の名目で中国入りし、協力したことにより、殲撃10 J-10(F-10)戦闘機の開発がされた。殲撃10 J-10戦闘機は、アメリカ中央情報庁(CIA)の発表によると、イスラエルに輸出されたF-16ファイティング・ファルコン戦闘機の技術が流用されている模様で、周辺諸国にとって脅威となる。(注28) 戦略爆撃機としてH-6を140機保有し、核戦略の一つとして重要視されている。また航空機発射巡航ミサイルCJ-10の発射母機として活用されている。

中国の核戦略の中で最も大きな比重を占めているのは地上発射の弾道ミサイルである。地上発射大陸間弾道ミサイルDF-5(CSS-4)(射程距離13000km、弾頭4MT)を20基、DF-3(CSS-2)中距離弾道ミサイル(射程距離2800km、弾頭3MT)、DF-4(CSS-3)中距離弾道ミサイル(射程距離4750~5400km、弾頭2Mt)、DF-21(CSS-5)中距離弾道ミサイル(射程距離2500km、弾頭250Kt)116基以上、DF-31(射程距離7200km以上)、DF-31A(射程距離1万2000km)36基以上を保有している。また夏 XIA級弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(水中排水量6500トン、弾道ミサイル12基搭載)1隻、ゴルフ級弾道ミサイル搭載潜水艦(水中排水量2950トン、弾道ミサイル1基搭載)1隻にJL-1(CSS-N-3)潜水艦発射弾道ミサイル(射程距離2150km、弾頭250KT)を搭載している。JL-2潜水艦発射弾道ミサイルも配備中である。(注29)

注1  防衛庁『平成15年版防衛白書』  同上 P62、63,64

  国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

宇垣大成「中国/台湾の兵力比較」

海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』

注2   国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIP』92-93

海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P64

注3   海人社『世界の艦船』2011年9月号

注4   同上

注5   海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P66

注6   海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P70

   国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注7   海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P72

   国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注8   海人社『世界の艦船』2011年9月号

注9   海人社『世界の艦船』2011年9月号

注10  海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P80

注11  海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P78

   国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注12  海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P82

注13  海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P54

   国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注14  海人社『世界の艦船』2011年9月号

注15  海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P56

   国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注16  海人社『世界の艦船』2011年9月号

注17  海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P58

   国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注18  海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P60

  国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注19  エア・ワールド『世界軍用機年鑑1993-94』P57

注20  海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P114

注21  同上P115、エア・ワールド『世界軍用機年鑑1993-94』P14

注22  同上P115、エア・ワールド『世界軍用機年鑑1993-94』P13

注23  同上P116、エア・ワールド『世界軍用機年鑑1993-94』P11

注24  同上P116、エア・ワールド『世界軍用機年鑑1993-94』P12

注25  エア・ワールド『世界軍用機年鑑1993-94』P253

注26  エア・ワールド『世界軍用機年鑑1993-94』P15

注27  同上P11

注28  同上P16、『東アジア戦略概観2003』P149

注29  防衛庁『平成15年版防衛白書』P319、P320

     防衛省『平成26年度版防衛白書』資料1

 

第3節 東アジアの戦力 台湾   1990年代

 

 中国の軍事的圧力、脅威に絶えずさらされ続けている台湾は、近年まで1982年の米中コミュニケや、中国の圧力により近代兵器の購入が滞っていたが、1990年代以降ようやく近代化が可能になってきた。陸軍は12個師団、海軍陸戦隊2個師団とあわせて地上兵力27万人で、M48A5パットン戦車など旧式戦車を配備している。

 海上戦力の近代化は進んでおり、世界有数の強力な海軍となっている。現役兵力は6万8000人、水上戦闘艦は40隻、潜水艦は4隻、18隻の揚陸艦を保有、海軍陸戦隊の上陸作戦も可能である。

 最新鋭艦は康定(カンディン)級フリゲートである。これはフランスのラファイエット級フリゲートを輸入したものである。ラファイエット級フリゲートは本格的にステルス機能を取り入れた船体で、レーダー捜索は困難である。康定級フリゲートはフランスで船体を建造したが、電子装備、兵装は台湾において艤装が行われ、台湾オリジナルの兵装となっている。ラファイエット級フリゲートにはない対潜兵装が加えられたため、ステルス性が損なわれていると思われる。(注1)

康定(カンディン)級フリゲートは満載排水量3800トン、ディーゼル推進で、兵装はOTOメララ 76mm単装砲1門、40mm単装機銃2基、Mk32 324mm3連装短魚雷発射管2基、雄風Ⅱ艦対艦ミサイル8発、シー・チャパラル短距離艦対空ミサイル4発、Mk15ファランクス20mmバルカン近接防御武器システム1基である。搭載航空機はSH-60シー・ホーク哨戒ヘリコプターの民間バージョンであるシコルスキーS-70C(M)で、アメリカ製の対潜哨戒機器が装備されたものを1機搭載している。康定級フリゲートは1996年から1998年までに6隻が就役した。(注1)

 台湾の艦隊防空を担うのは成功(チェンクン)級艦隊防空ミサイル・フリゲートである。これはアメリカのオリヴァー・ハザード・ペリー級艦隊防空ミサイル・フリゲートを台湾でライセンス生産したものである。1993年から8隻が就役している。満載排水量4105トン、ガス・タービン推進、兵装はMk13発射機にRIM-66スタンダードMR艦対空ミサイルを装備、OTOメララ 76mm単装砲1門、40mm単装機銃2基、雄風Ⅱ艦対艦ミサイル8発、Mk32 324mm3連装短魚雷発射管2基、Mk15ファランクス20mmバルカン近接防御武器システム1基である。搭載航空機はシコルスキーS-70Cヘリコプター2機である。(注2)

 対潜戦で主力となるのは合衆国海軍の中古艦船を購入したノックス級フリゲートである。満載排水量4260トン、蒸気タービン推進、兵装はMk42 127mm単装砲1門、20mm単装機銃4基、Mk32 324mm短魚雷発射管2基、8連装対潜ロケット発射機1基である。搭載航空機はマクドネル・ダグラスMD500小型ヘリコプターで、小型なためその能力は限られたものになるだろう。1972年に合衆国海軍で就役し、1993年に台湾が購入、就役させている。台湾はノックス級フリゲートを8隻配備している。(注3)

 ギアリング級駆逐艦は、合衆国海軍の中古艦船で1946年に建造された非常に古い艦で、1980年代に近代化工事を実施、RIM-66スタンダードMR艦対空ミサイルを発射可能にしていた。満載排水量は3540トン、蒸気タービン推進、兵装は76mm単装砲1門、40mm単装機銃2基、12,7mm機関銃6基、RIM-66スタンダードMR艦対空ミサイル10発、雄風Ⅱ艦対艦ミサイル4発、8連装対潜ロケット発射機1基、Mk32 324mm3連装短魚雷発射管2基である。搭載航空機はマクドネル・ダグラスMD500ヘリコプターである。(注4)

  潜水艦は4隻配備されている。1987年と1988年に就役した海龍(ハイルン)級潜水艦は、オランダのウィルトン・フィエノルド社が建造し、台湾が初めて購入した近代的潜水艦である。水中排水量2660トン、ディーゼル・エレクトリック推進、533mm魚雷発射管6門と、先進国の潜水艦として遜色のないものとなっている。海龍級潜水艦導入以前に台湾が保有していた潜水艦は1945年に合衆国海軍が建造したガピーⅡ級潜水艦のみであったので、台湾の潜水艦作戦能力は大幅に向上した。(注5)

 台湾空軍も1990年代以前は旧型戦闘機を配備するだけであり。その戦力は非常に弱いものであった。しかし、中国が着実に空軍力を向上させていった事態に対して、まず1992年前半にフランスからダッソ-・ミラージュ2000-5戦闘機(初飛行1978年、自重7490kg、推力95,1kN×1)を60機導入し(注6)、1992年秋にはアメリカのブッシュ大統領がテキサス州フォート・ワースのロッキードの戦闘機工場においてF-16戦闘機の売却を認め、台湾空軍はF-16A/Bブロック20ファイティング・ファルコン戦闘機を150機導入することになった。第4世代戦闘機を210機導入した2005年の台湾の空軍力は一流のものとなった。台湾空軍はこれら輸入した第4世代戦闘機210機に加え、アメリカの支援を得て開発された国産のF-CK-1経国戦闘機(自重6386kg、推力41,1kN×2)130機、ノースロップF-5EタイガーⅡ戦闘機(初飛行1972年、自重4410kg、推力22,2kN×2)も150機配備しており(注7)、中国軍の攻勢に対抗しているが、中国の大幅な軍拡の前に依然苦境に立たされている。また台湾の防空システムはレーダーによる警戒網、高度な情報通信システム、グラマンE-2Tホーク・アイ早期警戒機などで構成される。

 

注1  海人社『中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版』P126,127

注2  同上P124,125

注3  同上P128,129

注3  同上P122,123

注4  同上P121

注5  『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注6  エア・ワールド『世界軍用機年鑑1993-94』P19

注7  同上P92


 

 

 第4節 東アジア各国の戦力 韓国   1990年代

 

 北朝鮮の侵攻から防衛するため、世界有数の戦力を保有する韓国は、陸上戦力を中心にした態勢から海軍力、空軍力を重視したものへと変貌を遂げつつある。陸軍は3個軍、22個師団、海兵隊は2個師団で陸上戦力は60万人、さらに予備役27個師団、400万人を揃えている。装備面では韓国国産のK-1戦車シリーズ、M48A5パットン戦車などを約2200両、ゼネラル・ダイナミクスM110 203mm自走砲、ローラル・ヴォート・システムズM270多連装ロケット発射システムなどからの多数の火砲、ベルAH-1J/Fヒューイ・コブラ攻撃ヘリコプターが空から敵機甲部隊、歩兵部隊を攻撃する態勢となっており、その近代化された装備と、兵士の高い士気、世界有数の陸軍力で北朝鮮に対抗する。また、レンジャー部隊や陸軍特殊部隊(ブラック・ベレー)、警察特殊部隊(KNP-SWAT)など、テロ・ゲリラ・コマンド対処部隊も充実している。(注1)

 韓国海軍は現役3万3000人、徴兵1万7000人、予備役9000人で、艦艇は約200隻、15万トンである。(注2)

 クアンゲトデワン級駆逐艦は満載排水量3855トン、ディーゼル・ガスタービン推進、兵装は127mm単装砲1門、Mk141発射機にRGM-84ハープーン艦対艦ミサイル8発、Mk32 324mm3連装短魚雷発射管2基、ゴール・キーパー30mm近接防御武器システム2基である。1998年から2000年までに3隻が就役した。これはKDXと名付けられた駆逐艦建造計画である。クアンゲトデワン級は、日本が同時期に導入した汎用護衛艦の「むらさめ」級よりも満載排水量がかなり小さいにもかかわらず、「むらさめ」級護衛艦よりも重装備である。そのため上部構造物が大きくなっていてバランスが悪い。(注2)

 チャンボコ級潜水艦はドイツHDW社の209型潜水艦を韓国でライセンス生産したものである。1番艦はドイツで建造され、2番艦と3番艦は韓国でノック・ダウン生産した。4番艦からは韓国で建造している。1993年から2001年までに9隻が就役した。ディーゼル・エレクトリック推進で、水中排水量は1285トン、水中速力22ノット、兵装は533mm魚雷発射管8門である。短期間に大量の潜水艦を装備したため、まだ潜水艦作戦は成熟してないとみられる。チャンボコ級潜水艦は533mm魚雷発射管からUGM-84ハープーン潜対艦ミサイルを発射可能にする改良工事と、近代化計画を進めている。(注3)

 

 このほかに韓国海軍は小型艦艇を多数装備している。小型なため単能艦が多い。1000トン・クラスのコルベットが28隻、満載排水量183トンの高速戦闘艦シー・ドルフィン級を83隻、などを保有しており、沿岸警備を主な任務としている。また、ロッキード・マーティンP-3C対潜哨戒機は8機のみ導入、対潜能力強化にまったくなっていない。

 韓国空軍の主力装備はアメリカの資金援助で導入されたロッキード・マーティンF-16C/Dファイティング・ファルコン戦闘機(KF-16)180機、アメリカの中古を無償譲渡してもらったマクドネル・ダグラスF-4D/EファントムⅡ戦闘機130機、アメリカの援助品であるノースロップF-5E/FタイガーⅡ戦闘機である。(注6)

 

注1  国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注2  国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

    『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

海人社編集部「韓国海軍の現況と将来」

海人社『世界の艦船』2003年3月号P104

注3  『JANE‘S FIGHTING SHIPS』10-11

注4  海人社『世界の艦船』2003年3月号P105

注6  エア・ワールド『世界軍用機年鑑 1993-94』P254

 

 

第5節 東アジア各国の戦力 北朝鮮  1990年代 

 

北朝鮮の総兵力は110万人、そのうち陸軍が100万人、27個師団である。主な装備は旧ソ連の戦車がベースの「暴風号」戦車、「天馬号」戦車、旧ソ連のT-62戦車、T-54/55戦車が3500両、歩兵戦闘車4000両、自走砲4500門、野砲7000門、多連装ロケット発射システム2400両、重迫撃砲9000門で、機甲化、機械化、装甲化はある程度進んでいるとみられるが、稼働率に問題がある。陸軍の配備状況は非武装地帯DMZ周辺に全戦力の70%以上を配置し、南進を前提とした梯隊の軍団配置で、守勢に追い込まれると不利になりそうである。

 北朝鮮は正規戦力では数的に圧倒しているものの、近代化された韓国軍、合衆国軍、自衛隊には対抗できないため、特殊部隊によるゲリラ作戦、撹乱、陽動作戦、心理戦をとる。人民武力省総参謀部のもとに特殊軍団(旧・第8軍団)、偵察局(8個特殊部隊)がおかれ、指揮は軽歩兵教導指導局、労働党35室(対外調査部)がとると思われる。特殊軍団は敵地における破壊工作を遂行する6個狙撃旅団、敵軍事施設、社会基盤の占拠をおこなう2個水陸両用狙撃旅団、敵航空基地、レーダーの破壊を目的とする2個空軍狙撃旅団、敵主要施設の占領を任務とする3個軽歩兵空挺旅団、敵地潜入情報収集をおこなう17個偵察大隊、要人拉致・暗殺、主要産業基盤破壊、テロ工作、長期敵地潜入・革命地下組織育成をおこなう偵察局8個特殊部隊が主要な部隊で、装備は60mm迫撃砲、RPG-7 対戦車ロケットてき弾砲、AT-3 対戦車ミサイル、SA-16携帯地対空ミサイル、AK-47 7,62mm×39自動小銃、AKS-74 5,45mm自動小銃、VZ61サブ・マシンガン、FNブローニング・ハイパワー 9mm×19自動拳銃、手榴弾、携帯用化学兵器、GPS受信機、無線装置、暗号通信装置などである。

労働党統一戦線部は資金調達、労働党対外連絡部は朝鮮総連など外国朝鮮人組織への指導、労働党作戦部は工作員派遣、要人拉致・暗殺を目的とし、対韓国に3000人、対日本に500人が配備されている。労働党35室(対外情報調査部)は情報収集とともに、拉致活動、テロリズム作戦、長期潜入工作活動をおこなう。隷下に偽造パスポートを利用して日本・韓国に潜入する直接浸透課、南北間の交流においての工作活動をおこなう南北会談課、海外出張・海外留学の日本人、韓国人への接触、浸透、工作をおこなう海外担当課、韓国、日本の国情の情報収集、調査、評価、研究を行う南朝鮮研究所、北朝鮮の工作活動を支援する団体を管理する外郭団体課がある。

労働党35室(旧・対外情報調査部)は日本、韓国以外の国で外交官の身分を利用して、北朝鮮大使館を拠点に日本人、韓国人の拉致、情報収集、工作を展開する。35室の上部機関として労働党作戦部があり、工作員の育成、工作員、ゲリラ・コマンド部隊の敵地への投入、金正日政治軍事大学での工作員育成教育、在日朝鮮人ゲリラ部隊の育成をおこなっている。

労働党対外連絡部は工作員を長期にわたり日本、韓国に潜入させ、工作活動、情報収集を実施している。また朝鮮総連への指導や、工作のためのダミー会社設立を担当していると思われる。

北朝鮮の海軍力は、近代戦に耐えうるものではないと思われるが、工作員、ゲリラ、コマンドの敵地浸透のための特殊装備、違法装備は数多く装備しているようである。サンオ級小型潜水艦21隻、半潜水艇50隻、小型ガス・タービン搭載高速巡航艤装漁船、艤装漁船や貨物船に搭載されている小型高速ボート、小型潜水艇、水中スクーターを装備し、レーダー、ソナーでの捜索が困難で、目視による発見も困難、港湾での審査も難しい。

空軍力はロシア製MiG-29戦闘機、MiG-23戦闘機、スホーイSu-25攻撃機などを保有している。主力はアントノフAn-2輸送機300機で、ゲリラ・コマンド部隊の輸送である。ほかに木製グライダー、気球などレーダーでの捜索が困難な航空機でゲリラ・コマンド部隊の輸送が考えられる。

1980年代半ばまでに、ソ連の開発したスカッド弾道ミサイルを改良したスカッドBミサイル、スカッドCミサイルを配備、韓国と日本の本州西部、九州北部の脅威となってきた。1992年には射程距離1300kmのノドン1号の開発に成功し、1993年には日本海・能登半島沖にノドン1号の試射をおこない成功、日本に対する脅威は非常に強まった。ノドン1号はすでに200基は配備されている模様である。さらに1998年には日本国土を超えるかたちでテポドンを試射した。テポドン2、ムスダンなどより射程の長い弾道ミサイルも開発中である。

また、化学兵器、生物兵器、核兵器の配備にも力がそそがれ、すでに保有、配備したものと考えられる。

 北朝鮮は西ドイツの商社を利用して、マクドネル・ダグラスMD500ヘリコプターを87機購入した。MD500は合衆国陸軍MH-6リトル・バード、韓国陸軍OH-6カイユースと同じ形で、北朝鮮はMD500を韓国陸軍OH-6の塗装と同じ塗装にして運用している。

 

 

注1  防衛庁『平成15年版防衛白書』P50

注2  合衆国太平洋軍作戦計画5055に関する各種情報、報道による

コウ・ヨンチョル「工作船に見る北の対日工作」        

    ジャパン・ミリタリー・レビュー『軍事研究』2002年12月号

    コウ・ヨンチョル『北朝鮮特殊部隊 白頭山3号作戦』講談社

    恵谷治『対日潜入工作』宝島社

    ジョゼフ・S・バーミューデッツ『北朝鮮特殊部隊』並木書房

    片山さつき「自衛隊にも構造改革が必要だ」『中央公論』中央公論社2005年1月号P69

    警察庁『焦点 第269号 警備警察50年 現行警察法50周年記念特別号』

 

 第6節 東アジア各国の戦力 ロシア軍   1990年代

 

 ロシア軍は極東地域に、シベリア軍管区、極東軍管区を置き、地上軍11万人を配備している。ハバロフスクに3個師団、ソビエツカヤガワニに4個師団、ペトロハヴロフスクに1個師団、サハリンに1個師団、日本の北方領土に1個旅団を配置しており、さらにウラジオストクに海軍歩兵師団を1個師団配置している。主な装備はT-95戦車、T-80戦車、T-72戦車、各種歩兵戦闘車、各種装甲兵員輸送車で、機械化、機甲化が進んでいる。

 ロシア海軍は兵力17万5000人で、北洋艦隊、バルチック艦隊、黒海艦隊、太平洋艦隊の4個艦隊を有しており、太平洋艦隊は北洋艦隊とともに主力艦隊である。

 空母アドミラル・グズネツォフは満載排水量59439トン、蒸気タービン推進、兵装はSA-N-9短距離艦対空ミサイル32発、SS-N-19艦対艦ミサイル12基、CADS-N-1近接防御システム8基、30mm近接防御武器システム6基、RBU12000 10連装対潜ロケット発射機2基で、艦載航空機はスホーイSu-33戦闘機、ミコヤンMiG-29K/KUB戦闘機、スホーイSu-25UTG練習機など固定翼機22機、カモフKa-31早期警戒ヘリコプターなどヘリコプター17機である。

 キーロフ級原子力巡洋艦は満載排水量24690トン、原子力蒸気タービン推進、兵装はSA-N-20艦対空ミサイル96発、SA-N-9短距離艦対空ミサイル16発、SA-N-4短距離艦対空ミサイル連装発射機2基、SS-N-19艦対艦ミサイル20発、CADS-N-1近接防御システム6基、RBU1000 6連装対潜ロケット発射機2基、RBU12000 10連装対潜ロケット発射機1基、533mm5連装魚雷発射管2基である。艦載航空機はカモフKa-27ヘリコプター3機である。

 スラヴァ級艦隊防空ミサイル巡洋艦は1番艦が1982年に就役し、太平洋艦隊には、011「ワリヤーグ」が配備されている。スラヴァ級艦隊防空ミサイル巡洋艦は満載排水量11490トン、ガス・タービン推進、130mm連装砲2門、SA-N-6艦対空ミサイル64発、SA-N-4短距離艦対空ミサイル4発、SS-N-12艦対艦ミサイル16発、30mm近接防御武器システム6基、533mm5連装魚雷発射管2基、12連装対潜ロケット発射機2基、搭載航空機はカモフKa-50ヘリコプター(NATOコード:へリックス)で、対空戦能力とともに、対艦戦能力が非常に重視されている。(注2)

 ソブレメンヌイ級艦隊防空ミサイル駆逐艦は1番艦が1980年に就役し、18隻が就役した。満載排水量8067トン、蒸気タービン推進、兵装は130mm連装砲2門、SA-7艦対空ミサイル単装発射機2基またはSA-N-12艦対艦ミサイル単装発射機2基、SS-N-22艦対艦ミサイル8発、30mm近接防御武器システム4基、533mm5連装魚雷発射管2基、搭載航空機はカモフKa-27ヘリコプター1機である。SS-N-22艦対艦ミサイル(NATOコード:サンバーン)は、マッハ2のスピードで巡航し、迎撃されにくいよう超低空をS字状に飛行するもので、西側諸国の最新鋭迎撃システムでも迎撃困難である。ソブレメンヌイ級艦隊防空ミサイル駆逐艦の攻撃能力は高いが、基本設計は1970年代のもので、電子戦装置など電子装備は古い。(注3)

 ウダロイ級駆逐艦は、1980年に1番艦が就役し、13隻が就役した。そのうち半数が太平洋艦隊の所属である。満載排水量は8500トン、ガス・タービン推進、兵装は100mm単装砲2門、SS-N-12艦対潜ロケット16発、SA-N-9短距離艦対空ミサイル64発、30mm近接防御武器システム4基、12連装対潜ロケット発射機2基、533mm4連装魚雷発射管2基、搭載航空機はKa-27ヘリコプター2機である。対潜戦に重きを置いた艦で、個艦防空に非常に力が注がれている。

 カシン級駆逐艦は満載排水量4826トン、ガス・タービン推進、兵装はSA-N-1艦対空ミサイル連装発射機2基、SS-N-25艦対艦ミサイル4連装発射機2基、76mm連装砲1基、RBU6000 12連装対潜ロケット発射機2基、533mm5連装魚雷発射管1基で、搭載航空機は無い。20隻が建造された。

 クリヴァック級フリゲートは1970年に1番艦が就役し、41隻が建造された。満載排水量は3560トン、ガス・タービン推進、兵装は100mm単装砲1門、SA-N-4短距離艦対空ミサイル連装発射機1基、12連装対潜ロケット発射機2基、533mm4連装魚雷発射管2基、30mm近接防御武器システム2基である。小型艦ながら対潜装備と個艦防空は充実している。

  ネウストラシムイ級フリゲートは、満載排水量4318トン、ガス・タービン推進、兵装はSA-N-9短距離艦対空ミサイル32発、SS-N-25艦対艦ミサイル8発、100mm単装砲1基、CADS-N-1近接防御システム2基、RBU12000 10連装対潜ロケット発射機1基、533mm5連装魚雷発射管4基、搭載航空機はカモフKa-27ヘリコプター1機である。

 グリシャ級フリゲートは満載排水量1219トン、ディーゼル推進、兵装はSA-N-9短距離艦対空ミサイル発射機1基、57mm連装砲1基または76mm単装砲1基、30mm近接防御武器システム1基、533mm4連装魚雷発射管2基、RBU6000 12連装対潜ロケット発射機2基である。94隻が建造された。

 ゲパルド級フリゲートは満載排水量1961トン、ディーゼル・ガスタービン推進、兵装はSA-N-4短距離艦対空ミサイル連装発射機1基、SS-N-25艦対艦ミサイル8発、SS-N-30巡航ミサイル8発、76mm単装砲1基、CADS-N-1近接防御システムまたは30mm近接防御武器システム2基である。搭載航空機は無い。

 オスカーⅡ級巡航ミサイル搭載原子力潜水艦は、1980年に1番艦が就役し、1997年までに11隻が就役した。太平洋艦隊には4隻が配備されている。搭載巡航ミサイルは、西側諸国の艦隊攻撃を想定した対艦巡航ミサイルである。水中排水量は18300トン、原子力蒸気タービン推進、水中速力28ノット、兵装はSS-N-19潜対艦ミサイル24発、650mm魚雷発射管2門、533mm魚雷発射管4門である。

  アクラ級攻撃型原子力潜水艦は、1988年に1番艦が就役し、18隻が就役した。太平洋艦隊には3隻が配備されている。水中排水量9100トン、原子力蒸気タービン推進、水中速力28ノット、兵装は533mm魚雷発射管2門、650mm魚雷発射管4門である。特徴的なことは音響のステルス性を追求したことで、静粛性にも優れている。

 ヴィクター級攻撃型原子力潜水艦は、1960年代に1番艦が就役し、26隻建造された。ヴィクターⅢ級攻撃型原子力潜水艦の1番艦は1988年に就役し、水中排水量は6401トン、原子力蒸気タービン推進、水中速力30ノット、650mm魚雷発射管2基、533mm魚雷発射管4基、である。

 シエラⅠ級攻撃型原子力潜水艦は、1984年に1番艦が就役し、2隻が建造された。水中排水量8230トン、原子力蒸気タービン推進、水中速力34ノット、兵装は650mm魚雷発射管4基、533mm魚雷発射管4基である。特徴はチタニウム製であることである。

 シエラⅡ級攻撃型原子力潜水艦は、1990年に1番艦が就役し、1隻が現役、1隻が修理中である。水中排水量9246トン、原子力蒸気タービン推進、水中速力32ノット、兵装は650mm魚雷発射管4基、533mm魚雷発射管4基、である。特徴はチタニウム製であることである。

 キロ級攻撃型ディーゼル・エレクトリック推進潜水艦は、非常に静粛性に優れ、発見が困難である。1982年に1番艦が就役し、26隻建造された。水中排水量は3076トン、ディーゼル・エレクトリック推進、水中速力17ノット、533mm魚雷発射管6門を装備する。

 ロシアの航空戦力は、空軍、防空軍、海軍であったが、防空軍は空軍に吸収された。最盛期の1980年代中盤と比較して、半数以下の大幅な減少である。主力はスホーイSu-27戦闘機、スホーイSu-30戦闘爆撃機、ミコヤンMiG-31戦闘機(初飛行1979年、自重21825kg、運用重量41000kg、推力151,9kN×2)、ミコヤンMiG-29戦闘機(初飛行1977年、自重8175kg、推力81,4kN×2)など、第4世代機が大部分を占める。

 ロシアの核戦略は大陸間弾道ミサイルが中心である。特にロシアの大陸間弾道ミサイルは移動式で、早期発見は困難である。大陸間弾道ミサイルはSS-18(射程距離16000km、各個誘導多核弾頭500KT×10)が54基、SS-19(射程距離9000、各個誘導多核弾頭750×6)、が40基、SS-24(射程距離10000km、各個誘導多核弾頭550KT×10)が46基、SS-25(射程距離10500km、弾頭550KT)が160基、SS-27(射程距離10500km、弾頭550kt)が28基である。RS-24が24基である。

潜水艦発射弾道ミサイルは667BDRデルタⅢ級弾道ミサイル搭載潜水艦4隻、667BDRMデルタⅣ級弾道ミサイル搭載潜水艦7隻、941タイフーン級弾道ミサイル搭載潜水艦1隻、955/955Aボレイ級弾道ミサイル搭載原子力潜水艦3隻、885/885Mヤーセン級弾道ミサイル搭載原子力潜水艦1隻に、SS-N-8(射程距離9100km、弾頭1MT)、SS-N-18(射程距離8000km、各個誘導多核弾頭100KT×7)が48基、SS-N-20(射程距離8300km、各個誘導多核弾頭100KT×4)、SS-N-23(射程距離8300km、各個誘導多核弾頭100KT×4)が96基である。核弾頭搭載巡航ミサイルSS-N-21(射程距離3000km、弾頭200KT)もある。

 

注1 国際戦略研究所『ミリタリー・バランス』95-96

注2 『JANE‘S FIGHTING SHIPS』92-93

注1 海人社『世界の艦船』2003年3月号「ロシア太平洋艦隊」P36

注2 同上P36

注3 同上P37

注4 同上P37

注5 同上P34

注6 同上P35

注7 同上P35

注8 『平成15年版防衛白書』P69

注9 エア・ワールド」『世界軍用機年鑑1993-94』P49

注10 同上P47

注11 『平成15年版防衛白書』P319、『平成26年版防衛白書』資料1

注12 同上P320

注13 同上P319


 

 

 第8章 日本の危機 

 

第1節 日本の危機 北朝鮮

 

 北朝鮮は、1990年の福井県での工作潜入ボート発見事件、1999年の工作船事件などで明らかになったように、日本に常時、工作員、ゲリラ・コマンド部隊を潜入させ、自動小銃、機関銃、重機関銃、対戦車ロケット弾、小型迫撃砲、携帯地対空ミサイル、手榴弾、高性能爆薬、化学兵器などを武器に、朝鮮半島有事の際の在日アメリカ軍基地、自衛隊基地・駐屯地、重要防護施設、要人・社会基盤(空港、港湾施設、道路、鉄道、水道施設、発電所、ガス施設、変電所、高圧線、ダムなど)、人口密集地に対する攻撃、心理戦を準備している。さらに朝鮮総連の非公然分子にたいしての教育、指導によって育成されたゲリラ・テロ戦の用意、日本国内に存在する反政府過激派との連動作戦、便乗攻撃が予想される。そして、日本の政界、官界、学界、マス・メディア、財界への浸透工作や、非合法の資金調達手段としての偽造通貨流通、麻薬・覚醒剤売買、軍事関連機器購入を続けている。

 1992年には射程距離1000kmのノドン1号弾道ミサイルを完成させ、日本の大半を射程に収めた。1993年3月には能登半島沖にノドン1号を試射し、日本に脅威を与える弾道ミサイルの完成に成功した。ノドン1号は核弾頭、化学兵器弾頭、生物兵器弾頭が搭載可能で、落下速度は非常に速く、迎撃は困難である。また移動可能で早期発見は困難である。ノドン1号は200基を超える数が実戦配備された模様である。

 1999年8月31日には、日本全土を射程におさめるテポドン1号が日本国土を通過するかたちで試射され、日本だけでなく同盟国アメリカにも脅威となった。さらに北朝鮮はテポドン2号、ムスダンを開発中で、脅威の広範囲化をはかっている。

 北朝鮮は早い時期から化学兵器、生物兵器を保有していたが、1994年の国際原子力機関(IAEA)の原子力施設への特別査察を拒否、妨害し、核兵器開発への疑念は深まった。カーター元大統領の訪朝と、クリントン大統領の米朝合意によって北朝鮮は本来、核開発を中断すべきであったが、カーターとクリントンの北朝鮮への甘い態度は、北朝鮮の核開発継続を許し、北朝鮮は黒鉛減速炉の燃料棒からプルトニウムを抽出し、核爆弾の製造をおこなったと思われる。

 

 第2節 日本の危機 中国

 

 中国は1989年以来、国防費を対前年度比10%以上増加させ続けている。さらに、この国防費の中には装備導入費、研究開発費などは含まれていない。ロシアからの輸入兵器であるスホーイSu-27戦闘機、スホーイSu-30MKK戦闘爆撃機、ソブレメンヌイ級駆逐艦、キロ級ディーゼル・エレクトリック推進潜水艦の購入費は国務院予算に計上され、核兵器の予算は科学技術予算や電力開発予算に計上されている。このことから中国の実際の国防費は公表されているものの3倍から8倍であると推測される。(SIPRI、ISIS、合衆国CIA、合衆国国防省、合衆国軍備管理軍縮庁などの調査報告)

 1989年の天安門事件によって西側陣営からの軍事技術移転・導入が困難になった中国は、東西冷戦が崩壊し、経済的に困窮するロシアに接近した。中国は1992年にスホーイSu-27戦闘機の中国への輸出をとりまとめ、翌1993年に第一陣として26機のスホーイSu-27戦闘機を受領し、現在に至るまで輸入を続けている。さらに中国はスホーイSu-27戦闘機の中国国内でのライセンス生産をおこなうようになり、保有数は150機を突破するにいたっている。これによって中国人民解放軍航空軍・海軍航空隊の大幅な近代化と戦力増強を実現しつつある。また、中国はスホーイSu-30MKK戦闘爆撃機、スホーイSu-30MK2戦闘爆撃機の導入を開始し、近隣諸国の脅威となっている。

 海軍においても中国国産の駆逐艦、フリゲート、潜水艦の着実な配備をはじめ、ロシアからソブレメンヌイ級駆逐艦、キロ級潜水艦を輸入し、今後も大幅に増強される。また、これら戦力を有効に活用するために早期警戒管制システムの導入につとめている。

 ソブレメンヌイ級駆逐艦に装備されているマッハ2の速度で、超低空スキミング飛行するSS-N-22艦対空ミサイルは、高高度脅威を目的に開発されたイージス・システムを艦隊防空の主軸に据える日本の脅威となった。

 中国と日本の直接的懸案事項は尖閣諸島の防衛問題である。尖閣諸島は明治政府による先占の実効性により我が国固有の領土である。中国は、日本の第二次世界大戦敗戦後には尖閣諸島の領有権を主張しておらず、1968年の国連アジア極東経済委員会(ECAFE)による尖閣諸島、東アジアにおける石油埋蔵の可能性が報告された直後の1970年から領有権を主張し始めた。

 中国は1992年に領海法を制定し、その領海法では尖閣諸島の、南沙諸島、西沙諸島、中沙諸島を中国の領土であると主張している。これらの島々は日本、ベトナム、フィリピンなどに不当に占拠されているとして、武力による奪還も明記されている。1978年には中国政府の扇動により尖閣諸島に中国船籍の漁船大集団を派遣、1995年から1996年には海洋調査、そしてその後も継続的に海洋調査船や海軍艦船を尖閣諸島付近、南西諸島付近の日本領海および日本領海ぎりぎりのところまで接近させ、調査活動、威力偵察をおこなっている。

1996年9月には尖閣諸島近辺56kmの海域で中国人民解放軍海軍東海艦隊、南京軍区人民解放軍空軍が参加し、尖閣諸島奪取訓練を実施している。駆逐艦2隻、フリゲート2隻、スホーイSu-27戦闘機が参加する本格的なものだった。(注2)

 尖閣諸島周辺では人民解放軍の海洋調査船「東調232」、「大地」、「海氷723」、人民解放軍の影響下にある国家海洋局、国務院国土資源部の海洋調査船「化学1号」、「海洋4号」、「奮闘4号」、「奮闘7号」、「中国海監18」、「大洋1号」、「東方紅2」、「濱海511」がソナー調査、ソノブイ投下など潜水艦戦に必要な潮流調査、海底地質調査、海流温度調査などの軍事調査を行っている。(注2)

 1995年4月と5月には沖縄トラフで中国国務院地質鉱山局「向陽紅9号」が海洋調査し、同年12月には久米島と大正島にある日本の排他的経済水域で「勘探3号」が日本の海上保安庁の制止を無視し海洋調査を続けた。1997年には「奮闘7号」が大正島、尖閣諸島の領海を侵犯しながら海洋調査をおこなった。1998年には宮古海峡で「海洋13号」がソナーを使用した調査をおこなっている。(注2)

 1995年から1996年にかけては尖閣諸島周辺で中国情報収集艦船が日本領海を侵犯し、2000年5月にはヤンビン級情報収集兼砕氷艦「海氷723」が対馬海峡において複数回の往復航行、ジグザグ航行を実施、さらに津軽海峡においても複数回の往復航行、ジグザグ航行、アンテナの回転、ソナーブイの海洋投下を実施、その後、房総半島、紀伊半島沖の日本領海すれすれの場所においてアンテナを回転させるなどの行動をとった。また、7月には、同じく「海氷723」が愛知県沖日本領海すれすれのところで情報収集活動をおこなった後、大隈海峡において情報収集活動をおこないながら通過していった。(注3)

経済発展し、シー・レーンの確保が必要となった中国にとって日本列島は天然の要塞で、日本を籠絡させることが国家安全保障、経済安全保障にとって重要になっている。

 中国政府は大陸棚を、大陸の延長部であるとする「自然延長論」を根拠に、東シナ海を中国の海と認識している。日本などがとる「中間線論」と折り合う気はないようである。

 一方で南シナ海では「中間線論」をとり、東南アジア諸国の大陸棚を侵食している。

 エネルギー輸入国、通商国家となった中国は、シー・レーン防衛の必要が出てきたことから、外洋海軍(ブルー・ウォーター・ネイヴィー)建設がはじまり、日本列島も中国の外洋海軍の活動域・防衛ラインに入る。まず第2列島線まで封鎖(接近阻止・領域拒否戦略)、最終的には、最小限でもハワイ以西の西太平洋を防衛ラインにしたい模様である。

 

注1 防衛庁防衛研究所『東アジア戦略概観2003』P149

注2 平松茂雄・杏林大学教授の調査・分析・研究による

注3 『平成15年版防衛白書』P65、毎日新聞朝刊2000年8月20日

 

第3節 日本の危機 南シナ海

 

南シナ海での近年の戦争、紛争は、中国とベトナムの西沙諸島(パラセル諸島)での戦争(1974年1月)、中越戦争(1979年2月)、南沙諸島(スプラトリー諸島)での中国とベトナムの戦争(1988年3月)、ナトゥナ諸島での中国とマレーシアの係争、南沙諸島・ミスチーフ礁での中国とフィリピンの戦争(1995年2月)などがあり、中国と東南アジア諸国との対立は深刻である。さらに南シナ海では強力な武装の残忍な海賊集団の存在、地形的な面からテロリストによる襲撃が容易など、危険地帯であり、日本のシー・レーンは脆弱である。

 南シナ海においても中国は「領海法」を適用しており、この海域に点在する島々の武力奪取、実効支配を進めており、現在も中国とベトナム、フィリピン、マレーシア、インドネシアとは一触即発の緊迫した状況が続いている。

  ベトナムはミコヤンMIG-29戦闘機、フィリピンは昼間限定のノースロップF-5Aフリーダム・ファイターを極少数、マレーシアはボーイングF/A―18ホーネット戦闘攻撃機とスホーイSu―27戦闘機、インドネシアはロッキード・マーティンF-16ファイティング・ファルコン戦闘機をそれぞれ少数保有しているが、海軍力は沿岸警備程度で総じて弱体であり、中国との紛争が生じやすい状況となっている。

 

第4節 日本の危機 インド洋

 

 インド洋においては、中国とインドの覇権争いが熾烈になってきている。中国はミャンマーの軍事独裁政権と協力、ミャンマー、スリランカ、パキスタンのインド洋沿岸に海軍基地を建設、中国人民解放軍海軍の艦船が寄港、覇権への布石を打っている。インドもブリティッシュ・エアロスペース(BAEシステムズ)のシー・ハリアー垂直離着陸戦闘機を艦載機とした軽空母を有する艦隊を保有しており、将来の正規空母保有に動いている。中印の対立は避けられそうに無い。

 日本政府は、1998年にインドとパキスタンが実施した核実験に対し、政府開発援助を全面的に停止してしまった。重要な戦略的パートナーに対するこの非行は日本、インド双方にとって重大な損害である。しかも、1995年に敵国の中国がおこなった核実験に対して日本は、無償資金援助を停止したのみであった。敵国には援助するのに、戦略的パートナーには援助を停止するという、日本政府の奇行は日本国民に大きな損害を与えた。

 

第5節 日本の危機 台湾

 

 国共内戦に破れ、台湾に逃れてきた国民党、蒋介石、蒋経国政権は国内では独裁政治体制を敷き、中華民国の大陸復権を目指していた。中国(中華人民共和国)は、1954年から金門島、馬祖島への砲撃を始め、全力を挙げて台湾侵攻の機会をうかがってきた。1996年、独裁政治に終わりをつげるべく実行されようとしていた総統の民主選挙に対し、中国は3発のミサイルと、台湾上陸を前提とした大規模な軍事演習を実施、自由と民主主義に対する脅迫・恫喝をおこなった。しかし、台湾は恫喝に屈することなく、総統選挙を実施し、その結果、李登輝氏が総統に選ばれ、台湾は新たなる一歩を確実に進めることになった。

 しかし、中国は台湾の対岸に大量の地対地ミサイルを配備、スホーイSu―27戦闘機、スホーイSu―30MKK戦闘爆撃機を300機以上、ミコヤンMIG-21ベースの旧型戦闘機、旧型攻撃機を3000機近く配備し、人民解放軍海軍艦船とともに台湾封鎖や台湾侵攻を実行する態勢を敷いている。 

台湾は、ロッキード・マーティンF-16Aブロック20ファイティング・ファルコン戦闘機150機、ダッソー ミラージュ2000-5戦闘機60機、IDF経国戦闘機150機、ノースロップF-5E/Fタイガー戦闘機215機と、レーダー、情報通信網、PATRIOT地対空ミサイル防空システムなどによる高度の防空システムで空からの脅威に対抗し、オリヴァー・ハザード・ペリー級フリゲート、フランスのラファイエット級フリゲートの台湾版・成功(チェンクン)級フリゲートを保有し、中国による海上封鎖に対抗しているが苦境に立たされている。

 

第6節 日本の危機 韓国

 

 

 韓国は、日本固有の領土である竹島を不法に占拠し続けている。韓国は国際司法裁判所での解決を拒み続けている。

沿岸海軍(ブラウン・ウォーター・ネイヴィー)だった韓国海軍は、外洋海軍(ブルー・ウォーター・ネイヴィー)に変貌を遂げつつある。

駆逐艦増備計画であるKDX-1、KDX-2、KDX-3により海軍力の大幅な増強がなされた。

日本のシー・レーンに対する脅威になりつつある。また、潜水艦勢力の増強も計画されている。

 空軍力も増強されている。

マクドネル・ダグラスF-4D/EファントムⅡ戦闘機に代わり、ボーイングF-15Eストライク・イーグル戦闘爆撃機の韓国版であるボーイングF-15Kスラム・イーグル戦闘爆撃機が配備され、さらに増強される。

F-15Kスラム・イーグル戦闘爆撃機は長距離射程の空中発射巡航ミサイルAGM-84E SLAM-ER空対地ミサイルを搭載し、対地攻撃能力が優れている。F-15Kスラム・イーグル戦闘爆撃機とAGM-84E空対地ミサイル導入の前提は竹島問題であると公表されている。

地上発射/水上発射の韓国国産巡航ミサイルや弾道ミサイルも開発・配備され、北朝鮮とともに日本にも照準が合わされ、日本の脅威となりつつある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第7節 日本の危機 アメリカ

 

 アメリカは政府要人、高官の登用にポリティカル・アポイントメント制をとっており、政権によって外交・防衛政策が違ってくる。

 

1981年から1992年まで続いた共和党政権での対日本政策担当の中心はジェームズ・アワー国防省日本部長であった。ドイツ系カトリック教徒のアワー氏(現バンダービルド大学教授)は、マーケット大学在学中、予備士官訓練制度(ROTC)によって軍事訓練を受け、1963年に海軍少尉で任官、ベトナムで掃海艇に配備された後、タフツ大学大学院フレッチャー・スクールに進学、1970年に日本に留学した。日本留学で「よみがえる日本海軍」を執筆、日本の海上自衛隊を的確に評価した。1979年に国防省日本部長に着任、日本の重要性を説き、冷戦激化の中の日米同盟強化に尽力した。アワー氏は日本の防衛力の着実な整備と、日米同盟の強化、日本の集団自衛権行使をすすめている。(注1)

同じく、1980年代の共和党政権で、国防省東アジア担当国防次官補をつとめ、日米関係に大きな影響力を持つリチャード・アーミテージ氏(2001年から2004年までジョージ・W・ブッシュ政権で国務副長官)である。アーミテージ氏は、1967年に海軍士官学校を卒業、海軍少尉としてベトナム戦争に従軍後退役する。直後に、海軍、中央情報庁(CIA)、アメリカ軍駐在武官本部スタッフ、民間人の身分で特殊作戦任務に従事した。その後、国防情報庁(DIA)、ボブ・ドール上院議員事務所スタッフ、レーガン大統領選挙キャンペーン・スタッフを経て、1981年国防省東アジア担当国防次官補に着任する。

 レーガン政権の東アジアの安全保障政策は、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官の主張する中国重視と、リチャード・アーミテージ国務次官補、ジェームズ・アワー国防省日本部長らの主張する日本重視の考えが対立した。キャスパー・ワインバーガー国防長官、ジョージ・シュルツ国務長官、ジョージ・ブッシュ副大統領らは、アーミテージ国防次官補、アワー国防省日本部長の日本重視の主張を採用した(注2)。

アーミテージ国防次官補は、日米同盟の強化、自衛隊の着実な整備と強化を求めたが、日本のFSX(次期支援戦闘機)計画において、日本の単独開発には反対した。その理由として、日本単独では、その技術の低さから満足な性能を得る支援戦闘機は開発できない、悪化する日米貿易摩擦を緩和するために、航空機分野はアメリカが主導するのが得策である、というものだった。その結果、FSXはゼネラル・ダイナミクスF-16ファイティング・ファルコン戦闘機をベースに、日本とアメリカが共同開発することになった。(注2)

 アーミテージ氏は日本の防衛力強化・整備、日米同盟の強化、日本の集団自衛権行使をもとめているが、アワー氏と同様に、日本の核兵器保有には否定的で、そのまえに通常戦力の大幅な増強を求めている。(注3)

 アメリカ右派の自由主義思想であるリバータリアニズムと、リバータリアニズムを代表するシンクタンクのケイトー研究所の外交・防衛政策の責任者で、ケイトー研究所の副所長でもあるテッド・カーペンター氏は、日本は地上発射大陸間弾道ミサイル、潜水艦発射弾道ミサイル、長距離飛行可能な戦略爆撃機を保有し、核のトライアドを構築し、日本は独自で核の抑止力を持つべきだとしている。通常兵力では、空母を保有し、航空戦力を大幅に強化し、日本独自でシー・レーン防衛すべきであるとしている。さらにアメリカ合衆国軍は日本から撤退し、そのうえで日本とアメリカは友好関係を築くべきとしている。(注4)

同様の立場に、ダグ・バンドウ氏がいる。ダグ・バンドウ氏もリバータリアンで、合衆国のアジア太平洋への介入、地域紛争への介入に否定的見解を表明している。 

ニクソン大統領のスピーチライターをつとめ、1992年の共和党大統領予備選挙のニュー・ハンプシャー州予備選挙でトップとなり、その後は政治評論家、ポリティカル・ディスク・ジョッキーなどを正業としているアイルランド系カトリック教徒のパット・ブキャナン氏は、自らを「ネオ・アイソレーショニスト」と名乗るアイソレーショニスト(鎖国主義者)である。「アメリカ・ファースト」、「バイ・アメリカン」を訴え、アメリカ企業製品の購入、アメリカ国内での生産、輸入製品への高関税付加をもとめる経済・通商の保護主義者である。外交・防衛政策では海外駐留のアメリカ合衆国軍の全面撤退と、大幅な軍縮政策を主張している。

 1993年からクリントン政権で東アジア担当国務次官補を務めていたジョセフ・ナイ氏(ハーバード大学ケネディ行政学大学院長)は、1970年代後半のカーター政権では、ズビグニュー・ブレジンスキー大統領特別補佐官とともに日本封じ込め・弱体化に賛同していたが、クリントン政権では日本国憲法の枠内での極東における日米防衛協力推進を主張し、2000年のアーミテージ・レポートでは日本国憲法改正と集団自衛権強化、日本の防衛力強化を主張するに至っている。

 1977年から1980年までカーター大統領の特別補佐官をつとめたポーランド出身のユダヤ教徒であるコロンビア大学教授のズビグニュー・ブレジンスキー氏は、アメリカの外交・防衛政策および世界の政治に大きな影響力を持つ。ブレジンスキー氏は、世界有数の外交論文集である「フォーリン・アフェアーズ」誌の1997年9/10月号に、「ユーラシアの地政学」という論文を発表している。そこでは、「とりわけ重要なのが、NATO,米国とさらには中国とのパートナーシップの形成であり、これを軸にロシア、中央アジア、日本との安定的共存を図っていかなければならない。」(注5)、「核戦力を別とすれば、中国が自らの地域を越えてその軍事的影響力を行使する能力をもつことは当面ありえない。」(注81)、「日本は極東における米国の不沈空母であってはならない。日本はアジアでの米国の主要パートナーであってはならない。」(注6)、「(日本を)地域大国になろうとする試みを回避させる方向へ向かわせる。」(注7)、「日本がグローバルな影響力を手にすることができるのは、地域大国になりたいという望みをおさえた場合だけである。」(注8)と主張、日本の大国化に反対し、日米同盟も否定するなど反日、嫌日の姿勢を強調し、中国をNATOと同列のパートナーとする構想を主張している。

 ブレジンスキー氏はアル・ゴア民主党大統領候補、ジョン・ケリー民主党大統領候補、バラク・オバマ大統領の外交顧問、外交ブレーンとして中国との関係強化を主張した。

 1969年から1976年まで、ニクソン・フォード政権において大統領補佐官や国務長官をつとめ、ハーバード大学の教授でもあり、アメリカ政界、学界、財界のみならず、全世界に影響を行使しえるドイツ出身のユダヤ教徒であるヘンリー・キッシンジャー氏。コンドリーザ・ライス前国務長官が親北朝鮮、親中国外交を推進したのもキッシンジャー氏の全面的なアドバイスに盲従したためである。

キッシンジャー氏は1997年8月25日の読売新聞「地球を読む」において、「米中関係 共存の道探る好機」と題し、そこで「少なくとも今後十年間、日本の軍備はますます恐るべきものとなろう。」(注9)と国際政治学者にしては的外れな見解を表明した後、「さらに、北京の立案者たちは、インドや韓国、ロシア、ベトナム、さらに台湾の軍事能力を無視することはできない。」(注10)、「中国にとって米国と日本の関係は、依然として懸念のもとである。」(注11)と、中国の立場のみを強調している。

1999年10月25日の読売新聞「地球を読む」において、「薄れた国家独裁色」と題し、「インドから日本、ロシアに至るまで、軍事的に相当な隣人と向き合っている」(注12)と中国の軍事力を擁護している。

1999年5月10日の読売新聞「地球を読む」においては、「軍事的挑戦をおこなったのは台湾を巡る国家統一の懸念や、南沙諸島などの伝統的な領土主張の擁護のためだった。中国の戦略能力は20基そこそこの戦略核を擁するに過ぎない。」(注13)と主張、中国の軍事的恫喝を支持している。

また、天安門事件ではABCテレビ「ABCワールド・ニュース・トゥナイト・ウィズ・ピーター・ジェニングス」において、マスター・オブ・セレモニーのピーター・ジェニングスのインタビューに対し、「私ならどのような制裁もしない。」と語っている。

1995年7月にはワシントン・ポストで「アメリカも中国もそれぞれ理由は異なるが、一つの覇権国家によってアジアが支配されることに反対している」と意味深な文言を残し、「中国はアメリカに強力な近隣諸国との関係を均衡させる手助けをして欲しいのだ。」、「少なくとも中国が自らそれができるほど力をつけるまでは」と、中国の将来のアジア覇権を認めている。(注14)

 国家安全保障会議のアジア上級部長などを歴任した戦略国際問題研究所のマイケル・グリーン氏は、日本の偵察衛星保有にすら反対していた。

1993年から2000年まで続いたクリントン政権では、ウォルター・モンデール駐日大使(1977年から1980年まで副大統領)は、尖閣諸島紛争にアメリカは関与しないと発言、サンディ・バーガー国家安全保障担当大統領補佐官、バウチャー国務省報道官もこのことを追認した。日本での怒りの声を考慮したカート・キャンベル国防次官補代理は、日本の施政権下にある尖閣諸島は日米安全保障条約によって守られると、政府高官の前言を撤回した。しかし、クリントン民主党政権は中国を「戦略的パートナーシップ」と位置づけ、中国を重視していた。

注1   ジェームズ・アワー「日米安保協力体制への三つの提言」

中央公論社『中央公論』1994年1月号  

注2   リチャード・アーミテージ氏の証言 読売新聞朝刊1995年11月25日

注3   リチャード・アーミテージ「米国と日本 成熟したパートナーシップにむけて」2000年10月11日

     リチャード・アーミテージ、ジョセフ・ナイ

文芸春秋 文春新書『日米同盟VS中国・北朝鮮』

注4   田久保忠衛氏の証言

テッド・カーペンター「日本は『大国の義務』と自立のために米国の安全保障の毛布から出よ」小学館『SAPIO』1999年8/25・9/8合併号

注5   ズビグニュー・ブレジンスキー「ユーラシアの地政学」

     外交問題評議会『フォーリン・アフェアーズ』97年9/10月号

     中央公論社『中央公論』1997年1月号P395

注6   同上P395

注7   同上P401

注9   同上P403

注10  読売新聞朝刊「地球を読む」1997年8月25日月曜日

注11  同上

注12  同上

注13  読売新聞朝刊「地球を読む」1997年10月25日月曜日

注14  読売新聞朝刊「地球を読む」1999年5月10日月曜日

 

第8節 日本の危機 ロシア

 

 ソ連時代は極東に多大な戦力を割き、南下政策、日本侵攻を実現する可能性もあったが、ソ連崩壊後の経済的困窮によってロシアの軍事力は急速に低下した。艦艇の半数近くが退役し、軍内の士気も低下した。また、ベトナムのカムラン湾においていた海軍基地からも撤退し、ロシア海軍艦船の日本海縦断、日本接近の回数も減った。しかしながら、威嚇偵察と思われる航空機の領空侵犯や、樺太千島交換条約に記されている「北方領土は北海道の一部である」との文言を無視して、ロシアは北方領土を不法占拠しているのみならず、択捉島、国後島には冷戦激化の1979年から継続的に旅団(5000人)規模の地上軍部隊、戦闘機部隊を配置していた。

 現在は、限られた資源を有効に活用すべく、弾道ミサイル搭載原子力潜水艦、地上発射大陸間弾道ミサイルの二本槍による核戦力、高い運動性能を誇るスホーイSu―27戦闘、スホーイSu―30戦闘爆撃機、スホーイSu―35戦闘機の配備を進めている。また、経済的困窮から逃れるために、中国にたいし、大量に戦闘機、駆逐艦、潜水艦を輸出するなど、地域の軍事バランスを乱す行為を続けている。

 経済は一時の困窮を脱し、上向きつつある。70年代後半の軍拡と外交攻勢、拡張主義のときのように石油資源の高騰など状況が整えば再び覇権大国をめざし、軍事力を行使して東アジア、日本を影響下におさめようとする可能性がある。(注1)

 

注1  防衛庁防衛研究所『東アジア戦略概観』1993~2003 

 

    新井弘一氏の証言

 

 

 

第9章 日本のテロ・ゲリラ・コマンド対処

 

第1節 インテリジェンス 1990年代

 

 日本に対する直接、間接の侵略がおこなわれるとき、特殊部隊、非正規部隊による陽動作戦、自衛隊、アメリカ軍基地に対する攻撃、重要防護施設、社会基盤に対する攻撃、要人、自衛隊幹部、警察・情報機関幹部の暗殺、拉致、テロリズムによる心理戦などが予想される。こうした危機に対処するには平時からの監視・情報調査活動、警備政策が必要である。

 日本においてこうした活動をおこなっているのは、警察庁警備局、内閣情報調査室、公安調査庁、防衛庁情報本部、三自衛隊幕僚監部などである。

 そのなかでも警察庁警備局は各省庁、各機関に人員を派遣し、情報収集につとめている。内閣情報調査室の大半の人員、公安調査庁調査第一部長、防衛庁情報本部電波部長、内閣危機管理監、内閣安全保障・危機管理室長とその後継の内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)、内閣秘書官主要、情報担当部署に人員を送り込んでおり、日本の防諜は実質的には警察庁警備局が握っている。

 内閣情報調査室は総務部、国内一部、国内二部、国際部、経済部、資料部、内閣情報集約センター、内閣衛星情報センターがあるが、人員は200人程度、少し前までは80人しかいなかった。

内閣調査官は15人で、警察庁から4人、外務省、財務省、経済産業省、厚生労働省、総務省から1人ずつ派遣されている。事務官も各省庁から派遣されており、警察庁から40人、公安調査庁から20人、防衛庁から10人、他の省庁から数人ずつ出向しており、内閣情報調査室プロパーは70人前後である。(注1)

 公安調査庁は1500人で、行政改革により1800人から300人削減された。公安調査庁長官と次長は検察庁から派遣される検事で、幹部には法務省の官僚も派遣される。公安調査庁には北海道公安調査局、東北公安調査局、関東公安調査局、中部公安調査局、近畿公安調査局、中国公安調査局、四国公安調査局、九州公安調査局と公安調査事務所が14ある。しかしかつて公安調査事務所は43あり、公安調査庁の調査力は行政改革と言う名で安全保障を軽視し減らされた。

公安調査庁長官の下には次長があり、総務部には総務課、人事課、工作推進室がある。総務部長は検事で、人事課長は公安調査庁第Ⅰ種国家公務員、工作推進室長は参事官である。総務部には審理室(旧・法規課)、企画調整室、広報連絡室があり、審理室長は検事である。調査第一部には市民団体調査、選挙情報の調査、企画調整をおこなう第一課、中核派、革労協の調査をおこなう第二課、日本共産党の調査をおこなう第三部門、右翼団体の調査をおこなう第四部門、革マル派、共産主義者同盟諸派の調査をおこなう第5部門、オウム真理教と後継団体の調査をおこなうオウム特別調査室がある。調査第一部長は警察庁第Ⅰ種国家公務員で、調査第一部第一課長は検事である。調査第二部には企画調整、日本赤軍、よど号ハイジャック犯の追跡、国際テロリズムの調査をおこなう第一課、外国情報機関との連絡調整をおこなう第二課、朝鮮総連と北朝鮮の調査をおこなう第三部門、中国、東南アジア、ロシア、欧米を幅広く調査する第四部門がある。調査第二部長は公安調査庁第Ⅰ種国家公務員で、第二部第一課長は検事である。(注2)

海上保安庁長官は国土交通省の官僚で、主要ポストにも配置される。防衛庁においては、防衛参事官をはじめとして主要ポストに警察庁、外務省、財務省、経済産業省、厚生労働省の官僚が派遣される。

いずれも、国防、治安、情報の中枢に安全保障・防衛・軍事の素人がおかれるという事態が長年続いてきたが、今後も当分かわりそうにない。

 警察庁警備局は、全国の都道府県警察の警備部公安課、外事課、警備課を指揮下に置き、情報収集活動、防諜活動をおこなっている。警察庁警備局の隷下には、全部門を担当する警備企画課、左翼勢力を調査する公安第一課、右翼勢力、皇室警衛、要人警護を担当する公安第二課、防諜、外国勢力の不穏活動や国際テロリズムを調査する外事課、機動隊、銃器対策部隊、特殊急襲部隊の運用を担当する警備課をおく。

 実働部門は、全国の都道府県警察が担当する。全国の中でも首都であり、官公庁が集中し、外国大使館が集中する東京を管轄する警視庁は、公安部を全国で唯一おいている。警視庁公安部の隷下には、総務や日本共産党を調査する公安総務課、新左翼勢力を調査担当する公安第一課、革マル派(革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義者)と革マル派系のJR東労組を調査する公安第二課、右翼勢力を調査する公安第三課、資料の管理を担当する公安第四課がある。ロシア、東ヨーロッパ諸国の諜報活動、ワッセナー取極違反を調査する外事第一課、北朝鮮、中国、台湾、韓国の諜報活動、不法活動を調査する外事第二課、国際テロ対策室があった。(注3)

また、公安警察の管轄する事件や、テロ事件発生時に捜査する公安機動捜査隊、NBC(核、化学兵器、生物兵器)テロリズム発生時に現場に急行し、対処活動するNBC防護隊がある。

 領事館が集中し、企業本社が集中する大阪府警察には、警備部のもとに、機動隊、警備課、警護警衛課という警備警察と、警備総務課、公安第一課、公安第二課、公安第三課、外事課、国際テロ対策課という公安警察、公安機動捜査隊、NBC防護隊の8課2隊がおかれる。

 神奈川県警察、兵庫県警察、福岡県警察、広島県警察、愛知県警察、北海道警察などの主要県警察本部には、警備部の隷下に公安第一課、公安第二課、公安第三課、外事課、警備課の5課と機動隊がおかれる。そのほか、人口の少ない県では警備部の隷下に、公安課、外事課、警備課と機動隊がおかれるだけである。

公安警察では、刑事警察と同じような捜査活動とともに、事件が発生する前からの調査活動、事件発生を防ぐ活動に重点が置かれる。刑事警察の捜査活動は、捜査本部長に都道府県警察刑事部長が就任し、捜査副本部長に刑事部捜査課長と所轄警察署長が就任、捜査主任官に刑事部捜査課管理官、副捜査主任官に所轄刑事課長があたり、本部刑事部と所轄の合同捜査という形をとる。捜査に使用される車両は大量受注された車両が主で、TLアンテナ、TAアンテナ(TVダイバーシティ・アンテナ)などを装備し、公表されている。

一方で、公安警察の場合、警察庁警備局長を頂点に、各都道府県警察本部警備部長から、公安課、所轄警備課へとトップ・ダウンで司令が通達される。使用される車で公表されているのは、観閲式、年頭視閲式で公開されている公安機動捜査隊の車両のみで、刑事警察に比べ秘匿性を徹底させている。また、KGB(国家保安委員会、現・SVR対外情報庁)、GRU(軍参謀本部情報総局)、イタル・タス通信、プラウダ、中国国家安全部、中国人民解放軍総参謀部第2部、中国共産党中央宣伝部、中国共産党中央対外宣伝弁公室、新華社通信、人民日報、解放軍報、北朝鮮の朝鮮労働党対外連絡部、朝鮮労働党作戦部、朝鮮労働党35室、朝鮮労働党統一戦線部、北朝鮮政務院外交部、北朝鮮政務院国家保衛部、北朝鮮政務院社会安全部、北朝鮮人民武力省総参謀部、北朝鮮人民武力省偵察局、北朝鮮人民武力省保衛司令部、北朝鮮人民武力省軽歩兵教導指導局、朝鮮総連、日本赤軍と支援組織(人民革命党)、日本共産党、日本共産党中央委員会第2事務部、革マル派、中核派、革労協、社青同解放派など危険・凶暴で洗練された軍事的諜報・工作機関、テロリストを調査対象としているため捜査活動も徹底して秘匿されている。また、公開資料や文章の解析もさることながら、調査対象組織内にスパイを設定し、情報を収集することに力をおいている。いわゆるHUMINTが重視されている。このことは公安調査庁にもあてはまり、公安調査庁においても公開資料や文章の解析・分析よりも、HUMINTが重視され、評価される。内閣情報調査室では200人前後と非常に少ない人員の制約があるため、公開情報・文書解析に重きがおかれるが、実際のところ重きが置かれるというよりもHUMINTしたくても金銭的、人的余裕がない、というのが真実であろう。室長はHUMINTを重視する警察庁警備局からの派遣人員であるということからも、本来はHUMINT重視と思われる。

 

注1 宝島社『公安アンダーワールド』P198

注2 同上P214

注3 同上P226

 

 

第2節 警察の対テロ作戦

 

非正規戦やテロリズム事件発生時、初動対処(2時間)にあたるのは地域部自動車警ら隊、機動警ら隊、刑事部機動捜査隊である。地域部隊員の主装備は、最近はアルミ・フレームで非常に軽いスミス&ウェッソン(S&W)M37エアー・ウェイト38スペシャル口径回転式拳銃(5発装弾)、S&W M3913「LADY SMITH」9mm×19口径自動拳銃(8+1発装弾)が導入され始めた。刑事部機動捜査隊捜査員の装備はシュバイツイッシュ・インダストリー・ゲゼルシャフト(SIG)P230 32ACP口径(7,65mm×17)自動拳銃(7+1発装填)であり、非正規戦や銃乱射などのテロリズム発生時には対応は困難と思われる。

1997年2月28日にロサンゼルス市ノース・ハリウッドのローレル・キャニオン通りにあるバンク・オブ・アメリカで銀行強盗事件が発生した。犯人はごく普通の凶悪犯罪者ラリー・フィリップス・ジュニアとエミール・マタサレムの二人だけである。二人は全身をアラミド繊維製の防弾装備で固め、ノリンコAK-47突撃銃、H&K HK91ライフル、ブッシュマスターAR-15ライフルなどの自動小銃、ベレッタM92F拳銃を乱射し、周囲を警察官50人以上で完全に包囲したロサンゼルス警察と銃撃戦を展開、拳銃とショット・ガンしか装備しないロサンゼルス警察のパトロール警官と刑事はなすすべもなく一方的に長時間、1000発以上銃撃された。アラミド繊維製防弾装備には効果が無い拳銃、ショット・ガンによる反撃は全くの無力だった。アラミド繊維製防弾装備を貫通する能力を持つM16A1自動小銃を装備するSWAT部隊は渋滞で到着が遅れ、SWAT隊員がM16A1自動小銃で犯人を射殺するまでに重傷者が多数発生、死者が出なかったのは奇跡であった。この事件以後、M16A1自動小銃が普通のパトロール車両に配備されるようになったことから、初動対処にあたる警察官の重装備化および能力、資質の飛躍的な向上が重要である。銃犯罪に精通したロサンゼルス警察ですらごく少数の素人重武装犯罪者にすら対処するは至難の業であった。日本赤軍のロッド空港での無差別銃乱射テロ事件、ラシュカレ・タイバによるインド・ムンバイ無差別銃乱射テロ事件、フランス銃撃テロ事件もあったことであり、専門の高度な訓練を受けた北朝鮮のゲリラ部隊、特殊部隊の無差別テロ作戦や、国際テロリストに対処するには相当の準備、訓練、警察官人員の入れ替え、ドクトリンの抜本的改革、と装備が要る。(注1)

立て籠もり、人質事件、誘拐・拉致事件、銃器犯罪などのテロリズムの発生時、最初に対処するのは各都道府県警察本部刑事部捜査第一課におかれる特殊犯捜査係である。テロ事件が長期化することが見込まれる場合は、特に能力が高い警視庁刑事部捜査第一課特殊犯罪捜査係・特殊捜査班SIT(東日本)、大阪府警察刑事部捜査第一課特殊事件係・制圧攻撃班MAAT(西日本)が犯行現場に派遣され、武力行使によらない解決に尽力がそそがれる。SITとMAATは他の県警察とは比較にならないほどの人員、予算が与えられており、訓練や実戦経験も豊富である。

一方で、武力行使も含めた強行解決にむけた準備がすすめられる。各警察本部警備部機動隊による現状調査、警備がすすめられ、機動隊銃器対策班、特殊急襲部隊SAT(Special Assault Team)による突入準備が進められる。突入にはSATがあたり、銃器対策部隊はその支援にあたる。特殊捜査犯捜査係とSATは、レーザー測距機、指向性高感度マイク、超小型カメラ、コンクリート透過レーダー、骨伝導デジタル無線装備などを使用し、状況把握に全力を注ぐ。突入の際はスタン・グレネード(特殊音響閃光弾)が使用され、犯人が無力化しているうちに処理される。SATは89式小銃、H&K MP5(機関拳銃、サブ・マシンガン、9mm×19)、H&K USP 9mm×19口径自動拳銃(8+1発装弾)、レミントンM700狙撃ライフル(7,62mm×51)、豊和工業M1500ライフル(7,62mm×51)、H&K PSG-1狙撃ライフル(7,62mm×51)を使用(注92)、テロリストを無力化する。

特殊急襲部隊SATは1977年10月に発足した。1977年9月、日本航空ダグラスDC-8機が日本赤軍にハイジャックされた。政府は福田赳夫首相の腰抜けの判断でテロリストの要求に前面屈服し、超法規的措置により、囚人であるテロリストを釈放した。   

さらに身代金600万ドル(約10億円)まで支払い、テロリストを野に放ったことで世界から批判されたことに対する反省から生まれた。諸外国からは「テロリストまで輸出する」と非難されるのは如何ともしがたかった。

一方で1977年10月に発生したルフトハンザ・ボーイング737機がPFLP(パレスチナ解放人民戦線)にハイジャックされた。犯人のテロリストは、ヨーロッパ各国に収監されている西ドイツ赤軍派(RAF)とPFLPのメンバーの釈放、身代金900万ドル(約15億円)を要求した。こうしたテロリストの要求に対し、西ドイツ政府は要求拒否を決断した。パイロットを殺害したテロリストが陣取るソマリア・モガディシオ空港に指揮を執る総務長官と、対テロ特殊部隊である内務省国境警備隊第9部隊(GSG-9、現・連邦警察庁GSG-9)を派遣する。

イギリス陸軍特殊空挺部隊(SAS)の支援のもと、スタン・グレネードを使用、H&K MP5機関拳銃で犯人の無力化に成功、3人を射殺、1人を逮捕した。日本の警察庁首脳は事態を重視、西ドイツに幹部を派遣、GSG-9設立の経緯と運用を調査した。

GSG-9は1972年のミュンヘン・オリンピックでイラク・バグダッドを拠点とするパレスチナ・ゲリラ「黒い9月」によるイスラエル選手団人質、殺害事件の反省から発足した。当時の西ドイツでは、基本法(憲法)により、北大西洋条約機構域外に連邦軍を派遣できなかったことから、全世界に隊員を派遣できる国境警備隊に対テロ特殊部隊を設立することになった。このことは憲法なども政治的制約により、自衛隊の運用が厳しく制限されている日本において、非常に参考になった。

GSG-9は、第二次世界大戦からコマンド部隊を運用し、マラヤ、ギリシアでの共産主義ゲリラ掃討、北アイルランドでの暴徒鎮圧とIRA(アイルランド共和軍)への対テロ戦、家屋強襲群設置を実施した経験のあるイギリスSAS(特殊空挺部隊)に国境警備隊のヴェーゲナー中佐を派遣、対テロ戦闘のノウハウを学んだ。

1977年10月末、警察庁は警視庁警備部第6機動隊に極秘裏に「第7中隊」(「特科中隊」)を編成、肉体的、頭脳的、精神的に優れた警察官から60人を選定し、対テロ特殊部隊を編成した。また、1977年12月には大阪府警察警備部第2機動隊に「零中隊」を編成、警視庁と同様に優秀な人員40人で編成される対テロ特殊部隊を編成した。これら対テロ特殊部隊は、GSG-9、SASなどから対テロ作戦を学び、徐々に実力をつけていった。(注3)

1979年1月26日、猟銃で武装した30歳の男、梅川昭美が大阪市住吉区にある三菱銀行北畠支店を襲撃、銀行員2人を射殺、駆けつけた阿倍野署警ら係長警部補と住吉署警ら課巡査の2人も射殺、さらに第2方面機動警ら隊員に発砲、負傷させた。さらに人質に猟奇的、残忍な危害を加え、愛媛県から連れて来た母親の説得も聞かなかった。

大阪府警察警備部(三井一正警備部長)は機動隊とともに、「特別狙撃隊」と偽装して、対テロ特殊部隊「零中隊」を派遣する。新田勇刑事部長と坂本房敏刑事部捜査第一課長の進言で、吉田六郎大阪府警察本部長が判断、1月28日午前8時に第2機動隊の松原和彦警部指揮の下、「特別狙撃隊」32人を投入、犯人・梅川昭美を45口径拳銃で射殺した。(注4)その後、「第7中隊」「零中隊」は、SAP(SPECIAL ARMED POLICE)と称され羽田空港や伊丹空港で、日本航空、全日本空輸、東亜国内航空と協力し、ハイジャック対処訓練を繰り返し、ハイジャック対処では世界有数の力を持つにいたった。また、訪日した外国の要人や、日本政府の閣僚の警護などにも投入され、実績を積んでいった。

1995年、札幌近郊・新千歳空港で心神喪失状態の東洋信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)行員が全日空ボーイング747機をハイジャックした。北海道警察機動隊、銃器対策部隊とともに、警視庁SAPが派遣された。報道においては、特殊梯子による突入が喧伝された。特殊梯子による突入が衆人の目にさらされたことによって、対テロ特殊部隊の存在が明らかになった。

このことから、警察庁は対テロ特殊部隊の存在を正式に認め、特殊急襲部隊SATと名づけた。さらにSATは、神奈川県警察、千葉県警察、北海道警察、福岡県警察、愛知県警察の5県警察にもそれぞれ20人ずつで設立した。特殊急襲部隊SATはハイジャックなどのテロリズム対処とともに、非正規戦、ゲリラ・コマンド対処においても重要な役割を果たす。治安出動、防衛出動が発動されるまでには時間を要すると思われ、自衛隊の出動は困難と思われる。また、治安出動、防衛出動が発令され、自衛隊が出動するにいたっても、重要防護施設警備、要人警護、遊撃対処など任務はあまりにも多すぎ、自衛隊の人員だけでは不足する。そういう事態に対し、警察の特殊急襲部隊SAT、銃器対策部隊、機動隊、自動車警ら隊、機動捜査隊はフル動員せざるを得ない。

1996年予算において、SAT訓練費10億円を要求した警察庁であったが、大蔵省はそれを不要として認めなかった。しかし、同年12月に、ペルーの日本大使公邸占拠・人質事件発生にいたって、大蔵省もテロリズムの危険を認めざる得なくなり、予算は通ることになった。また、ペルー日本大使公邸占拠・人質事件に特殊急襲部隊を派遣すべきとの声が与党内からあがったがが、内閣法制局は憲法で禁止されている「海外での武力行使」に相当すると否定したため、断念された。

各種凶悪刑事事件、テロリズム、ゲリラ事件、コマンド対処に幅広く投入されるのは警察の機動隊である。機動隊はSAT隊員の選抜母体にもなっており、さらにSAT出身者が特殊犯捜査係、総理大臣官邸警備隊に転属し、技術を伝承していく。

機動隊は、警視庁に9個機動隊(第1機動隊:千代田区、第2機動隊:墨田区、第3機動隊:目黒区、第4機動隊:立川市、第5機動隊:新宿区、第6機動隊:品川区、第7機動隊:調布市、第8機動隊:新宿区、第9機動隊:江東区)と1個特車隊(新宿区)の10個隊、3000人と特殊急襲部隊(SAT)3個隊60人がおかれる。大阪府府警には、3個機動隊900人と特殊急襲部隊2個隊40人がおかれる。千葉県警察には、3個機動隊900人と特殊急襲部隊1個隊20人、成田国際空港警備隊(新東京国際空港警備隊から改称、国家予算で運営され警察庁警備局が指揮し、隊員も全国の都道府県警察の警察官から構成され、6個空港機動隊が設置されている)1500人がおかれる。神奈川県警察と福岡県警察には、2個機動隊600人と特殊急襲部隊1個隊20人がおかれる。他の府県警察には1個機動隊が定数なくおかれる場合と、または常勤の第1機動隊とパートタイムの第2機動隊がおかれる。

車両は三菱重工業によって防弾鋼板で防弾化された三菱ふそうキャンター特型警備車・小型警備車、日野ガーラ大型バスがベースの輸送警備車や三菱ふそうファイター遊撃放水車、三菱ふそうスーパー・グレート銃器対策特型警備車、三菱ふそう、日野自動車/いすゞ自動車/Jバス、UDトラックスが製造する大型輸送車、日産シビリアン、三菱ローサ、いすゞジャーニー、トヨタ・コースターなどマイクロバスのⅠ型遊撃車、紺色または白色のトヨタ・ハイエース、日産キャラバン/ホーミー、トヨタ・ランドクルーザーのⅡ型遊撃車、SUVがベースのゲリラ対策車が配備されている。偵察・斥候用や移動用にはセダンのの覆面車が使われる。

指揮のために用いられる多重無線車にはトヨタ・ハイエース、日産キャラバン、日産シビリアン、バス型大型輸送車改造多重無線車、遊撃車Ⅰ型多重無線車、遊撃車Ⅱ型多重無線車、捜査指揮車が使われる。SATには隊長車には三菱パジェロ、トヨタ・ランドクルーザーなどの防弾車、移動車に日野リエッセ小型バス、装備搬送車には三菱ふそうキャンター・ガッツ、三菱ふそうファイター、三菱ふそうスーパー・グレートが用いられる。

警視庁警備部警護課、警備部警衛課、大阪府警警備部と京都府警の警護警衛課、各県警の警備部警護課の警護任務にはシボレー・エクスプレス、シボレー・アストロにTLアンテナ2本以上を装備したものや、高い座席位置からの視野確保のためと突撃阻止・防止のために重量が重く車高の高いシボレー・タホ、いすゞビッグホーン、トヨタ・ランドクルーザー、三菱パジェロなど中型、大型のSUVが使用される。日本の警察の装備は凶悪犯罪者、大規模デモ、暴動、少数のテロリズムには有効ではあるが、大規模テロリズム、重武装ゲリラ、重武装テロリズム、特殊部隊・コマンド対処は不可能と思われる。銃やボディ・アーマーなどは日常の使い勝手、動きやすさを重視しているため、有事の際の最悪の事態に対処しにくい。また、ノルマとマニュアルによる行動やずさんな捜査、マス・メディアや弁護士、一部の世論に気を配りすぎ軽武装により、仮想敵につけこまれると大惨事になる恐れが高い。

 

 

注1  コロンビア・ブロードキャスティング・システム

「CBSイヴニング・ニュース・ウィズ・ダン・ラザー」

    アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニーズ

「ABCディス・ウィーク・ニュース・ウィズ・デヴィッド・ブリンクリー」

    ケーブル・ニュース・ネットワーク「CNNニュース」

    ディスカバリー・チャンネル「ゼロ・アワー」

注2  警察庁『焦点 第265号 警備警察50年 現行警察法施行50周年記念特別号』

注3  警察庁『平成16年版警察白書』

伊藤鋼一『警視庁特殊部隊の真実』大日本絵画

伊藤鋼一「SAT最強伝説」『ラジオライフ』三才ブックス2005年2月号

注4  読売新聞夕刊2002年12月4日写真 

注5  2002年5月10日警察庁SATビデオ、『平成16年版警察白書』P236

注6  読売新聞大阪社会部『三菱銀行事件の42時間』読売新聞社  

注7  2002年警察庁観閲式(神宮外苑絵画館前)

注8  2003年大阪府警察観閲式(大阪城公園太陽の広場)

注9  三推社『パトカー デラックス NEW』P99

注10  朝日新聞2002年5月30日

注11  朝日新聞2002年5月16日

 

 

第3節  自衛隊の対テロ作戦 1990年代

 

東西冷戦時代にもゲリラ・コマンドの危機は存在していたのだが、ゲリラ・コマンド対処には治安の要素があるため警察庁の反対や、自衛隊の活動に対してのマス・メディア、世論、政治家の反対があるため、自衛隊のゲリラ・コマンド対処は控えられた。しかし、ソ連が崩壊し、機甲部隊の衝突の可能性が低くなったため、相対的にゲリラ・コマンド対処の比重は高まった。また、1992年からはじまった北朝鮮による大量破壊兵器保有に対する制裁問題で、北朝鮮の暴発・崩壊の可能性が高まり、世界有数のゲリラ戦・テロリズム能力を有する北朝鮮の脅威が切迫したものとなった。

以前からソ連の日本進攻時に真っ先に投入されるソ連軍参謀総局特殊任務部隊(スペツナズ)を考慮はしていたが、こうした経緯で防衛庁、自衛隊のなかでもゲリラ・コマンド対処の重要性が再認識された。

陸上自衛隊は第一空挺団内にゲリラ・コマンド対処研究班を設立、合衆国陸軍特殊作戦コマンドの合衆国陸軍特殊部隊コマンドの特殊部隊群(グリーン・ベレー)や第1特殊部隊作戦分遣隊D(デルタ・フォース)に隊員を派遣し、運用、作戦を学んだ。

 

第4節  海上の対テロ作戦  1990年代

 

海上保安庁は法執行機関であるが、軍事的観点から見れば準軍事組織である。

海上保安庁は国土交通省の外局で、海上の治安維持を任務とする。定員は1万2000人である。内局には総務部、装備技術部、警備救難部、海洋情報部、交通部がある。

第1管区海上保安本部(本部:北海道小樽市)は北海道を担当する。第2管区海上保安本部(本部:宮城県塩竃市)は東北沿岸と東北の太平洋側沖合いを担当する。第3管区海上保安本部(本部:神奈川県横浜市)は関東を担当する。第4管区海上保安本部(本部:愛知県名古屋市)は中部地方太平洋側を担当する。第5管区海上保安本部(本部:兵庫県神戸市)は近畿南部、四国太平洋側を担当する。第6管区海上保安本部(本部:広島県広島市)は瀬戸内海を担当する。第7管区海上保安本部(本部:福岡県北九州市)は九州北部と山口県日本海側を担当する。第8管区海上保安本部(本部:京都府舞鶴市)は近畿・中部の日本海側、山陰を担当する。第9管区海上保安本部(本部:新潟県新潟市)は中部地方日本海側と東北の日本海側沖合いを担当する。第10管区海上保安本部(本部:鹿児島県鹿児島市)は九州南部を担当する。第11管区海上保安本部(本部:沖縄県那覇市)は沖縄県を担当する。(注1)

海上保安庁最大の艦船はヘリコプター2機搭載型、巡視船「しきしま」型である。平成元年度補正計画船で、平成4年4月8日に竣工した。総トン数7175トン、鋼製、ディーゼル推進である。兵装はエリコンKDC 35mm連装機関砲、JM61 20mm機関砲である。搭載ヘリコプターはアエロスパシアルAS332L1ヘリコプター2機である。フランスからのプルトニウム輸送を警護するために建造され、日本-フランス間を無補給で往復できる。日米原子力協定に基づきアメリカから対空レーダーを搭載するよう求められた。(注2)

 ヘリコプター2機搭載型、巡視船「みずほ」型の1番船PLH-21「みずほ」は、昭和58年度計画船で、昭和61年3月19日に竣工した。巡視船「みずほ」型は総トン数5229トン、常備排水量5317トン、鋼製、ディーゼル推進である。兵装はエリコンKDC 35mm機関砲1基、JM61 20mm機関砲1基である。搭載ヘリコプターはベル212ヘリコプター2機である。昭和54年の海上における捜索および救助に関する国際条約に対応するために建造された。巡視船「みずほ」型は2隻建造された。(注3)

 3000トン型、巡視船「みうら」型は、平成8年度計画艦で、平成10年10月28日に竣工した。総トン数3167トン、鋼製、ディーゼル推進である。兵装はJM61 20mm機関砲1基である。海上保安学校の練習船兼巡視船で、被災者・非難民移送能力、医療設備などが充実し、災害に対応できる。(注4)

 3000トン型、巡視船「こじま」は、平成2年度計画船で、平成5年3月11日に竣工した。総トン数3136トン、鋼製、ディーゼル推進である。兵装はエリコンKDC 35mm機関砲1基、JM61 20mm機関砲1基、FNブローニングM2 12,7mm機関銃1基である。海上保安大学校の練習船兼巡視船で、7メートル型高速警備救難艇を装備する。(注5)

 ヘリコプター1機搭載型、巡視船「つがる」型は、1番船PLH-02「つがる」が昭和52年度補正計画船で、昭和54年4月17日に竣工した。総トン数3221トン、満載排水量4037トン、鋼製、ディーゼル推進である。兵装はボフォースL70 40mm機関砲1基である。搭載ヘリコプターはベル212ヘリコプターである。「つがる」型巡視船は9隻建造された。(注6)

 ヘリコプター1機搭載型、巡視船「そうや」は昭和52年度計画船で、昭和53年11月22日に竣工した。総トン数3139トン、満載排水量4089トン、鋼製、ディーゼル推進である。兵装はボフォース(注7)

 1000トン型、巡視船「えりも」型は、1番船PL-02「おじか」(現「えりも」)が平成元年度計画船で、平成3年10月31日に竣工した。総トン数1268トン、満載排水量2006トン、鋼製、ディーゼル推進である。兵装はJM61 20mm機関砲1基である。2番船PL-03「くだか」からはエリコンKDC 35mm機関砲1基も装備している。巡視船「えりも」型は7隻建造された。(注8)

 1000トン型、巡視船「おき」は、昭和62年度計画船で、平成元年9月21日に竣工した。総トン数993トン、常備排水量1500トン、鋼製、ディーゼル推進である。兵装はJM61 20mm機関砲1基である。(注9)

 1000トン型、巡視船「しれとこ」型は、1番船PL-101「しれとこ」が昭和52年度補正計画船で、昭和53年11月8日に竣工した。総トン数965,3トン、常備排水量1200トン、鋼製、ディーゼル推進である。兵装はJM61 20mm機関砲1基である。巡視船「しれとこ」型は28隻建造された。(注10)

 巡視艇は35メートル型「はやなみ」型巡視艇11隻、35メートル型「まつなみ」型巡視艇1隻、35メートル型「はまぐも」型巡視艇4隻、35メートル型「よど」型巡視艇9隻、30メートル型「あそぎり」型巡視艇4隻、30メートル型「はやぐも」型巡視艇19隻、30メートル型「むらくも」型巡視艇23隻、23メートル型「しきなみ」型巡視艇17隻、23メートル型「しまぎり」型巡視艇3隻、特23メートル型「なつぎり」型巡視艇2隻、23メートル型巡視艇「ことなみ」型巡視艇7隻、特23メートル型「あきづき」型巡視艇12隻が建造された。(注11)

20メートル型は「ひめぎく」型巡視艇、「しらうめ」型巡視艇、「はやぎく」型巡視艇がある。18メートル型は「やまゆり」型巡視艇が64隻建造されている。15メートル型は高張力鋼製の「いそかぜ」型2隻と、「なだかぜ」型2隻がある。(注12)

監視取締艇は「さざんくろす」型、「りんくす」型、「おりおん」型、「ぽらりす」型、「ぽおらすたあ」型、「おりおん」型がある。いずれも総トン数5トン程度の小型船である。

海上保安庁の航空機は73機ある。(注13)

 固定翼機は8タイプ27機である。

 日本航空機製造式YS-11A型は、最大搭乗者数28名、最高速力257ノット、巡航速力230ノットである。昭和44年度から5機取得された。(注14)

ダッソ-・ブレゲー式ミステール・ファルコン900型は、最大搭乗者数18名、最高速力502ノット、巡航速力428ノットである。捜索レーダー、自動方向探知機を装備する。昭和62年度から2機取得された。(注15)

サーブ・スカニア式SAAB340B型/サーブ式SAAB340B型は、最大搭乗者数27名、最高速力250ノット、巡航速力198ノットである。合成開口レーダーを装備する。平成7年度から4機取得された。(注16)

ビーチクラフト式B350型は、最大搭乗者数14名、最高速力263ノット、巡航速力224ノットである。全周捜索レーダーに代えて赤外線カメラが装備された。平成11年度から10機取得された。(注17)

ビーチクラフト式B200T型は、最大搭乗者数10名、最高速力235ノット、巡航速力192ノットである。ビーチクラフト社のスーパー・キング・エアがベースである。昭和54年度から17機取得された。(注17)

セスナ式U206G型は、最大搭乗者数6名、最高速力151ノット、巡航速力130ノットである。テキストロン・カンパニー・セスナ・エアクラフトのステイショネアがベースである。昭和52年度に1機取得した。(注18)

回転翼機は7タイプ46機である。

アエロスパシアル式AS332L1型は、最大搭乗者数18名、最高速力140ノット、巡航速力125ノットである。巡視船「しきしま」搭載機として導入された。平成4年度から4機が取得された。(注19)

ベル式412型/ベル式412EP型は、最大搭乗者数15名、最高速力140ノット、巡航速力126ノットである。ベル・ヘリコプター・テクストロン・カンパニーの4枚ブレード機ベル412で、赤外線暗視装置を装備する。平成5年から7機が取得された。2機を喪失している。(注20)

シコルスキー式S76C型はシコルスキーS-76Cで、最大搭乗者数14名、最高速力155ノット、巡航速力135ノットである。平成7年から4機取得しているが2機を事故で失っている。(注21)

ベル式212型は、ベル・ヘリコプター・テクストロン・カンパニーのヘリコプター、ベル212で、最大搭乗者数11名、最高速力110ノット、巡航速力103ノットである。昭和48年度から38機が取得された。(注22)

ベル式206型は、最大搭乗者数5名、最高速力130ノット、巡航速力113ノットである。ベル206ジェットレンジャーとして1967年から生産が開始された。海上保安庁では昭和48年度に4機購入した。その4機はすでに退役し、平成3年度から新たに4機導入している。(注23)

海上保安庁におけるテロリズム対処、ゲリラ・コマンド対処は海上保安庁の機動隊にあたる特別警備隊、特別警備隊から優秀な人員が選ばれて編成される特殊警備隊SST(Special Security Team)がある。特殊警備隊SSTは、成田空港開港後、闘争目標を関西空港開港阻止への爆弾テロ闘争とソウル五輪開催阻止へのシー・ジャック・テロ敢行へと動いた左翼過激派の1983年の連続ゲリラ事件、自衛隊駐屯地への時限発火装置による同時多発車両破壊事件、1984年の大阪での軽ワゴン車爆破事件などのゲリラ事件が多発、関西空港建設反対テロが予想された。

またソウル・オリンピックを控え日韓フェリーのシー・ジャックが懸念された。これらの脅威に対処するため、全国の管区特別警備隊隊員から25人が選定され関西空港警備隊として、第5海上保安本部大阪特殊警備基地が関西空港対岸地区に設けられた。(注24)     

また1987年には、あまりにも危険なプルトニウム海上輸送任務を軍隊による警備にするように世界各国から圧力がかけられた。しかし、内務省官僚出身で反軍・反自衛隊を主張する後藤田正晴副総理は海上自衛隊による警備を反対した。

よってプルトニウム輸送船・あかつき丸の警備は海上保安庁が担当することになった。アメリカ政府から日米原子力協定に基づき、アメリカ海軍特殊部隊SEALによる訓練を要求されたため、プルトニウム輸送の特別警備隊を設立し、アメリカ海軍特殊部隊SEALに隊員を訓練のため派遣した。(注25)

1996年、関西空港警備隊とプルトニウム輸送特別警備隊が統合され特殊警備隊SSTが40人で発足した。特殊警備隊SSTはSEALなどの指導の下、対テロリズム戦・対ゲリラ戦・対コマンド戦に励んだ。(注26)             

1989年に東シナ海で発生したイギリスの海運会社の保有するパナマ船籍の貨物船「アランドラ・レインボー」の船員暴動事件にイギリス政府から鎮圧要請を受け、ヘリコプターから船内に突入、人質となっていたイギリス人船長を救出、暴動を鎮圧した。また1992年、のシンガポールの貨物船「アセアン・エクスプレス」の船員暴動事件にも投入され暴動を鎮圧、人質の船長などを救出した。(注27)

警察の機動隊にあたる暴動対処部隊の海上保安庁特別警備隊SRS(Special Riot Service)は、海上デモの鎮圧、洋上警戒などが主任務であるが、豊和工業89式小銃、レミントンM870ショット・ガン、S&W M5906ミリタリー 9mm×19口径自動拳銃と、ボディ・アーマー、対NBC防護服で装備し、ヘリコプターからの強行乗船もおこなえる実力を有し、対テロ・ゲリラ戦に対処できる能力をある程度有していると思われる。

 

注1~注22

 2004年「海上保安庁観閲式」

組織|海上保安庁 (mlit.go.jp)

船艇|海上保安庁 (mlit.go.jp)

航空機|海上保安庁 (mlit.go.jp)

    海人社『世界の艦船』2010年7月号、2014年7月号

    ワールドフォトプレス『コンバットマガジン』2004年8月号

注23~注27

読売新聞朝刊1998年4月11日、2001年10月17日

 

 

 

  

参考文献

 

 

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『東アジア戦略概観』2003-2013

『ANNUAL REPORT TO THE PRESIDENT AND THE CONGRESS 2003』DONALD H.RUMSFELD SECRETARY OF DEFENSE

『ANNUAL REPORT TO THE PRESIDENT AND THE CONGRESS 2000』WILLIAM S.COHEN SECRETARY OF DEFENSE

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『MILITARY AND SECURITY DEVEROPMENTS INVOLVING THE PEOPLE‘S REPUBRIC OF CHINA』2011

『JANE‘S FIGHTING SHIPS』1992-1993

                       2002-2003

                       2012-2013

『THE COMING CONFLICT WITH CHINA』RICHARD BERNSTEIN AND ROTH H. MUNRO

外交問題評議会『フォーリン・アフェアーズ』

       『フォーリン・アフェアーズ・ジャパン』

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警察庁『焦点 第269号  警備警察50年 現行警察法施行50周年記念号』

海上保安庁『海上保安レポート』2009-2015

朝雲新聞社『自衛隊装備年鑑』

海人社『世界の艦船』2016年7月号、2014年7月号、2012年7月号

一般財団法人防衛技術協会『防衛技術ジャーナル』

読売新聞社大阪社会部『三菱銀行事件の42時間』読売新聞社

田久保忠衛『新しい日米同盟』PHP研究所

田中明彦『安全保障』読売新聞社

岡崎久彦『国家は誰が守るのか』徳間書店

志方俊之『極東有事』クレスト社

伊藤鋼一『警視庁特殊部隊の真実』大日本絵画

安全保障研究会『新仮想敵国』安全保障研究所・出版部

野木恵一『艦載兵器ハンドブック 改訂第2版』海人社

首相官邸『安全保障と防衛力に関する懇談会報告書』(平成25年)

防衛省『戦闘機の生産技術基盤の在り方に関する懇談会 中間取りまとめ』

安全保障会議、閣議『平成23年度以降に係る防衛計画の大綱について』

安全保障と防衛力に関する懇談会『安全保障と防衛力に関する懇談会報告書』(平成16年)

新たな時代における日本の安全保障と防衛力に関する懇談会『新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想-「平和創造国家を目指して」』-

安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会報告書』

防衛省『中期防衛力整備計画について(平成23年度~平成27年度)』

国家安全保障会議、閣議『平成26年度以降に係る防衛計画の大綱について』

中期防衛力整備計画について(『中期防衛力整備計画について(平成26年度~平成30年度)』

国家安全保障会議、閣議『国家安全保障戦略について』

国家安全保障会議、閣議『平成26年度以降に係る防衛計画の大綱について(概要)(案)』

国家安全保障会議、閣議『国家安全保障戦略(概要)(案)』

国家安全保障会議、閣議『平成26年度以降に係る防衛計画の大綱について(盛り込むべき主な要素)』

外務省『我が国を取り巻く外交・安全保障環境』

防衛省『我が国を取り巻く軍事・安全保障環境』

安全保障と防衛力に関する懇談会『我が国が取り組むべき安全保障上の課題と我が国に関する脅威』

安全保障と防衛力に関する懇談会『国家安全保障戦略のイメージ(盛り込むべき主な要素)』

安全保障と防衛力に関する懇談会『世界経済の不安定性』

安全保障と防衛力に関する懇談会『安全保障と防衛力に関する懇談会における議論の整理~国家安全保障戦略のイメージ(盛り込むべき主な要素)』

USNI NEWShttps://news.usni.org/

 

 

 

 

 

 

 

 マス・メディアにおける論議

 

第1章 マス・メディアにおける論議

 

第1節 マス・メディアの状況

 

 1990年代後半のマス・メディアを広告費で検証する。1990年代後半の総広告費の平均は、5兆9901億円である。そのうち、新聞が1兆2636億円、雑誌が4395億円、ラジオが2247億円、テレビが2兆79億円、となっている。(注1)

 新聞の1997年における状況を検証してみる。日本ABC協会による公差レポートによる公差部数では、1997年の平均で第1位が読売新聞で1020万部、第2位が朝日新聞で832万部、第3位が毎日新聞で396万部、第4位が日本経済新聞で299万部、第5位が産経新聞で194万部、第6位が北海道新聞で121万部、第7位が西日本新聞で85万部となっている。(注2)また、日本ABC協会から脱退した中日新聞は公称254万部となっている。

 

北海道での世帯普及率は、北海道新聞が52,1%、読売新聞が11,0%、朝日新聞が7,1%、毎日新聞が3,0%、日本経済新聞が2,4%、産経新聞が0,0%となっている。半数以上が北海道新聞を購読しており、読売新聞と朝日新聞がある程度読まれている。産経新聞はほぼ読まれていない状態である。

東北の太平洋沿岸部の中心である宮城県での世帯普及率は、河北新報が59,9%、朝日新聞が12,9%、読売新聞が10,5%、日本経済新聞が4,5%、毎日新聞が2,6%、産経新聞が1,3%となっている。宮城県においても地域紙(ブロック紙)である河北新報の独占状態で、残りを大手2社が分け合っている状態である。

東北の日本海沿岸の秋田県の世帯普及率は、秋田魁が66,6%、読売新聞が12,3%、朝日新聞が11,4%、毎日新聞が4,6%、日本経済新聞が2,6%、産経新聞が0,7%となっている。秋田県も他の地方部と同様、地域紙が非常に強い状態である。

首都圏のベッドタウンとして、1950年の230万人、1985年の人口550万強から2000年には人口700万人へと急速に人口を増やし、発展した埼玉県の世帯普及率は、読売新聞が43,0%、朝日新聞が24,6%、毎日新聞が10,5%、日本経済新聞が6,7%、埼玉新聞が6,8%、産経新聞が3,8%となっている。都市化の進む埼玉県では、全国紙である読売新聞が健闘、朝日新聞がダントツの2位、毎日新聞が3位と続くが、全国紙である産経新聞は苦戦を強いられている。

首都として、1211万人の人口を抱える東京都の世帯普及率は、読売新聞が30,4%、朝日新聞が24,6%、日本経済新聞が11,1%、毎日新聞が7,7%、東京新聞が5,8%、産経新聞が5,2%となっている。東京では読売新聞と朝日新聞の2強の戦いが続いているが、近年は読売新聞が優勢である。産経新聞は、地方紙である東京新聞にも破れており、全国紙としての資格、影響力が問われる。

中部地方の中心、愛知県の世帯普及率は、中日新聞が68,2%、朝日新聞が12,4%、日本経済新聞が5,7%、読売新聞が5,0%、毎日新聞が4,0%、産経新聞が0,1%である。大都市・名古屋を中心に都市化の進んだ愛知県であるが、新聞世帯普及率から見ると、完全に地方型の様相を呈する。

日本第2の都市圏の中心で、881万人の人口を抱える大阪府の世帯普及率は、読売新聞が28,9%、朝日新聞が23,3%、産経新聞が20,4%、毎日新聞が16,9%、日本経済新聞が8,1%である。地域新聞が存在しない大阪府では、全国紙が激戦を展開しており、産経新聞が唯一、健闘している地域である。

大阪のベッドタウンともなっている兵庫県の世帯普及率は、神戸新聞が26,2%、読売新聞が24,7%、朝日新聞が23,5%、毎日新聞が11,6%、産経新聞が6,6%、日本経済新聞が6,2%である。兵庫県は全国紙に加え、地方紙である神戸新聞を巻き込んだ激戦地となっている。

山陽の広島県での世帯普及率は、中国新聞が59,6%、読売新聞が14,7%、朝日新聞が12,7%、日本経済新聞が5,5%、毎日新聞が4,6%、産経新聞が1,8%となっている。広島県も典型的な地方型の展開である。

山陰の鳥取県での世帯普及率は、日本海新聞が77,3%、読売新聞が16,7%、朝日新聞が11,8%、毎日新聞が8,7%、日本経済新聞が3,8%、産経新聞が2,1%となっている。

九州の中心として発展する福岡県の世帯普及率は、西日本新聞が34,1%、読売新聞が22,5%、朝日新聞が19,1%、毎日新聞が16,8%、日本経済新聞が4,6%、産経新聞が0,1%である。福岡県は強い地方紙と均衡する全国紙といった状態で、都市型と地方型の中間の様相である。

1972年に日本に返還された沖縄県での世帯普及率は、琉球新報が43,4%、沖縄タイムス44,2%、日本経済新聞が1,0%、朝日新聞が0,5%である。沖縄県は沖縄型といっても過言ではない特殊な状況である。(注3)

産経新聞は全国紙でありながら、大阪府以外ではまったく振るわず、大手広告代理店の博報堂DYホールディングス大広の梅本春夫氏は、産経新聞を「大阪の地域紙」にすぎないと述べている。

購読者の世帯主職業でみる新聞の到達度を検討する。

読売新聞では、給料事務18,2%、給料労務33,1%、役員・管理職16,0%、自由業8,6%、商工自営15,4%、無職・その他8,8%である。読売新聞は可処分所得の少ない給料労務が主力であるため、1020万部の部数を誇りながら広告料は1段あたり266万8000円に甘んじている。(注4)

朝日新聞の場合、給料事務26,1%、給料労務23,0%、役員・管理職24,2%、自由業7,2%、商工自営11,0%、無職・その他8,6%となっている。朝日新聞は可処分所得の大きい給料事務、役員・管理職が主力のため、発行部数は第2位の832万部でありながら広告料は1段当たり277万7000円と、読売新聞より高くなっている。

毎日新聞では給料事務18,8%、給料労務19,9%、役員・管理職19,1%、自由業13,2%、商工自営18,8%、無職・その他10,3%となっている。毎日新聞は各層にまんべんなく浸透しているおり、発行部数は朝日新聞の半分以下でありながら広告料は1段当たり153万1000円となっている。(注5)

産経新聞は、給料事務16,0%、給料労務24,5%、役員・管理職16,3%、自由業10,1%、商工自営26,0%、無職・その他12,1%となっている。産経新聞の場合、発行部数が少なく、高齢者に購読が多い(無職・その他)ため、広告料も非常に低いものとなっている。(注6)

 

注1、2、3、4、5、6

日本ABC協会『公差レポート』日本ABC協会 1996、1997、1998、1999、2000

                                  

                               

 

 

 

第2章 読売新聞における論議

 

 発行部数日本最大の読売新聞における安全保障の論議・提言を検証する。

 

第1項 1994年の傾向

 

 1994年(平成6年)1月1日の社説「自由主義・国際主義・人間主義 平和で活力ある21世紀に向けて」(注1)において、軍事紛争の発生が避けられないことであり、国連だけでは対処不可能でアメリカ軍の関与が必要になる、と主張している。日本はこうした国際情勢に対し、一国平和主義から脱皮し応分の貢献をする国際主義へ進むべきとしている。

 1994年2月27日の社説「『基盤防衛力』構想は堅持せよ」(注2)において、細川護熙首相の私的諮問機関『防衛問題懇談会』による新たな防衛政策が模索されることについて、限定的かつ小規模な侵攻に対処できる必要最小限度の防衛力の維持と、それ以上の有事におけるアメリカ軍の来援を可能にするための日米同盟の強化を求めている。このことは的確に日本のおかれている情勢を把握し、その情勢に対処する最小限の能力保持を求めたもので評価できる。

 1994年12月20日の社説「防衛論議なき防衛予算の編成」(注3)では、社会党の圧力で、防衛費が対前年度比0,855%に抑えられたことについて、日本のおかれた国際情勢を無視した軍縮ありき、数字ありきの政策であると批判している。さらに、日本は欧米と比較して防衛費の対GNP比が低いことも指摘している。これらの提言は当然のことであるが、現在も是正されることなくイメージ先行の防衛政策がとられつづけていることは遺憾である。

 1994年8月13日の社説「新たな安保論議のスタートの好機」(注4)で、細川護熙首相の時代から始まった首相の私的諮問機関「防衛問題懇談会」が提言している陸上自衛隊の削減や海上自衛隊の艦艇削減、弾道ミサイル対処能力、戦闘機部隊削減、空中給油機導入を評価、村山富一首相にたいして行動を求めている。中国の軍拡、拡張主義や北朝鮮情勢の悪化時にこの軍縮提言は不安に思えるが、読売新聞はこの提言をたたき台にして、議論を広げるよう求めている。

 1994年3月31日の社説「政治は憲法論議を避けるな」(注5)では、憲法の枠にとらわれない情勢を見据えた論議を求めている。1994年5月12日の社説「自由な安保論議を封じるな」では、集団自衛権をタブー視しない活発な論議を求めている。日本の安全のための提言で、こうした提言をせざるを得ない日本の実情をよくあらわしている。

 北朝鮮の核保有、IAEA(国際原子力機関)脱退問題については、1994年2月17日の社説「北朝鮮は核カードの限界を悟れ」(注6)、1994年3月6日の社説「北朝鮮は『国際協調』を見誤るな」(注7)、1994年3月18日の社説「北朝鮮は損得を計算し直せ」(注113)、1994年3月24日の社説「『北朝鮮』で日韓連携の強化を」(注8)、1994年6月2日の社説「北朝鮮に冷静で毅然たる対応を」(注9)、1994年6月12日の社説「重ねて北朝鮮に再考を促す」(注10)、1994年6月14日「IAEA脱退で事は解決しない」(注11)、1994年6月24日の社説「北朝鮮問題はこれからが正念場」(注12)において、日米韓の結束によって、北朝鮮に国際原子力機関、核拡散防止条約脱退、核保有を断念させようとしている。このことは結局、北朝鮮に核保有を認めることになったので、もっと強い態度において、北朝鮮をおさえるべきだったと思われる。

 1994年8月30日の社説「『常任理事国』入りに腰を引くな」(注13)では、村山首相の国連常任理事国入り消極姿勢を「国際社会の役に立ち、同時に国益にも沿う道となる」と国連常任理事国入りを憲法の枠内でしか捉えられない首相を「日本の立場を背負う責任者として見識に欠ける。」と、批判している。村山首相の言う「こちらから売り込んでなりたいという性格のものではない」という態度も批判しているが、まったくそのとおりで、村山首相の国連や国際情勢に対しての見識のなさを的確に批判している。

 1994年9月16日の社説「前向きに『国連』論議深めよ」(注14)では、武力行使をともなわない国連平和維持活動を前提に、国連常任理事国入りをめざす政府を批判している。1994年9月28日の社説「『常任理事国入り』へ全力で取り組め」では、読売新聞はPKOにこれまで以上に貢献するなど、積極的に支持している。

 1994年8月の社説「『普通の政治』の時代を迎えた」(注15)では、マスコミ、政党の憲法神学論争を終え、憲法論議を進めるように提言、これが読売新聞の1994年の最大の提言であろう。

 

第2項  1995年の傾向

 

 1995年(平成7年)2月24日の社説「有事立法論議をタブー視するな」(注16)では、阪神大震災で「有事法制」なき国の悲劇が露呈されたが、この原因となった社会党、左翼マスコミの「自衛隊違憲論」を批判、シビリアン・コントロールの維持の必要性からも有事法制の必要性を説いている。

 1995年3月1日の社説「日米安保を充実強化するとき」(注17)では、各種紛争や、中国の軍事力増強や、北朝鮮の脅威の存在から、超大国アメリカの責任と、日米同盟による抑止力が重要である、と説いている。

1995年5月1日の社説「安保強化のための防衛強化」(注18)では、「ソ連消滅により、脅威はなくなった」などの理由で「日米安保条約解消論」を唱える勢力を、わが国を取り巻く情勢を考慮していないものと、批判している。読売新聞は、「日米安全保障条約、日米同盟をさらに充実させていくことが重要だ」と、提言している。とくに「ポスト冷戦でも、日米安保体制の重要性に変化はない」との認識をあらためて深めていくことを提言している。日本国内には左派勢力、左派マス・メディアを中心として、日米安保不要論が強かったが、読売新聞は、これらを一蹴している。

 1995年5月19日の社説「国際協調に背く中国の核実験」(注19)では、国際的に問題である中国の核実験を批判、政府開発援助をカードとしておくべきとの意見がなされている。

1995年8月5日の社説では、中国、そしてフランスに対しても自制を求めている。1995年8月18日の社説「中国の核実験強行に抗議する」(注20)では、繰り返される

中国の核実験を非難し、包括的核実験禁止条約に反対する中国を強く非難している。

中国の核実験には反対せず、フランスの核実験には反対した武村正義大蔵大臣にたいして、1995年8月30日の社説「武村蔵相の『核抑止』観を問う」(注21)で、「私的参加」を公人がおこない国際社会の誤解が生まれたこと、軽率なパフォーマンス的な行動を批判している。

 1995年10月27日の社説(注22)は、沖縄で発生した駐留アメリカ海兵隊兵士による少女暴行事件によって動揺する世論に、「安保体制が揺らいではならない」と、アメリカとの同盟の重要性を説いている。また、1995年11月5日には、ごく少数の沖縄アメリカ軍基地用地地権者の反対を退け、強制使用手続きをおこなった首相を評価している。日本のおかれている国際社会での立場をわきまえた当然の処置で、評価である。

 1995年6月10日の社説、「党利党略を離れた防衛大綱を」(注23)では、「防衛計画の大綱」見直し作業について、与党である自民党、新党さきがけ、社民党の3党に、米ソ冷戦構造の崩壊の一方、地域紛争の多発、北朝鮮の脅威、中国の軍拡、さらには阪神大震災などの災害出動、テロに備えるため、日米の協力を中軸に、新たなる防衛計画を、まったく思想の違う3党に、国益を考えるようにもとめている。このことは非常に難しいもので、憲法改正を視野に入れた自民党、リベラル左派の新党さきがけ、自衛隊違憲論の残滓強い社民党が共同で今後数年の防衛計画を決めるのであるから、紛糾必死であるのを、読売新聞社説は諌めている。

 1995年8月3日の社説、「お粗末な数字だけの防衛費論議」(注24)では、1996年度防衛費の概算要求基準において、社民党が党是に掲げている「軍縮」の看板を下ろせないがために、1995年度の対前年度比0、855%以下に抑えるように主張、国際情勢の認識に欠け、防衛政策を提示することのないまま数字だけで議論されている状態を非難している。1995年12月23日の社説、「“先送り”に終始する防衛論議」(注25)では、防衛政策がなんら討議されることなく、社民党、大蔵省の数字先行の削減要求に終わってしまったことを非難している。これら社説は、大蔵省(現・財務省)と左派政党による内容のない数字だけの削減を的確に非難している。

 1995年11月12日の社説「『集団自衛権』を議論の土壌に」(注26)では、自民党が集団自衛権の行使に言及したことを評価、野党・新進党にも日本の防衛の観点からそれを求めている。1995年11月29日の「『集団的自衛権』のタブーを破れ」では、野党・新進党の有志が集団的自衛権の行使に踏み込んでいることを評価している。

 1995年の読売新聞は、中国の軍拡、北朝鮮の脅威におかれる日本において、それに対処しうる体制、防衛力の強化と、日米同盟の重視、有事法制整備による防衛体制の適正化を提言しており、非常に適切な指摘が多い。

 

第3項   1996年の傾向

 

 1996年2月3日の社説、「沖縄の『反基地』に揺れる日米安保」(注27)では、アメリカ軍用地に占める割合がわずか0,2%に過ぎない1坪共有地主のために、冷戦後も緊迫感を増す情勢の中、日本の防衛に不可欠な日米同盟を揺るがしてはならないと、主張している。1996年4月2日の社説「基地問題は『公益』重視が必要だ」では、ごく一部の人間のため、日米同盟という公益が崩れることを懸念している。

 1996年4月16日の社説「安保協力は新しい段階に入った」(注28)では、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の見直しを評価、1996年5月30日の社説「安保の機能を高める『指針』に」においては、まったく手付かずの「極東有事」を整備することを評価、また同じく不十分な「日本有事」も整備することを求めている。

 1996年5月4日の社説、「『有事』論議になぜ消極的なのか」(注29)では、「日米防衛協力のための指針」の見直しが続くが、「現行法の枠内」で進められることが決められていることについて、集団自衛権がおざなりにされていることを批判している。

 1996年9月26日の社説、「『尖閣』は筋曲げず冷静な対応を」(注30)では、中国の理不尽な対応に、日本政府は法に従い冷静に対処するように求めている。

  1996年9月8日の社説では、首相の指導力強化することで緊急事態対処や、省庁対立の解消が可能、と指摘している。

1996年10月25日の社説「憲法公布50年 緊急事態への法整備を急げ」(注31)においては、いままで有事法制がなかったゆえに悲喜劇がくりかえされたこと、政治家、マス・メディアが有事法制をタブー視してきたことを指摘し、フランス、ドイツを例に、左派の学者が指摘するように決して、民主主義を危うくするようなものではないことを主張した。このことはマス・メディアである読売新聞が主張したことは大変意義がある。

 1996年の読売新聞は、日本の防衛を確実なものにするため、日米同盟の重要性、有事法制の制定の提案など、具体的な提言を実施しており、非常に意義がある。

 

第4項   1997年の傾向

 

 1996年12月に発生したペルー・日本大使公邸占拠・人質事件について、1997年2月3日の社説で、テロリストの要求に屈しないペルー政府を支持し、1997年2月19日の社説では、日本のテロ対策が不十分であると指摘している。1997年6月13日の社説では、「決して屈してはならない」と主張している。

 こうした、危機に対し有効に処するため、1997年5月2日の社説では、憲法解釈の変更をふくむ抜本的な内閣法の改正を主張、特に、首相の権限強化を訴えている。(1997年3月7日の社説)

 1997年8月8日の社説「憲法論議の機は熟している」(注32)では、世論調査では国民は憲法改正に賛成していると指摘、しかし、この機運を阻む、親ソ連だった社民党の「護憲」姿勢を批判している。(1997年6月5日の社説)

 1997年4月27日の社説「より確かな同盟関係の構築を」(注33)では、「日米安保共同宣言」で、日米安保体制の再定義をしたことを評価、日米同盟に隙ができないよう訴えている。そのためガイドラインのとりまとめを急ぎ、東アジア情勢に対処できるよう求めている。1997年8月10日の社説「指針協議は国の安全を優先せよ」(注34)で、加藤紘一・自民党幹事長が、「周辺事態に中国・台湾は含まれない」とした発言を批判、また中国に配慮して及び腰になっている政治家の存在を指摘し、日本の安全を最優先したガイドラインの策定を要求している。1997年3月26日の社説では、沖縄に配慮して、アメリカ海兵隊を削減することに反対している。

 1997年の読売新聞は、危機管理体制の向上と、そのための首相権限強化、そして日本の安全確保のための日米同盟の強化と、それを確実なものとするガイドラインの早期策定を主張している。

 

第5項  1998年の傾向

 

 1998年3月22日の社説(注35)と、1998年8月24日の社説(注36)では、ガイドライン策定による日米同盟の強化と、日本の防衛の向上をもとめ、その具体的な対応として、1998年12月27日の社説「TMD推進で抑止力の強化を」(注37)で、TMD(戦域ミサイル防衛)を日本が導入することが抑止力につながると主張、1998年9月15日の社説「専守防衛の質高める偵察衛星」(注38)では、弾道ミサイルの早期発見につながる偵察衛星を専守防衛に反しない有効なものとして、導入を提言、宇宙開発の平和利用国会決議にも反しない、と指摘している。また、いくつかの社説では、北朝鮮の脅威に対しては日米の協調が風洋であると指摘している。

 1998年の読売新聞は、日本の防衛力強化のため、それを訴えるだけでなく、具体的指摘に進みだした。

 

第6項  1999年の傾向

 

 1999年の3月23日に発生した北朝鮮の工作船事件に対し、読売新聞は3月25日、4月27日、5月3日(注39)に特集を組み、日本の防衛法制の欠陥を指摘している。その欠陥を是正すべく、読売新聞は5月3日に自衛隊への領域警備任務付与、武器使用基準の整備、首相権限の強化、その他法制の整備を進めるよう提言している。

 3月14日、4月27日、5月25日(注40)には日米防衛協力のための指針の早期成立と、その東アジアの安全保障に与える意義、問題点を指摘している。また、有事法制、通信傍受法の制定の促進を訴えている(6月17日、6月2日)。また、民主党に、責任政党としての憲法論議を求め、自民党と民主党ともにお憲法改正に動き出すことを求めている。(7月7日など)

 1999年の読売新聞は、日本人の安全保障感に重大な影響を与えた北朝鮮の工作船事件に触発され、新法の提言を掲載するなど、防衛政策に積極的に取り組んでいる。また、日本の安全の強化のため、日米同盟の充実、ガイドラインについての記述が多い。そのはか、日本の安全保障環境を向上させるための主張、提言が多かった。

 

第7項  2000年の論調

 

 2000年7月26日朝刊の社説で、民主党において「安全保障、防衛をめぐる意見の隔たりが大きい」と指摘し、「特に憲法問題は改憲派と護憲派が対立」と主張、「党の方針は、立場を鮮明にしない『論憲』にとどまっている」と指摘している。「二十一世紀の国家像を描くには憲法問題を避けて通ることはできない。」と民主党の体質を描いている。(注41)

2000年7月30日朝刊の社説では、日本の排他的経済水域に中国の調査船が急増している問題について書くと同時に、新たなる国家の脅威について「防衛庁は、来年度からの次期防衛力整備計画にサイバー・テロ対策などを取り込む考えだが、なおこの問題についての認識が薄いと言わざるを得ない」と、サイバー・テロの脅威に対しての対策を求めている。(注42)

2000年9月28日朝刊の社説では、「有事法制のすみやかな整備も日米安保の円滑な運用に不可欠だ」と指摘、有事法制の制定を求めている。(注43)

2000年12月16日朝刊の社説では、RMAが「日本は大幅に遅れ」、「自衛隊の能力向上だけなく、日米安保の効果的運用の面からも危機感をもって取り組まなければならない」と日本の防衛の弱点を指摘、公明党の反対で来年度予算に空中給油機が組み込まれなかったことを「防衛の重要事項を後回しにして、選挙対策を優先したのだとしたら、責任ある与党だと言えない」と批判している。(注44)

 

第8項  2001年の論調

 

 2001年3月5日朝刊の社説で、「領域警備 早期の法整備へ政治の見識示せ」とし、「警察官職務執行法準用に無理がある」と、現在の状況が自衛隊が警察官職務執行法に縛られまともに動けないことに警鐘を鳴らしている。また、「各国は、領域警備を軍隊本来の任務に付随する任務と位置付けている。日本も、自衛隊の任務と明記するべきだ。」と提言している。(注45)

2001年8月31日朝刊の社説では、「これまで警察は短銃の使用に抑制的であり過ぎたように見える。それが警察官に歯向かう凶悪犯を助長した一面は否定できない。」と日本の警察が銃の使用を遠慮させられてきたことを指摘し、「戦後の日本は、何であれ『力』の行使はすべて罪悪視する傾向が長く続いてきた。」と、戦後日本の誤った思考回路を批判している。(注46)

2001年9月14日朝刊の社説で、「国際テロ対策 平和と秩序を守る日本の責任」と題し、「急がなければならないのは、テロに関する情報の収集と分析の体制強化だ。日本は国際テロ組織に関する海外の情報を米国などから全面的に頼っている。」とし、「警察庁はもちろん、外務省、防衛庁も各国情報機関との連携を強めるなど情報収集体制を強めるべきだ」と主張している。また日本には、「『スパイ防止法』がない。」と指摘、「その種の法整備の必要性の論議する必要がある」と説いている。そして、「緊急事態に迅速、機動的に対応するには、首相官邸に情報を集約し、首相が一元的に指揮することが欠かせない」と提言している。(注47)

 

第9項  2002年の論調

 

 2002年5月11日朝刊の社説で、「有事法制審議 不毛な神学論争を繰り返すな」と主張、左翼勢力による自衛隊批判論などを牽制している・(注48)

2002年8月3日朝刊の社説では、「防衛白書 軍事情勢の大変化に対応せよ」と述べ、「『テロとの戦い』国際社会の新たな脅威」とし、「安保政策を見直す必要がある。防衛力整備の分野では、情報通信などの先端分野技術の導入に力を入れるべきだ」と主張している。(注49)

2002年9月7日朝刊の社説では、「不審船問題 なぜ、そんなに及び腰なのか」とし、「無用な配慮を働かせていては、引き出せるものもひきだせない」、「毅然とした姿勢こそ、大事なメッセージである」と、与野党にある中国、北朝鮮を意識した主張を批判している。(注50)

 

第10項              2003年の論調

 

 2003年3月29日朝刊の社説で、「情報収集衛星 『宇宙の目』生かす体制拡充急げ」とし、「専守防衛に徹する利用であっても、安全保障にかかわることになると、一部野党の反対で、政府は自らの手足を厳しく縛ってきた。安全保障に衛星を利用するには、その衛星が『民生分野で一般化されていることが条件』とする従来の政府解釈に拘束されて今回の衛生の解像度も商用の観測衛星レベルに抑えられた」と、日本における偵察衛星論議の不毛さを指摘している。(注51)

2003年4月3日朝刊の社説では、「日本の防衛 『北』ミサイルへの対応を考えよ」とし、「当面必要なのはミサイル防衛だ」と主張している。(注52)

2003年5月26日朝刊の社説では、「専守防衛 『北』の脅威への見直し論議深めよ」とし、「他国に脅威を与えず、自衛のための必要最小限の防衛力しか持たない、という専守防衛の基本理念は、国民の間に定着している。その基本を維持しつつ、時代と情勢の変化に応じた合理的な防衛力整備を進めるというのが政治の責務だ」と主張している。(注53)

 

第11項              2004年の論調

 

 2004年6月28日朝刊の社説では、「自衛隊50年 組織や装備を大改革する時だ」とし、「厳しい財政上の制約がある以上、不要な装備や人員を削減しなければならない。自衛隊には、現在もなお古い組織、装備が残存している。例えば戦車は980両あり、うち470両が北海道に配備されている」と軍事的にはお粗末な考えである戦車不要論に近い主張を展開し、「自衛隊の組織のスリム化を図るべきだ。大型ヘリを使って部隊を機動的に展開させることなどを検討するなど、組織や運用を根本から見直せば陸自は十五万人体制を維持する必要がなくなる」と、理想論の机上の空論を展開している。(注54)

2004年11月10日朝刊の社説では、「防衛計画の大綱で安全保障戦略は示されるべき。安全保障戦略が定まらないまま、防衛力整備構想を各省庁間で論議するのは順序が逆なのではないか。防衛計画の大綱を急ぎ、そのうえで整備構想をつめるのが筋」としたうえで、「財務省の(言う)削減は当然だろう」と東アジア情勢を考えない主張を展開し、「三自衛隊の統合運用、装備のハイテク化、情報収集・分析能力の向上などで。組織や装備の削減は補えるはずだ。」と人員的、金銭的に一番手間がかかる方法を代案に唱えている。(注55)

2004年12月11日朝刊の社説では、「スリムで筋肉質な自衛隊にすべきだ。」とすでに実行されていることを主張し、「財政上の理由だけで、国民の生命や国の安全を守る防衛力を補ってはならない」と、2004年11月10日朝刊社説の前言を翻している。(注56)

 

第12項              2005年の論調

 

 2005年2月16日朝刊の社説で、「自衛隊法改正 ミサイル防衛強化への一歩だ」と、自衛隊法改正を評価している。(注57)

 

第13項              2006年の論調

 

 2006年3月27日朝刊の社説で、「自衛隊統合運用 陸海空一体へ体制作り急げ」と三自衛隊の統合運用を勧めている。(注58)

 

第14項              2007年の論調

 

 2007年1月1日朝刊の社説で、「タブーなき安全保障論議を 集団自衛権『行使』決断せよ」において、「米国、中国、ロシアの3国は、北の核に対する圧倒的な核報復力、つまり核抑止力を保持している。日本が置かれている状況ほどの深刻な脅威ではない。」、「現在の国際環境下で、日本が核保有するという選択肢は、現実的でない。」、「核保有が選択肢にならないとすれば、現実的には米国の核の傘に依存するしかない。」、「同盟の実効性、危機対応能力を強めるため、日本も十分な責任を果たせるよう、集団自衛権を『行使』できるようにすることが肝要だ。」、「また、非核三原則のうち『持ち込ませず』について議論しなおしていいだろう。」と主張している。現実的防衛力増強となる日米同盟強化のために集団自衛権行使容認を勧めている。(注59)

 2007年2月28日朝刊の社説、「日本版NSC 国家戦略の司令塔作りを急げ」において、「外交・安全保障には、資源・エネルギー政策や、政府開発援助も含まれる。その時々の政策案件によっては、少人数閣僚会議に、財務相、経済産業相、国土交通相ら関係閣僚や統合幕僚長が参加することも必要だろう。」、「閣僚会議が機能するためには、情報分析や各省庁間の調整を行う事務局がしっかりとしてなくてはならない。」と主張している。日本版NSCに具体的提言を行っている。(注60)

 2007年7月7日朝刊の社説、「防衛白書 中国との安保対話を深めよ」において、「国際社会の一員として責任ある行動をとる。軍事分野の透明性を高める。」、「こうした点を中国に粘り強く求めることが地域の平和と繁栄につながる。」と、主張している。日本の対中外交の弱腰姿勢からまっとうな方向への転換を促している。対話だけでなく力の均衡が必要なことも主張すべきである。(注61)2007年8月21日朝刊の社説、「平和協力活動 自衛隊の武器使用を国際標準に」において、「武器使用基準を緩和し、国連平和活動(PKO)で認められている国際基準に合わせて、任務遂行のための使用を認めるべきだ。」と主張している。(注62)

 2007年8月26日朝刊の社説、「次期戦闘機 日米同盟踏まえた機種選定を」において、「東アジアでは中国の空軍力の近代化が著しい。20~30年後の日本の安全保障環境を見据えれば、防衛省が最も高性能なF22の導入を追求するのは理解できる。」、「ただ価格、機体整備の利便性など、様々な条件を吟味し、総合的に判断すべきだ。F22を導入できないときに備えて、米英などが共同開発中のF35など、代替案を検討する作業も不可欠だ。」、「日米両政府は軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を締結した。情報漏えいには政府全体で取り組むべきだ。」と、「「1980年代後半の次期支援戦闘機(FSX)をめぐる防衛摩擦の再来のよう情報漏洩に甘い日本に注意を促している。そして、「1980年代後半の次期支援戦闘機(FSX)をめぐる防衛摩擦の再来のようなことがあってはならない。」と主張している。FSX事件は日米双方の相互不信が両国家に大きな影響を与えたため、再検証の必要がある。(注63)

 

第9項 2008年の主張

 

 2008年1月7日朝刊の社説、「新たな秩序へ やはり日米同盟が基軸だ 自衛隊派遣恒久法を」において、「日本単独では対処できない」、「超大国・米国が保持する軍事抑止力をはじめとする強大な力を、日本は安全は無論、世界の平和と繁栄の支えとするために、今日日米同盟の重要性は一層強まっている。」、「防衛協力の進展が重要」、と日米同盟の重要さを強調、「集団自衛権は『保有しているが、行使できない』という矛盾した憲法解釈の見直しも必要」と日米同盟の正常化を提言し、「安保理に委ねるのは国家主権の放棄に等しい。安保理決議が無くても、国会の承認があれば、自衛隊を派遣できる枠組みを定めるべきだ。」と国連重視の姿勢を批判し、さらに「武器使用基準を見直すべき」として、海外における自衛隊運用の非合理性を正そうとしている。(注64)

 2008年6月1日朝刊の社説、「クラスター禁止 安全保障上の代替策を探れ」では、「日本が同意を決断したのは、妥当な判断だろう」と政府の決定を支持し、「米軍との防衛協力も含め、戦術面の見直しなども検討する必要があるかもしれない。」とクラスター爆弾禁止後の対応を模索している。(注65)

 2008年6月19日朝刊の社説、「日中ガス田合意『戦略的互恵』へ第一歩だ」において、「海洋国家日本として、主権と権益を守る体制を一層強化していかなければならない」と日中合意を評価しながらも、一定の注意を促している。(注66)

 2008年9月22日朝刊の社説、「ミサイル防衛 空自も迎撃に成功した」において、「ミサイル防衛は、単に迎撃ミサイルを配備するだけでは有効に機能しない。ミサイルを探知する警戒管制レーダーFPS5や、防空情報を一元管理する空自の自動警戒管制組織(BADGE)システムとの適切な連結が不可欠だ。ミサイル発射の事前情報や早期警戒情報を持つ米軍との情報共有や連携強化も重要となる」として、防空体制の強化とアメリカ軍との関係強化を主張している。(注67)

 2008年8月18日朝刊の社説、「防衛大綱改定 陸海空の予算配分見直せ」において、「現在の陸海空の予算配分が、冷戦時とほぼ同じというのはおかしい。当面は陸自の予算を減らし、海自と空自を増やす方向で議論を進めるべきだろう。現在の大綱では、陸自の定員は15万5000人、戦車と火砲は各600門に減らされたが、一層の削減を検討する必要がある。」と主張している。陸海空の予算配分の見直しは当然であるが、東アジア情勢の緊迫化に伴う防衛力拡大の必要性にはまったく言及していない。また、陸戦の基本である兵士の頭数や火力をまったく考慮していない提言である。(注68)

 

 

第10項 2009年の主張

 

 2009年1月20日朝刊の社説、「防衛大綱改定 国際平和活動の拡充目指せ」において、「自衛隊には依然冷戦時代の名残がある。旧ソ連の着上陸侵攻を想定した北方重視の部隊編成や装備体系だ。」と批判しているが、ロシアの脅威や広大な演習場が北海道以外にない現実を無視している。また、「陸自の定数や戦車・火砲などの一層の削減に取り組まなければならない」と主張、既成概念にとらわれた国防思想から踏み出せていない。(注69)

2009年6月10日朝刊の社説、「武器輸出 3原則の緩和に踏み出す時だ」において、「自国の防衛のために武器を調達すること自体は、本来否定されるべきではない。」と戦後日本の左翼勢力を中心とした国防費艇、武力全否定の考えを批判している。また、「忘れてはならないのは、防衛費の減少が続く中で、武器を輸出できない日本の防衛産業の経営が悪化していることだ」と、日本の防衛の根幹を揺るがす事態に警鐘を鳴らしている。(注70)

 2009年8月5日朝刊の社説、「大胆な提言を新大綱に生かせ」において、「国際的な安全保障環境が変化する中、日本の平和と安全を確保し続けるには、従来のタブーを排し、防衛政策や自衛隊の部隊編成・装備を見直すことが肝要だ。」と主張している。(注71)

 2009年7月23日朝刊の社説「防衛白書 脅威を直視し防衛力を高めよ」において、「「装備調達の効率化は当然としても、そろそろ防衛費の漸減に歯止めをかけるべきではないか。」と、提言している。(注71)

 2009年8月23日朝刊の社説、「日米同盟 責任分かち信頼強化せよ」において、「北朝鮮の核とミサイルの脅威が顕在化した今、日米同盟を強化し、防衛協力の実効性ト抑止力を高める必要性がある」と主張している。(注72)

 2009年8月26日朝刊の社説、「アジア外交 膨張する中国とどう向き合う」において、「中国軍の増強も、この地域にとって懸念材料だ」と指摘している。(注73)

 2009年9月30日朝刊の社説、「東アジア共同体 経済連携の強化で環境整備を」において、「『東アジア共同体』という言葉だけが先走ってはいないか。」、「だが欧州連合(EU)をモデルにするのは無理がある。東アジアは、政治体制の異なる多様な国からなる。北朝鮮の核ミサイルの脅威や中国の軍事的台頭などがあり、冷戦終結後の欧州のような安全保障環境が整っていない。」と指摘している。(注74)

 

 

 

注1  読売新聞社説 1994年1月1日

注2         1994年2月27日

注3         1994年12月20日

注4         1994年8月13日

注5         1994年3月31日

注6         1994年2月17日

注7         1994年3月6日

注8         1994年3月18日

注9         1994年3月18日

注10        1994年3月24日

注11        1994年6月2日

注12        1994年6月12日

注13        1994年6月14日

注14        1994年6月24日

注15        1994年8月30日

注16        1994年9月16日

注17        1994年8月15日

注18        1995年2月24日

注19        1995年3月1日       

注20        1995年5月1日

注21        1995年5月19日

注22        1995年8月18日

注23        1995年8月30日

注24        1995年10月27日

注25        1995年6月10日

注26        1995年8月3日

注27        1995年12月23日

注28        1995年11月12日

           1995年11月29日

注29        1996年2月3日

注30        1996年4月16日   

注31        1996年5月4日

注32        1996年9月26日

注33        1996年10月25日

注34        1997年8月8日

注35        1997年4月27日

注36        1997年8月10日

注37        1998年3月22日

注38        1998年8月24日

注39        1998年12月27日

注40        1998年9月15日

注41        1999年3月25日

           1999年4月27日

           1999年5月3日

注42        1999年3月14日

           1999年4月27日

           1999年5月25日

注43        2000年9月28日

注44        2000年12月16日

注45        2001年3月5日

注46        2001年8月31日

注47        2001年9月14日

注48        2002年5月11日

注49        2002年8月3日

注50        2002年9月7日

注51        2003年3月29日

注52        2003年4月3日

注53        2003年5月26日

注54        2004年6月28日

注55        2004年11月10日

注56        2004年12月11日

注57        2005年2月16日

注58        2006年3月27日

注59        2007年1月1日

注60        2007年2月28日

注61        2007年7月7日

注62        2007年8月21日

注63        2007年8月26日

注64        2008年1月7日

注65        2008年6月1日

注66        2008年6月19日

注67        2008年9月22日

注68        2008年1月18日

注69        2009年1月20日

注70        2009年6月10日

注71        2009年8月5日

注72        2009年8月23日

注73        2009年8月26日

注74        2009年8月30日

 


 

 

 

第3章 朝日新聞における論議

 

第1項    1994年の傾向

 

 1994年1月10日の社説「防衛大綱見直しは広い視野で」(注1)では、ソ連という脅威がなくなったなか、北朝鮮や中国の脅威を「大きな脅威として騒ぎ立てるのは感心できない。」と、現実逃避的な主張をしている。そして、日本とアメリカが「率先して軍縮を主導することが必要だ。」と、現実の国際情勢を無視した提言を続けている。そして、外からの脅威も内乱も可能性が低いとして、「国連協力の別組織」を訴えている。

1994年7月30日の社説「政治主導の予算というならば」(注2)では、防衛費が対前年度比で増加したことに対して、「冷戦後の国際情勢を視野に入れれば、もっと削り込んで当然だ」と主張している。

1994年8月13日の社説「これでは軍縮はできない」(注3)では、防衛問題懇談会が提出した報告書がPKO専門部隊を否定していることに対して「視野が狭い」と批判している。

1994年12月17日の社説「これが首相の『軍縮』なのか」(注4)では、新たなる国際情勢の下、防衛官僚主導で進められた防衛予算に異議をとなえている。

 戦域ミサイル防衛に対しては、1994年12月24日の社説「『戦域ミサイル防衛』は慎重に」(注5)において、北朝鮮の核保有問題は外交で解決すべき、と主張している。

1994年8月3日の一面「座標 『自衛隊合憲』を考える」(注6)では、数多くの自衛隊装備が「違憲」状態にある、と批判している。

 1994年の朝日新聞の傾向は、ソ連の崩壊と、北朝鮮や中国の新たなる脅威を認識しつつも。それについての具体的防衛計画は提言せず、ひたすら一方的軍縮を唱えることに終始している。

 

第2項   1995年の傾向

 

 1995年(平成7年)5月3日にいくつかの安全保障に関する提言をおこなっている(注7)。PKF業務をおこなわずに国連協力する「平和支援隊」創設の提言、2010年までに自衛隊を国土防衛隊に改変縮小、陸上自衛隊半減、イージス艦、P-3C対潜哨戒機、F-15戦闘機の大幅削減を主張している。また、「すべての土台は、日本が再び軍事的な脅威とならないことだ」として、対話型の安全保障をめざす、としている。「平和支援隊」のような組織が果たして国際社会から必要とされているのか疑問である。「陸上自衛隊の半減」は、16万の定員が充足率9割の状況で、基盤的防衛力にも達することなく、保安庁の見積もり陸上戦力32万の半分以下である現状で、さらに半減させるということは、国土防衛の必要最小限にも及ばないとおもわれる。イージス艦、P-3C対潜哨戒機にしても、艦隊防衛という、決して侵略的、攻撃的なものでないので、これを大幅削減させる理由はない。そのうえ、朝日新聞自身が中国の海軍力増強を認識しているならなおさらである。また、「F-15をこれほど濃密に配備している国はない」との表現には、事実認識に誤りがあると思われる。日本より高度な防空体制を敷いている国は数多い。これら提言は、現実を無視した朝日新聞の独りよがりに過ぎない。

 1995年11月30日の社説「新大綱は時代に耐えられるか」(注8)で、新大綱による自衛隊の削減傾向を「不十分」と指摘しながら、「防衛費の削減に結び付けなければならない」と主張している。地域の不安定化を防ぐには「日本が非核三原則や武器禁輸原則を厳格に貫き、さらに紛争の予防や信頼醸成に貢献する決意を明確にすること」と、ひとりよがりかつ、あいまいなものに終わっている。日本のおかれた情勢を認識しているのか疑問である。

 

第3項  1996年の傾向

 

 1996年(平成8年)4月24日の社説「有事論議に走る前に」(注8)において、集団自衛権行使につながりかねないと懸念を表明している。

1996年5月28日の社説「有事研究はだれのためか」では、「憲法を踏まえての抑制的な姿勢」で有事を論ぜよ、と説いている。この場合の有事とは、日米安全保障条約に関連する有事であり、朝日新聞はもっぱら集団自衛権の行使に懸念を表明している。

1996年4月には、特集のごとく、安全保障に対する提言を続けている。1996年4月11日の社説「日米安保を考える みずからの外交判断を」(注9)では、「米国の戦略に寄り添うことがすべてであっていいのか」と、日本政府の安全保障政策を批判、「中国を巻き込んだ地域安全保障」の構築や、「近隣諸国との信頼醸成」の構築をすべき、という現実味のない主張を続けている。

1996年4月16日には朝日新聞編集委員の田岡俊次氏が「在日米軍の削減 検討を」と題し(注10)、そこでは「日本周辺の脅威 総じて減少」と主張し、在日アメリカ軍は削減可能としている。しかし中国、北朝鮮の状況を鑑みると、この提言には疑問が残る。

1996年4月18日の社説「日米安保を考える これは実質的な改定だ」(注11)において、日米安保共同宣言をおおよそ批判している。「中国封じ込めに向かうなら、日本や地域の利益とはならない。」、「最悪の場合、日本を米国の戦争に巻き込むことにつながらないか。」など、朝日新聞がよく使う語句が目に付く。      

 1996年5月3日の社説「憲法49歳の誕生日に 集団的自衛権論の迷走」(注12)では、日本は「非軍事・積極活動国家」であるべきで、「日本は軍事的役割を広げることで生きていくことはできない。」と主張、そして日本の求められている役割としては「憲法と国連の理念を掲げつつ、みずからを含む地域の軍縮を進める、といった努力だろう。」、と述べている。なぜ、日本は軍事的役割を広げられないのか、日本が軍縮することで中国や北朝鮮の脅威を解消できるのか、疑念を抱かざるを得ない。

 

第4項  1998年の傾向

 

 1998年(平成10年)4月29日の社説「周辺事態法 このまま通してはならぬ」(注13)において、「どれをとっても従来の防衛政策からの決定的な転換である。」と主張している。さらに「米国主導による紛争対処への協力者として一定の役割を担い、それを日本の官民が支える。そうした枠組みが、この法案に他ならない。」と続けている。台湾問題においては「とくに、中国と台湾の紛争は『周辺事態』にふくまれないと、はっきりさせる必要がある。」、「『ひとつの中国』政策に沿った明確な判断を示すべきときだ。」と、かなり中国の政策を擁護している。

 1998年11月7日の社説「情報衛星 短絡的導入の危うさ」(注14)では、情報収集衛星導入に対し、「宇宙の平和利用に反する」と、異を唱えている。日本はオープン・スカイに力を入れるべきで、情報収集衛星はアメリカへの情報提供につながると懸念している。

 1998年の朝日新聞は、相当追い詰められた感のある主張になっており、日本の防衛に関することはとにかく反対、平和活動に専念せよという、理不尽なものになっている。

 

第5項  1999年の傾向

 

日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連の社説が5本あり、ガイドライン関連法成立阻止に向けた怨念が感じられる。そのなかで、1999年(平成11年)3月13日の社説「ガイドライン法案審議に 『日米中』の将来を語れ」(注15)において、中国との関係の重視を提言している。しかし、具体的方策は述べられていない。その他のガイドライン関連社説においても、従来の主張と変わらない、日本は軍事協力すべきでない、平和に向けた予防外交を、といった実現性のないものである。

ガイドライン関連法案とは直接的には関係ないと思われるが、1999年5月21日の社説「TMDが緊張をつくる ガイドライン法案審議に」では、中国、ロシア、韓国の反対や、TMDの技術的実現性、相互確証破壊理論の崩壊の危機、アジアへ緊張をもたらす、との理由で反対している。核の傘という抑止力を非難してきた朝日新聞が、ここにきて相互確証破壊理論をもちだしていることは、日本のTMD研究を阻止するためなら手段を選ばないとの意思表示のようである。

1999年7月19日の社説「空中給油機 導入は間尺に合わない」(注16)において、

冷戦期ならともかく、脅威のない今、航空機による大規模侵攻はなく、空中給油機は必要ない、との主張であるが、冷戦期においても空中給油機はおろか、マクドネル・ダグラスF-4ファントム戦闘機導入の反対、F-15イーグル戦闘機の装備削減を主張してきた朝日新聞は、過去の言質を問いただす必要があろう。ミサイル基地への先制攻撃については、周辺国家の警戒があると社説では述べられているが、日本の危機と周辺諸国の警戒のどちらが重要なのか、認識が問われる。

1999年10月20日の社説「これはひどすぎる」(注17)では、西村慎吾防衛政務次官の核保有論議推奨を「核の保有や製造、持ち込みを禁じた非核三原則は、唯一の被爆国として、核兵器の廃絶を目指す国民合意の結実であり、東アジアや世界の平和の土台のひとつである。それを西村氏は踏みにじった。」と、強い調子で非難している。非核三原則は核兵器の保有を論じることまでは禁止しておらず、これを禁止しようものならば、それは言論の自由に反する。そして、非核三原則は国会決議に過ぎない。核兵器保有に反対する、TMDにも反対する、それでは日本はどのように核社会から身を守ればいいのか。現実的方策を願う。

 1999年の朝日新聞は日本の先行軍縮による国際情勢の緊張緩和という実現不可能な妄想と、それによって結果的にもたらされる日本の防衛弱体化をすすめるため、手段を選ばず、論理も破綻して、迷走している。

 

 

第6項  2000年の論調

 

2000年5月17日朝刊の社説で、「夢想は疑心暗鬼を呼ぶ ミサイル防衛」と題し、「この構想は、いわば米国のひとりよがりではないか。あまりにも素朴な技術振興は根底にありはしないか。冷戦の終了で断ち切ったはずの軍拡が、また始まることになる。警戒しつつも、外交的な手段を尽くして、こうした国々を国際社会に受け入れる。その努力こそが安全保障の王道であろう。」と主張している。(注18)

2000年8月11日朝刊の社説では、「新潮流の備えこそ 自衛隊50年」と題し、「OECDがまとめた主要国の購買力平価(データのない中露は除く)で比較すると、日本の防衛費は米、英に次ぐ規模に達している。先の南北首脳会議を機にようやく緊張緩和の兆しが見える朝鮮半島を、冷戦状態に引き戻すような敵視政策は許されまい。」と主張している。一番敵対的で拡張主義の軍事大国である中国、ロシアを無視し日本が軍事大国だと唱え、さらに朝鮮半島情勢の判断を間違える朝日新聞の安全保障感覚のなさには呆れるしかない。さらに「TMDは中朝などの警戒感が強く、技術面、コスト面での難点も多い。開発を断念すべきである。」と続け、具体的安全保障政策がまったくみえてこない。(注19)

2000年12月16日朝刊の社説では、「『買い物』は何のため」と題し、「次期防衛力整備計画の総額はもっと絞り込むべきだった。周辺諸国に働きかけ、ともに軍縮を進めることは財政上も必要ではないか。さらに思い切った縮小が必要でないか。いったい、どこのハイテク戦車が攻めてくるのか、解せない話だ。」と主張している。中国の軍拡など東アジア情勢を無視した夢想ばかりの主張である。(注20)

 

第7項  2001年の論調

 

 2001年1月7日朝刊の社説で、「同盟の虚と実と」と題し、「核の脅しをたてにした安保がいつまでも続くとは思えない。」と理想論を述べている。(注21)

2001年5月10日朝刊の社説では、「はっきりNOと言え ミサイル防衛」と題し、「集団自衛権との関係でも、論議を引き起こすことになるのではないか。米国の新ミサイル防衛構想に対抗して中国が核戦力増強に走る-これほど愚かで危険なシナリオはない。同盟国として日本が米国に正面から意義を唱える。いまなすべきはそれだ。」と主張している。(注22)

2001年6月29日朝刊の社説では「対地訓練は必要なのか 空自誤発射」と題し、「対地攻撃訓練を続ける必要性を根本から考え直してみるべきではなかろうか。専守防衛の日本で対地攻撃支援射撃が必要になるのは、日本の領土に対しての大規模な侵攻があった場合であろう。冷戦の終わった今、そんな想定にどれほど現実性があるのだろう。」と主張している。防衛には冗長性が必要ということを全く理解していない主張である。(注23)

2001年7月15日朝刊の社説で、「北朝鮮や中国の軍事動向には、確かに不透明な部分も多い。だからと言ってその脅威を必要以上に言い立て両国の警戒心をたきつけ、より大きな脅威を招く。それほど愚かなことはない。両国を国際社会の責任あるパートナーとして迎える努力こそが最良の防衛政策だと肝に銘じるべきだ。」と理想論だけを展開している。(注24)

2001年11月19日朝刊の社説は、「市民の目による検証を 拳銃使用」と題し、「『けん銃取り扱い規範』改正。39年ぶりの本格的見直しである。発砲が適正だったかどうか、警察内部だけでなく、市民の目による検証が必要だ」と主張している。(注25)

 

第8項  2002年の論調

 

 2002年1月30日朝刊の社説で、「同盟を吟味する時だ 英米と日米」と題し、「英国ほどの距離感を日本は保てるのか。米国に直言する気概のないまま英米のような緊密な軍事協力関係が将来のお手本だというのなら、願い下げである。」、「どんな同盟にも寿命がある。帝国主義時代や冷戦期とは異なる新たなる脅威への対応に、2国間同盟はどこまで有効か。くもりのない目で吟味すべきだ。だからといって、日本が日米安保や専守防衛の枠組みを離れ、自主防衛に踏み出すことは賢明な選択ではあるまい。より普遍的な集団安保の仕組みを考えたい。」と主張している。(注26)

2002年4月28日朝刊の社説で、「米国にもの申してこそ 独立50年」と題し、「一歩一歩深まる日米の防衛協力。ソ連が崩壊したとはいえ、東アジアを含む不安な国際情勢にあって、安保条約を維持する価値はある。もちろんそれはアジアの安定のためであり、日本国民の安心のためでなければならない。だが、もし米国自身が世界の安心を、安定を乱す存在になってしまったらどうなのか。」と主張している。(注27)

2002年8月4日朝刊の社説、「脅威の列記はいいが 防衛白書」で、「しかし極東ロシア軍の変化については、脅威の圧倒的な削減による防衛政策の見直しに踏み出さない。必要なのは、北海道に手厚い冷戦時代の部隊配置をやめ、警察などとともに、テロやゲリラ上陸に機敏に備える態勢を早急に整えることだ。」と主張している。(注28)

2002年12月30日朝刊の社説、「自衛隊の統制者は誰か 統合運用」では、「文民統制には三つの段階がある。防衛庁内部の文官による自衛隊管理、首相による防衛庁、自衛隊に対する指揮統制、自衛隊の行動に対する国会の監督と承認である。」と誤った認識をさらけ出している。本来、文官(軍政)と自衛隊(軍令)とは対等な立場であり、指揮統制する首相が絶対的立場である。(注29)

 

第9項  2003年の論調

 

 2003年2月5日朝刊の社説、「軍事費突出を憂う 米国予算」において、「今回の04年度予算案でも、国防費は4,4%、国防費を除く米本土の安全保障費は7,6%増加させるという。あまりにもぬきんでた軍事力を持つと、国際的な協調や外交での解決軽視につながりかねない」とアメリカの軍事費だけを主張、中国やロシアに関しては口をつぐんでいる。(注30)

2003年3月29日朝刊の社説では「専守防衛に徹せよ 偵察衛星」という的外れな主張を展開している。(注31)

 

第10項         2004年の論調

 

 2004年1月11日朝刊の社説、「平和のため肩組もう カナダ」と題し、「カナダが大事にしてきた多国間外交の伝統をぜひ守ってほしい。日本とカナダが役割を分担して平和を築くための戦略を練る。そんなソフトな同盟を形づくっていきたい。」と主張している。日本とカナダのおかれている地政学的な環境も考慮すべきである。(注32)

2004年1月15日朝刊の社説「困った防衛庁長官だ 武器輸出」と題し、「ともすると見過ごされがちなのは、日本にとってこの政策が外交上の大きな『武器』になっていることだ。いや、何より、アジアの国々に無用の警戒心を与えず、信頼を得るための大きな財産になっている。」と主張している。東南アジア各国からは日本の武器、自衛隊の中古兵器の引き合いが多いことを知らないのであろうか。(注33)

2004年5月8日朝刊の社説では、「重し失う小泉政権 福田長官辞任」と題し、「しかし、自衛隊の派遣には慎重な姿勢をにじませることもあった。米軍を支援する自衛隊の活動範囲や内容を広げることにも批判的だった。」、「防衛庁の予算の増額を求めたときだ。福田氏が石破長官を厳しく批判し、逆に戦車や護衛艦などの正面装備を削減する結果となった。福田氏は、海外での自衛隊の活動はあくまでも非軍事的であり、抑制的あるという考えを貫こうとしていた」と主張し、左翼的な心情を持つ福田官房長官にシンパシーを表明している。(注34)

2004年6月30日朝刊の社説、「『軍隊でない』を誇りに 自衛隊50年」と題し、「自衛隊は他国で戦争をしない。それが日本にとって国益の源泉であり、誇りであることをあらためて刻みたい。」と主張、国際情勢の変化に対応できない考えを示している。(注35)

2004年10月5日朝刊の社説、「防衛懇報告 期待はずれだった」と題し、「気掛かりは、武器輸出3原則の緩和をはっきりと打ち出したことだ。」と懸念を表明している。(注36)

2004年12月5日朝刊の社説、「防衛大綱 あれもこれもは通らぬ。」と題し、「次期防には射程数百キロの地対地ミサイルの研究が盛り込まれている。敵基地攻撃力を高めることにつなごうというのなら、専守防衛の原則をゆるがすばかりか、日本周辺の緊張を高める恐れがある。」と主張している。(注37)

 

第11項         2005年の論調

 

 2005年12月11日朝刊の社説、「前原発言 外交センスを疑う」と題し、「もうひとつ気になる発言がある。中国の軍事力は『現実的脅威』であり、『毅然とした対応で中国の膨張を抑える』などと語ったことだ」と、中国の軍事力急増の事実を認めようとしていない。(注38)

 

第12項         2006年の論調

 

 2006年7月12日朝刊の社説、「先制攻撃論 短兵急に対応するな」と題し、「専守防衛を変更すれば、北朝鮮だけでなく、中国、韓国などの周辺国を刺激するのも避けられない」と主張している。(注39)

2006年11月11日朝刊の社説、「核を持つ 日本を危うくするだけだ」では、「この地球上に核を増やすのではなく、なくす方向で世界と自分自身の安全を考える。それが日本の役割であることを忘れてはならない。」と理想論を述べている。(注40)

2006年11月30日朝刊の社説では、「防衛『省』 あらためて昇格に反対する。」、「『不戦60年』と言うべきではないのか。軍事に重い価値を置かない、新しい日本のあり方の象徴であった。国防省や防衛省でなく『防衛庁』としたのも同じメッセージである。」と述べている。(注41)

 

第13項         2007年の論調

 

 2007年2月28日朝刊の社説、「日本版NSC まだ生煮えでないか」において、「今日の安全保障にはエネルギー、環境、さらには人権の問題など幅広い視野が求められる。そうした複雑化した現代の『安全』への目配りはあまり感じられない。」、「軍事面ばかり突出してはバランスを欠くことになる。」と主張している。朝日新聞はNSCがどういう組織かまったく理解してないようである。NSCによって政治主導の国家戦略をおこなおうとしているのに、これを否定すればまた官僚主導になってしまう。(注42)

 2007年5月3日朝刊の社説、「日本の新戦略 提言 社説21 地球と人間」において、「核軍縮、核実験禁止などでインドから明確な約束がない限り、日本はインドへの原子力協力に賛同すべきではない。」、「(自衛隊を)軍隊とはせず、集団自衛権は行使しない」、「国連安保理決議にもとづく平和構築活動に参加していく」、「非核を徹底して貫き、文民統制をきちんと機能させる」、「再び軍隊を持たないと誓った戦後の出発点をゆるがせにしたくないと思う。」、「憲法の理念のもとに必要最小限の防衛力として自衛隊を持つこと。」、「非核の原則を盛り込む」、「国連による平和維持活動(PKO)に積極的に参加する方針と原則を書く」、「自衛隊の規模と装備については、国際環境を見ながら、過大にならないよう見直していくべきである。」、「必要最小限の防衛力の行使を認めた憲法9条から逸脱し、際限なく自衛隊の役割が広まってしまうからだ。」と主張している。対中国政策にとって重要なインドを蔑にし、理想論と日本だけが軍事抑制するというマゾヒズムに満ちた主張である。(注43)

 2007年12月4日朝刊の社説、「防衛省改革 解体的出直し考えよ」では、「『省』にふさわしい組織や人材を備えていなかった。『庁』に戻して出直しさせるくらいの覚悟で、改革に取り組む必要がある。」と主張している。不祥事があれば格下げする、という発想を持っていれば国家規模の組織は何もできなくなる。(注44)

 

 

第14項         2008年の論調

 

 2008年5月10日朝刊の社説、「宇宙基本法 あまりに安易な大転換」において、「日本が新たな軍事利用に乗り出すことは周辺の国々への緊張を高めないか」と、主張している。中国の宇宙の軍事利用にも意見してもらいたい。(注45)

 2008年5月13日朝刊の社説、「クラスター爆弾 鮮やかな首相の決断」において、「人道面と安全保障面のバランスを考えることが必要だ。これが従来の日本の立場だった。」、「反対を押し切っての福田首相の決断である。」と、福田首相を称賛している。日本の安全保障を考えない安易な人気取りを称賛している。(注46)

 

第10項 2009年の論調

 

 2009年5月25日朝刊の社説、「日本の宇宙開発 技術は軍より民で磨け」において、「軍事ばかりに目が向いていると、日本の宇宙開発は先細りになりかねない、」と主張している。日本の宇宙開発の現状がほとんど民間であるという事実にまったく目をむけていない。(注47)

 2009年6月6日朝刊の社説、「『北の核』と日本 味方増やす防衛論議を」では、「だが、だから日本独自の軍事的備えを強めよという主張は、同盟の基盤である相互信頼をひび割れさせる。」と主張している。日本の防衛力増強が日米同盟に悪影響をあたえるという、意味不明な主張である。対等な関係になるには対等な軍事力、努力が必要である。朝日新聞は日本の対アメリカ従属という関係を是認している。普段の対米従属批判とまったく反対の認識、深層心理をさらけ出している。(注48)

 2009年10月26日朝刊の社説、「東アジア 共同体をともに磨こう」において、「その姿はまだ見えないが、欧州連合(EU)とは別の道をたどることは共通理解と言えるのではないか。」と主張、自由と民主主義を追求するEUとは異なる、独裁を是認するアジアを認めている。(注49)

 2009年12月10日朝刊の社説、「普天間問題 日米関係の危機にするな」において、「日米関係の基盤は安保条約であり、日本が基地を提供するのは不可欠の要件である。」と主張している。しかしその割には合意があった普天間基地移転をこじらせた鳩山政権には一切言及がなく、朝日新聞の今までの反米姿勢に対して反省がまったくない。(注50)

 

 

 

 

注1  朝日新聞社説 1994年1月10日

注2         1994年7月30日

注3         1994年8月13日

注4         1994年12月17日

注5         1994年12月24日

注6         1994年8月3日

注7         1995年5月3日

注8         1995年11月30日

注9         1996年4月24日

注10        1996年4月11日

注11        1996年4月16日

注12        1996年5月3日

注13        1998年4月28日

注14        1998年11月7日

注15        1999年3月13日

注16        1999年7月19日

注17        1999年10月20日

注18        2000年5月17日

注19        2000年8月17日

注20        2000年12月16日

注21        2001年1月7日

注22        2001年5月10日

注23        2001年6月29日

注24        2001年7月15日

注25        2001年11月19日

注26        2002年1月30日

注27        2002年4月28日

注28        2002年8月4日

注29        2002年12月30日

注30        2003年2月5日

注31        2003年3月29日

注32        2004年1月11日

注33        2004年1月15日

注34        2004年5月8日

注35        2004年6月30日

注36        2004年10月5日

注37        2004年12月5日

注38        2005年12月11日

注39        2006年7月12日

注40        2006年11月11日

注41        2006年11月30日

注42        2007年2月28日

注43        2007年5月3日

注44        2007年12月4日

注45        2008年5月10日

注46        2008年5月13日

注47        2009年5月25日

注48        2009年6月6日

注49        2009年10月26日

注50        2009年12月10日


 

 

第4章 毎日新聞における論議

 

 毎日新聞は毎年、防衛白書や12月の予算策定時にそれを批判する内容の社説を掲載する傾向にある。防衛白書については、まず前提としている国際情勢の認識に刃が向けられる。「ソ連の崩壊によって、大規模進行の危機は去った」との記述であるが、毎日新聞の場合、ソ連が存在した時代から、緊迫情勢を否定していた。また、中国、北朝鮮という新たなる危機については触れていない。そして、新装備についても精査することなく批判している。

 防衛費については、毎年増加について、「危機は遠のいた」という理由で、防衛費の増加を批判している。

 1999年2月3日の社説「修正点が整理されてきた」(注1)では、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連の周辺事態法について取り上げているが、「周辺」の定義をはっきりするように求めている。しかし、周辺の定義をあいまいにすることによって生じる抑止力としての効果も考慮するべきである。

1999年3月12日の社説「国民の『不安』払拭を 問われる国会の判断能力」では、集団自衛権の行使や専守防衛に反するという国民の声があるという指摘をしている。しかし、全国の憲法学者が反対しているというのは考えるべきことである。憲法学者の大半は、憲法9条は死守すべきで、自衛隊は憲法9条に抵触する違憲状態である、といった考えを持つ偏った思想のイデオロギー集団であるからである。知識人を自らの意見の代理人にし、読者を説き伏せようとしている意図が見える。

 1999年3月25日の社説「なぜ政策を変更したのか」(注2)は、北朝鮮の工作船が日本領海を侵犯した事件についての主張である。そこでは、自衛隊の役割が強化されることに対しての懸念が表明されている。それを「国民のあいだになお多くの疑念がある」としているが、世論調査などの根拠もなく、自らの考えを国民に押し付けるおこがましさがある。

 毎日新聞は、防衛についてそれほど熱心でないらしく、関連した社説は少ない。そして、あったとしても毎年恒例の防衛白書批判、防衛予算批判と、その時々のトピックぐらいで、明確な防衛に対するビジョンは見受けられない。

 

 

第1項     2000年の論調

 

 2000年6月23日朝刊の社説では、「安保条約40周年 平和のための構想示せ」と主張(注3)、2000年11月25日朝刊の社説では、「防衛庁、自衛隊 意義あるNGOとの連携」を提言している。(注4)

2000年12月16日の社説では、「次期防『コンパクト』化反する」、「空中給油機を4機導入を決めてしまった。」、「海自が導入する新型護衛艦2隻は1万3500トンと、これまでの護衛艦より3倍近いおおきさのものだ。『軽空母』なみと評されているが、これほど巨大な艦艇がなぜ必要なのか。」、「今回の次期防を見ると、これに逆行しているのは明らかだ。『大綱』策定から5年が過ぎたが、この間、アジア太平洋の軍事情勢は大きく変わった。」と左翼的平和主義に基づく主張を展開、現実を見ていない。(注5)

 

第2項     2001年の論調

 

 2001年9月1日朝刊の社説では「警察官 短銃使用の条件は整っているか」と題し、「現状のまま使用要件を緩和すれば、第三者を巻き添えにしたり、無用な事故を招くことは必至ではないか。射撃術の総体的なレベルアップを進めることが先決と言わざるを得ない。」と主張、凶悪犯罪の存在する実情を考えていない。(注6)

 

第3項     2002年の論調

 

 2002年3月21日朝刊の社説、「有事法制 憲法の原則踏まえ検討を」と題し、「憲法18条が『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』とし、19条が『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない』と想定していることに反してないと言えるだろうか。」、「憲法上疑義がある強制力を伴う法制化は再考を求めたい」と主張している。(注7)

2002年4月22日朝刊の社説、「考えよう憲法36 自衛隊」と題し、「埋め続けた9条とのミゾ、憲法の規範性から見れば問題がある。」と、自衛隊の存在を解いている。

2002年5月3日朝刊の社説、「タブーなき論議の空気を歓迎」では、「守るべきは守り、改めるべきは改めるという『原点』に立って」と、憲法論議は評価している。(注8)

 

第4項     2003年の論調

 

 2003年3月29日朝刊の社説、「偵察衛星 宇宙の平和利用に新決議を」と題し、「『防衛目的』に徹し、近隣諸国や国民に誤解を与えないよう」と主張している。(注9)

 

 2003年8月18日の社説、「文民統制 軍事コントロールの見識磨け」では、「論議の質を高めるには、安全保障の知識を持つ政策担当スタッフを充実させなければならない。」と提言している。(注10)

2003年9月8日朝刊の社説、「ミサイル防衛 防衛政策の根本から議論を」では、「中国や韓国には十分な説明が必要である。他の防衛予算削減は不可避だ。」と主張、日本のおかれた軍事的環境をまったく理解していない。(注11)

2003年12月22日朝刊の社説、「防衛力の見直し 国民の意見に耳傾けよ」では、「防衛力の見直しは、軍事のリストラが大きな課題となる」と主張、リストラ本来の意味が理解できているのかが気になるところである。(注12)

 

第5項     2004年の論調

 

 2004年4月28日朝刊の社説、「防衛大綱見直し 慎重かつ厳格な論議を」と題し、「前回の見直しでも装備の縮小などが行われたが、戦車や哨戒機など冷戦時代の装備は大胆に削減しなければならない。平和憲法の順守と軍事大国にならないとの決意は大綱の基本理念である。」と主張している。冷戦時代や中国との新・冷戦、ポスト冷戦時代も装備はそれほど変わらない。毎日新聞は冷戦激化時代も軍事力削減のみを主張してきた。軍事力削減しか主張できず、現実的代案がまったくない。(注13)

2004年7月1日朝刊の社説、「自衛隊50年 『専守防衛』で国民の信頼を得た」と主張しているが、毎日新聞は専守防衛にも否定的な姿勢であった。(注14)

2004年7月9日朝刊の社説、「防衛のあり方 『規模の縮小』は時代の要請だ」では、「陸は『戦車及び火砲』、海は『護衛艦、固定翼哨戒機』、空は『作戦用航空機』をあげた。いずれも冷戦時代の主力装備である。主力の90式戦車は1両八億円するが、車体が大きすぎて通行できる道路や橋が限られ、とても機動力に優れているとはいえない。各地に即応性の高い部隊を配置し、核や生物兵器、化学兵器に対応できる部隊も必要だ。」と主張、軍事的知識のなさをさらけ出している。(注15)

2004年11月29日朝刊の社説、「新防衛大綱 自衛隊も変革、再編が必要だ」では、「米軍のトランスフォーメーションは、自衛隊にとって他人ごとではない。」と述べているが、トランスフォーメーションによって大幅に強化される戦力は、毎日新聞とって許容できるのか。(注16)

2004年12月11日朝刊の社説、「新防衛計画大綱 多機能防衛に厳格な節度を」では、「日中の緊張が高まらないよう外交努力が必要なのは言うまでもない。専守防衛が基本理念であり、多機能防衛もおのずから節度あるものでなければならない。」と主張している。(注17)

 

第6項     2005年の論調

 

 2005年1月6日朝刊の社説、「戦後60年で考える 外交安全保障  トータル志向の外交を」では、「『軽武装、経済重視』政策をとり、国民も受け入れてきた。米戦略の一翼を担おうとしている。安保面での日米一体化は着々と進んでいる。ところが逆にアジアとの関係は停滞している。」と主張している。東南アジアと日本の良好な関係はいっさい無視されている。(注18)

2005年8月3日朝刊の社説、「安保環境 アジアとの防衛対話広げよ」では、「中露や韓国などアジア各国との防衛対話の話を積極的に広げていかねばならない。」と、特定国ばかり偏った主張をしている。(注19)

 

第7項     2006年の主張

 

 2006年7月12日朝刊の社説、「敵地攻撃論 冷静かつ丁寧な論議が必要だ」では、「攻撃は米軍に任せるというのが日本の防衛戦略だ。『敵地攻撃論』に基づいて攻撃兵器を導入するのであれば、専守防衛の防衛政策を大きく転換しなければならない。行きつく先は自主防衛論になるのではないか。そうなれば防衛力を大幅に増強し『平和国家』の看板は下ろさねばならない。」と主張している。米軍との一体化を非難しておきながら、攻撃という危険で難しい任務を米軍に任せるという虫のいい発想である。また、オーストラリアなどは軍事力を小さくするために攻撃力重視の戦略をとっている。毎日新聞は知識がなさすぎる。(注20)

2006年8月13日朝刊の社説、「防衛白書 同盟強化に国民の理解深めよ」では、「平和を維持するためにまず必要なのは外交努力である。」、「日米同盟の強化の実態だけを先行させるべきではない」と主張している。外交とは力の誇示であるという現実を全く認識していない。(注21)

 

第8項     2007年の論調

 

 2007年1月28日朝刊の社説、「衛生撃墜実験 中国に宇宙の非軍事化迫れ」において、「中国が偵察衛星を撃墜する能力を持つことがはっきりと証明された以上、ミサイル防衛へどのような影響があるのか、政府はまず国民に明確に説明すべきではないか。破片はその次だ。」と主張している。中国の衛星撃墜実験による宇宙ゴミの発生は蔑にされている。(注22)

 2007年2月28日朝刊の社説、「日本版NSC 器だけでは機能しない」では、「官邸機能を強化し、省庁間の縦割りの弊害を除去して、速やかに立案するという、報告書が目指す方向は正しい。」、「事務局長には経験豊かで官僚ににらみがきく人材が必要だ。報告書は自衛官の活用も提言しているが、事務局スタッフは外交、安全保障の専門家を配置すべきだ。」と主張している。(注23)

 2007年5月4日朝刊の社説、「安全保障政策 国民への情報提供が必要だ」では、「機密情報の管理は当然としても、一方で安保政策は情報公開による国民理解が前提であることを改めて確認しておきたい。」と、主張している。(注24)

 2007年6月12日朝刊の社説、「日豪 戦略的な意図知りたい」において、「一昨年の東アジアサミットでは将来の『東アジア共同体構想』の基盤を東南アジア諸国連合プラス3(日中韓)にするのか、さらにインド、豪州、ニュージーランドまで広げるのか、参加国の考え方の違いが生じた。日本は後者の立場だが、日本の意図が不鮮明だと中国をはじめアジア諸国に余計な不安をもたらすことになりかねない。」と、主張している。日本とオーストラリアの協力は安全保障的、経済的に当然だが、中国にお伺いをたてなければならないというのなら、日本は中国の属国ということになる。(注25)

 2007年7月7日朝刊の社説、「防衛白書 信頼回復に緊張感を持て」において、「政策官庁を強調するのはその裏返しでもあり、白書からは省になり外務省と対等になったという『気負い』も読み取れる。」、「しかし、50年にわたって庁だったのは、戦前、軍部の独走を許した反省から内閣府の外局として首相の目の行き届く組織にしておこうという歴史があったことも忘れてはならない」と、主張している。防衛庁を支配下に置き、権益にさずかろうとした多くの他省庁官僚の腐敗も忘れてはならない。(注26)

 2007年8月15日朝刊の社説、「暮らしの安全保障が必要だ 『民の現実』をみつめよ」において、「『愛国心』や『伝統』を憲法に書きこめば、それで立派な国ができると錯覚したのではないか。『国のかたち』への過剰な思い入れを捨て、『民の現実』を優先していかなければならない」と、主張している。(注27)

 

注1  毎日新聞社説 1999年2月3日

注2         1999年3月25日

注3         2000年6月23日

注4         2000年11月25日

注5         2000年12月16日

注6         2001年9月1日

注7         2002年3月21日

注8         2002年4月22日

注9         2003年3月29日

注10        2003年8月18日

注11        2003年9月8日

注12        2003年12月22日

注13        2004年4月28日

注14        2004年7月1日

注15        2004年7月9日

注16        2004年11月29日

注17        2004年12月11日

注18        2005年1月5日

注19        2005年8月3日

注20        2006年7月12日

注21        2006年8月13日

注22        2007年1月28日

注23        2007年2月28日

注24        2007年5月4日

注25        2007年6月12日

注26        2007年7月7日

注27        2007年8月15日

 

 


 

 

第5章 日本経済新聞での論議

 

 1994年3月19日の社説で「防衛問題懇談会に提示したい視点」では、「周辺諸国に脅威を与えないような自衛隊になるよう議論を深めてほしい」と日本の防衛の弱体化を訴えている。「基盤的防衛力構想は、表現は別としても、堅持されるべきだろう」と従来型思考の防衛力整備を主張している。「憲法の制約がある日本は、いわゆる脅威対応型の防衛力は保持できない」と、憲法を盾に日本の防衛力の健全な増強に否定的である。「日本の非核武装宣言をすべきである」と、核武装論を全否定している。戦後日本左翼の視点に立った防衛否定の観点から防衛を論じ、緊迫する東アジア情勢の現実を無視し、日本国民を危険にさらす社説である。(注1)

1994年8月13日の社説「防衛問題懇談会を安全保障論議のたたき台に」では、「数だけでなく、自衛隊の組織、機能が真に今後の国際情勢に即応しているのかどうかが重要になる」と自衛隊の現状に不満を訴えている。「偵察衛星の利用に関しても、宇宙の平和利用を定めた国会決議との関係をめぐる議論をやり直す必要が出てくるだろう」と、現状での偵察衛星保有には否定的である。また、軍事以外での「もっと包括的な政策をつくる必要がある」と、防衛問題懇談会であるにもかかわらず要求している。具体論に欠け、防衛そのものに否定的な論調である。(注2)

1995年8月3の社説では、「数字先行の『軍縮』誤り」と、自衛隊削減論だけが先行し、「防衛費の中身の議論を避けているのもおかしい」と、イメージ先行の防衛論議に警鐘を鳴らしている。(注3)

1995年9月2日の社説「FSX量産化は防衛産業のためか」では、「私たちは『冷戦が終わったからFSXは不要』といった単純な見方はとらない」と冷静に判断し、「問題は80億円という価格である」と標準的な価格に疑義を呈しながらも、「安全保障にはコストがかかる」と常識におさまっている。(注4)

 1995年11月12日の社説「もし、日米同盟がなかったら」において、「米国が最大のマーケットであり、世界秩序を一国で維持しうるだけの政治力、軍事力を備えていたからだ」と、日米同盟の有効性を評価、「それでは、今後はどうか。米国から離れて生きることが、日本にとって得策だろうか。巨大マーケットを失い、軍事的には孤立し、経済的にも政治的にも、没落の一途をたどる日本の姿しかうかんでこないと」と、反米感情に警鐘を鳴らしている。しかし、「日本が独自に国家防衛にあたるだけの軍事力を備えるといういわゆる『普通の国』になるには、あまりにもコストがかかりすぎる」と、アメリカの軍事力、安全保障政策に甘えた思想を吐露している。(注5)

 1996年10月16日の社説では、鳩山由紀夫・民主党代表の「常時駐留無き安保」関係論に対し、日本の国益ではなく「日中、日韓関係に思わぬ影響」が出るとの観点から批判している。(注6)

 1997年4月10日の社説「沖縄だけでない安全保障関係」では、「『沖縄だけが安保』では近隣諸国も困る」と、沖縄問題に集中する日本とアメリカの安全保障論議を非難しながらも、その手法が「近隣諸国も困る」という、日本の国益より外国を優先する思想を如実に表している。(注7)

 1999年5月21日の社説「船舶検査法も急げ」では、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案だけでなく、船舶検査という国際法に定められた実力行使も含むわが国の防衛の論議を勧めている。(注8)

 1999年7月28日の社説「冷戦後のゆれ映す防衛白書」では、「最も重要なのは防衛政策におけるコスト感覚である」と主張、1995年9月2日の社説の主張と相反する主張を出している。(注9)

 1999年12月20日の社説では、空中給油機の導入を妥当と主張している。(ちゅう10)

 日本経済新聞は、日本の防衛力強化に否定的で、その理由に「近隣諸国」を出してきている。一方で、日米同盟の維持には賛成で、理由には「巨大マーケット」と「近隣諸国」がある。また、FSXや空中給油機には賛成している。結論としては、戦後日本の左翼的軍縮軍事否定の観点から日本の防衛力整備には反対であるが、近隣諸国の意向や巨大マーケット・アメリカには敏感で、経済界・産業界を潤すビッグ・ビジネスに関係する防衛費支出になら賛成するという、経済新聞ならではの感覚である。(注11)

 

第1項     2000年の論調

 

 2000年3月8日朝刊の社説で、「中国の軍備拡大への疑問」と題し、「日本からの対中援助に疑問の声が起こらないようにしてもらいたい。」と、日本として当然のことを主張している。(注12)

 

第2項     2001年の論調

 

 2001年3月18日朝刊の社説、「中国人民解放軍の透明度向上を」において、「隣国としては懸念を抱かざるを得ない」と主張している。(注13)

2001年9月4日朝刊の社説、「米の対中核政策見直しに反対する」において、「中国のIRBMの射程内にある日本は、その近代化に安閑とはしてられない。MDに対する理解と引き換えに、中国の核戦力を認める。米の対中核政策見直しに反対する。」と、日本への核の脅しと、それと取引するアメリカを批判している。(注14)

2001年12月24日朝刊の社説、「海の警備には強い対応も選択肢に」において、「国際犯罪に対応するには毅然とした手段を選択肢にいれるべき」と主張している。(注15)

 

第3項     2003年の論調

 

 2003年3月29日朝刊の社説、「偵察衛星の眼力は十分か」では日本の偵察衛星の性能に疑義を唱えている。(注16)

 

第4項     2004年の論調

 

 2004年1月14日朝刊の社説、「民主党の国連待機部隊構想への疑問」において、「広い意味での防衛費増大につながる。」、「日本としての自主的な判断の放棄につながる」、「安保理決議だけを判断基準にすれば対米ロ中仏英のいずれかの追随する結果になる」と、民主党の浅い政策に反対している。(注17)

 2004年5月2日朝刊の社説、「動き出した『防衛計画大綱』の改訂」において、「厳しい財政状況の中で防衛費は増やせない」、「三自衛隊の装備には冷戦型の色彩が強い」、「ミサイル防衛、テロ、国際協力活動など、あらたな課題として一層重視される」と主張している。アジアでは大軍拡、新冷戦が始まっているのに見識を疑われる主張をしている。(注18)

 2004年7月1日朝刊の社説、「50歳にして発想の転換をかえられるか」において、「安全保障を財政の理由だけで考えるわけにはいかない。防衛庁・自衛隊内部に発想の転換が十分に浸透しているだろうか。」と主張している。(注19)

 2004年10月5日朝刊の社説、「『弾力的防衛力』は自衛隊の構造改革だ」において、「『多機能弾力的防衛力』、陸は戦車などの重武装部隊の思い切った縮減、効率化、各種事態に対応できる普通科要員の移動、海は対潜戦中心の路線を改め、弾道ミサイル監視、不審船対応などへ重点を移動する。空は航空部隊を縮減し、ミサイル防衛能力を強化する。イラク戦争に参加した英国陸軍は陸自より人員が少ない。財政の現実をみても効率化は避けられない。」と主張している。軍事的見識のなさ、国際情勢への理解力のなさがよくわかる主張である。イギリスは国力、地政学的にも日本より陸軍力が少なくて当然であるのに、環境の違う日本にそれを当てはめる暴挙にでている。(注20)

 2004年11月9日朝刊の社説、「防衛庁はさすが抵抗勢力か」において、「冷戦型装備の縮減は当然」、「戦車から普通科に要員を移動」、「中国原子力潜水艦への対応もソ連原子力潜水艦への対処とは別の発想がいるはず」と主張、財務省と財務省主計官・片山さつき氏、小泉純一郎首相の主張の言いなりになっている。(注21)

 2004年12月11日朝刊の社説、「戦略環境の変化で自衛隊は変われるか」において、「戦車、十分な削減ではない」、「空、多機能型戦闘機を装備する」と空理空論の主張を展開している。(注22)

 

第5項     2007年の論調

 

 2007年7月8日朝刊の社説、「防衛白書で再生誓った重み」において、「中国の軍備拡大に対し、これまでより強い警戒感を示した」と、評価している。(注23)

 2007年2月28日朝刊の社説、「NSC生かすも殺すも首相の力」において、「大統領制の米国モデルをそのまま輸入するのではなく、議院内閣制の実情に合った組織に向けた試行錯誤がいる」と、日本型NSC組織を提言している。(注24)

 2007年3月2日朝刊の社説、「クラスター爆弾禁止に動け」において、「一般市民、特に子供に大きな被害を及ぼす非人道的兵器クラスター爆弾は禁止すべきである。」、「日本も禁止に動くべきだ。」、「締約国会議で米ロなどを含めた交渉が始まる場合には、禁止の方向で交渉を主導すべきではないのか。」と主張している。感情的な主張であり軍事的合理性が低い。(注25)

 2007年6月23日朝刊の社説、「現実見据えた宇宙基本法に」において、「『平和利用』を『非軍事』としたことから、自衛隊の宇宙利用にも制約がかかっている。」、「今後、防衛省が高性能の偵察衛星を保有しようとしても、拡大解釈には限界がある。」、「国際情勢を考えれば、安全保障に絡む宇宙利用をいつまでもタブー視できない。」、「平和利用を定義しなおすにしても、利用の範囲は明確にせざるを得まい。」、「定義にあいまいさを残すと宇宙軍拡に巻き込まれる恐れがあるからだ。」と、主張している。自衛隊の適切な宇宙利用を提言している。(注26)

 

第6項     2008年の論調

 

 2008年5月16日朝刊の社説、「宇宙基本法、具体化への課題」では、「宇宙軍拡への歯止めは何らかの形で必要だろう。」と主張している。(注27)

 2008年5月31日朝刊の社説、「米中ロもクラスター爆弾廃止を」において、「今回、防衛評論家らの消極論をふまえつつも条約案への同意を提示した首相の決断を評価したい。」と主張している。日本の安全保障を全く考えず、世間に媚びを売り人気獲得に走る福田首相の安易な考えを評価している。(注28)

 2008年6月26日朝刊の社説、「柳井報告を軽んじるな」では、集団自衛権見直しに関する報告書である安全保障の法的基盤の再構築に関する座談会について言及、「集団自衛権は保有するが、その行使は憲法上できないとする歴代政府の解釈は、自衛隊が国際協力活動をする際の制約となっている。福田首相が報告書に食わず嫌いであっては困る。それは日本の安定にとって困るからだ。」と主張、6月24日に柳井氏が首相に報告書を提出し、前日には段取りが決まっていたにもかかわらず、直前まで公表しなかった首相官邸、福田首相の安全保障への無理解、不誠実を批判している。(注29)

 

第7項     2009年の論調

 

 2009年3月1日朝刊の社説、「小沢政権に不安を感じる」では、「鳩山由紀夫幹事長は『日本の軍事力を増強するのではない』とする一方で、米国に頼らずに、ミサイルに対する『レーザー防衛網をつくる』などと釈明するが、意味不明に近い。」と批判している。安全保障や軍事、防衛を全く理解しない民主党であったが、政権を取ることになった。(注30)

 2009年7月19日朝刊の社説、「対中警戒強めた防衛白書」では、「中国が軍事費を増やし、軍の近代化を進めているのは、国際的常識であり、実態が透明性を欠く点も知られる」と現状を報告している。(注31)

 2009年7月27日朝刊の社説、「日米同盟の信頼向上こそ拡大抑止の要」において、「集団自衛権の解釈変更も信頼向上に欠かせない」と日米同盟の実質的強化をするように主張している。(注32)

 2009年7月29日朝刊の社説、「09衆院選政策を問う 民主党の外交・安全保障政策はあいまいすぎる」において、「外交・安全保障政策に関する限り、政権公約や政策集の記述は文字羅列にすぎない。」と激しく非難している。(注33)

 2009年10月11日の社説、「日中韓は東アジア共同体を語ったが」において、「日韓、日中の間には未解決の領土問題がある。特に中国は海軍力を軸に急ピッチで増強している。日本の安全保障には米国との同盟が決定的に重要だ。対米関係を一段と強固にする姿勢が無ければ、対アジア外交はおぼつかない。」と、アメリカとの同盟強化を訴えている。(注34)

 

 

 

 

注1  日本経済新聞社説 1994年3月19日

注2           1994年8月13日

注3           1995年8月3日

注4           1995年9月2日

注5           1995年11月12日

注6           1996年10月16日

注7           1997年4月10日

注8           1999年5月21日

注9           1999年7月28日

注10          1999年12月20日

注11          1999年12月20日

注12          2000年3月8日

注13          2001年3月18日

注14          2001年9月4日         

注15          2001年12月24日

注16          2003年3月29日

注17          2004年1月14日

注18          2004年5月2日

注19          2004年7月1日

注20          2004年10月5日

注21          2004年11月9日

注22          2004年12月11日

注23          2007年7月8日

注24          2007年2月28日

注25          2007年3月2日

注26          2007年6月23日

注27          2008年5月16日

注28          2008年5月13日

注29          2008年6月26日

注30          2009年3月1日

注31          2009年7月19日

注32          2009年7月27日

注33          2009年7月29日

注34          2009年10月11日

 

 

 

第6章 オピニオン・リーダーたちの安全保障論

 

第1項  大田昌秀・沖縄県知事の主張

 

 1997年(平成9年)4月15日に「戦争の悲劇をじかに知っていることから、沖縄県民は平和を維持するために軍事力を持つ必要がない。」と発言している。現実に対処できない、なんらの説得力も持たないオピニオンである。(注1)

 

第2項 中江要介・元中国大使の主張

 

 1994年(平成6年)4月10日の東京新聞に、核保有疑惑で国際原子力機関の特別査察を拒む北朝鮮への制裁について、「経済制裁とか武力による威嚇とかいうような政策に頼るのではなく、将来像を念頭において、あくまでも対話による解決が図られるよう、関係国に粘り強く訴え続けるべきではないか。」と述べているが、回りくどい言い回しだけで、何の解決策にもなっていない。(注2)さらに1994年11月17日の東京新聞には、「核ミサイルは脅威か」と題し、ソ連の核と違い、北朝鮮の核は脅威でないと述べ、「原点に立てば、北朝鮮は日本の根っからの『敵対国』ではなく、白紙の立場で関係正常化の話し合いができ、中国の間でそうであったように、子々孫々の友好協力を約束し会える国にさえなりえたはずなのである」と、述べている。(注3)

 

第2項   鴨武彦・東京大学法学部教授の主張

 

  雑誌「Rоnza」1995年(平成7年)4月号において、「大国主義路線を廃し、民生国家をめざせ」と題し、「憲法の前文を含め、日本が『平和の理念』を諸外国に対する国家の『普遍的メッセージ』として今後とも発信しつづけ、国際社会に良識ある『日本の思想』

だと理解してもらうことが大事だと考える。」(注4)と述べ、護憲平和外交、防衛消極政策を主張している。

 

第4項     山口二郎・北海道大学法学部教授の主張

 

 民主党や社民党のブレーンで、田中真紀子氏など左派のブレーンをつとめる山口二郎氏は1995年(平成7年)4月号の雑誌「Ronza」において、「軍備というのは、永続的な秩序を守るためにそんなに役立つものでないという点について日本は、きちっと主張していく必要がある。」(注5)、「安全保障とか秩序というものの構成要素がずいぶん変わったわけで、人間の存在にとっての脅威や、安全を脅かす要因として、軍事以外のものがはっきり見えてきた。」(注6)と述べている。軍事の脅威は今日も存在し、その脅威はさらに増している。この主張は外れたといえる。(注7)

 

第5項     柴山哲也・京都大学経済学部講師、元朝日新聞記者の主張

 

 雑誌「Ronza」1996年(平成8年)12月号において、「21世紀の国家の枠を超える情報化社会を前に、有用な情報の価値はますます高まるが、愚鈍な領土主張はその存在価値を失ってアナクロニズムに陥っていくことは間違いない。」(注8)、と、戦争の主要要因である領土問題を矮小化し、エネルギー問題だけが重要と説いている。

 

 第6項 細川護熙・元首相の主張

 

 1998年(平成10年)の「FOREIGN AFFAIRS」3/4月号に「ARE U.S.TROOPS IN JAPAN NEEDED? 米軍の日本駐留は本当に必要か」において、北朝鮮、中国の脅威は、日本、台湾、韓国にとって軍事的優位をうばわれるものではないとし、実質的に防衛を担っているのは自衛隊で、アメリカ軍ではないと主張、アメリカ軍基地撤退を望む国民の声からも、アメリカ軍は撤退し、同盟関係は続けるべきだとしている。

 日本、韓国、台湾の防衛力は、中国、北朝鮮の強大な軍事力の前には脆弱で、すべての安全保障の事象においてアメリカ軍との協力が必要なのは自明の理である。日本の防衛は自衛隊だけが担っているのではなく、アメリカ軍との協力によって成立している。安易なアメリカ軍の撤退は東アジアに動揺を生むだけである。また、基地撤退を求めながら同盟の維持を求めるのは、多分にアメリカに甘えた主張である。(注9)

 

第7項 ノーベル文学賞作家・大江健三郎氏の主張

 

 1995年(平成7年)4月のワシントンでの講演で、「米国の民主主義を愛する人たちが作った憲法なのだからあくまで擁護すべきだ。軍隊(自衛隊)についても、前文にある『平和を愛する諸国民の公正に信頼して』とあるように、中国や朝鮮半島の人々と協力して、自衛隊の全廃を目指さなければならない。」(注10)と、述べた。「平和を愛する諸国民の公正に信頼して」が美辞麗句、机上の空論であることは明らかで、それに沿った自衛隊の全廃は無謀であること限りない。さらに、そのことは日本国民が決めることであって、中国や朝鮮半島の人々にお伺いを立てる必要はない。この主張は、平和憲法を妄信し、独裁政権の横暴にこびへつらうものであるが、大江健三郎氏は、落ち目とは言うものの、いまだに熱烈な信奉者が存在する、ある程度の有力人物であるという現実が存在する。

 

第8項 堤清二 セゾン・グループ会長の主張

 

 1996年(平成8年)4月の雑誌「世界」での対談で、「私は核には絶対反対なわけです。とすれば、そういう反論を突き抜ける反核の思想をわれわれが持たなければいけない。」(注11)、「日本は絶対核を持つべきではないし、他国に対しても核を廃棄すべきだということを言い続けなければならない。まさにおっしゃるように『特別な国』(小沢一郎氏の『普通の国』に対し)であるべきです。憲法はちゃんと『特別な国』であるべきひとつの条件を作ってくれているのです。だから国際社会における日本の政策、意見の発表の根拠として憲法を利用しなければならない。」(注12)と、述べている。堤氏は、憲法において軍事力の行使が制限される、非核の日本を目指している。

 

 

 

第1項     五十嵐武士 東京大学教授の主張

 

 東京大学教授の五十嵐武士氏は1994年(平成6年)の雑誌「世界」1994年6月号において、「日本は二十一世紀をどのようにいきるのか 『平和国家パートⅡ』の提言」において、日本の進むべき道は「普通の国」ではない、「平和国家」を主張している。(注13)1995年(平成7年)の雑誌「Ronza」1995年12月号で、日本の国家的アイデンティティーとして、「平和国家」を保持していくことが必要と主張している。その「平和国家」とは、「外国に軍事的脅威を与えない方針のもとで、攻撃的兵器を持たず軽武装にとどめる原則を貫いてきたことは、明らかに新しい国家のタイプの実現を意味した。」(注194-2)、「経済大国でありながら軍事大国になるのを今後とも避けることができるとすれば、国際政治上の欧米的常識を打ち破ることができる。」(注14)と、述べている。また、「唯一の被爆国」として、「原水爆禁止運動を展開することは、日本が人類の存続に寄与する本質的使命であろう。」(注15)と、述べている。また、こうした日本を「地球的平和国家」と定義し、非核三原則を強化、アメリカの核の傘に頼らない方針を採るよう求めている。国連平和維持活動には、自衛隊とは別組織による参加を主張している。

 これら主張は、「平和国家」日本ゆえの損失、軍事力なさゆえの外交力の低さを無視している。理想に過ぎない「原水爆禁止運動」に重きを置くという主張は、浮世離れした発想である。東アジア情勢をかんがえると、欧米的な国際政治上の常識は打ち破れそうにない。

 

 

第10項 加藤紘一 自由民主党幹事長の主張

 

 日本、アメリカ、中国の三国間の関係を「二等辺三角形」から「正三角形」にすべきと主張している。二等辺三角形というのは、日本とアメリカが接近し(日米同盟)、中国との関係が離れている状態を表している。日本、アメリカ、中国の関係が「正三角形」になるということは、日本、アメリカ、中国の関係が均等になるということである。日本とアメリカが中国に対して、日米安全保障条約を発動できなくなる。また、中国の軍拡の現実を無視した妄想で、現実にはまったく即していない。加藤氏はまた、「日米ガイドラインは北朝鮮に対してだけのもの」と、中国の江沢民国家主席に言明している。日米同盟が中国には発動されないという、日本の防衛を危うくさせることを認識している様子はない。それは、中国の軍拡の脅威を認識していないことにある。(注16)

 

第11項 小沢一郎氏の主張

 

 「普通の国」として、国連待機軍や、国連警察軍を創設し、日本もそれに参加すべきと表明している。「日本国政府の指揮権(自衛隊に対する)を完全に放棄し、明確に国連事務総長の指揮下に置く」と、自衛隊の指揮権放棄を表明している。そして、「唯一の超大国であるアメリカが積極的に国連の舞台を活用し、国連と一体となって活動」するよう求めている。

 国連待機軍や国連警察軍が創設されるような国際的機運は皆無であり、アメリカが国連と一体となることも当面は考えられない。国連を万能の機関と夢想する非現実な提案である。(注17)

 

第12項 鳩山由紀夫・民主党代表の主張

 

 鳩山氏は雑誌「文芸春秋」1996年11月号に「私の政権構想」と題し、安全保障政策を披露している。そこには、国連、APEC(アジア太平洋経済会議)、ASEAN拡大外相会議、ASEAN地域フォーラムに積極的に参加し、信頼醸成、紛争予防、非核地帯化のための北東アジアの組織や、経済協力、地域安保対話システムを推進するとしている。こうした措置で、国際環境を成熟させていけば、在日アメリカ軍・基地の整理・縮小・撤去ができ、「常時駐留なき安保」への変換が可能である、と述べている。集団自衛権についての拡大解釈は、自衛隊を域外で活動させることになるため、冷戦時代へ逆境するような行為は認められない、としている。自衛隊については、2010年の段階で、海空戦力を中心とした盛況な国土防衛隊と、それとは別組織とした国際平和協力部隊、災害救助部隊を創設するとしている。

日米安全保障条約は、双方の国の国益に基づいて成立しているものであるので、アジア情勢が変化したとしても、アメリカ軍の撤退を要求するのは信義にも反し、国益至上主義が成立しない。「常時駐留なき安保」は、日本の一方的な要求にすぎない。また、鳩山氏は、日本の陸上戦力のことに触れていないが、記述から察するに必要性を感じていないのだろう。しかし、ソ連軍の着上陸の可能性が減少したとはいえ、非正規戦の危機は高まっている。テロ、ゲリラ・コマンド対処には頭数が必要で、野戦を想定せず、自己完結能力のない警察では不可能である。(注18)

 

第13項 菅直人・民主党代表の主張

 

 雑誌「文芸春秋」1999年6月号で、「第9条は覚悟なくして変えられない」において、専守防衛に徹し、それに相応した法整備を進めるときだとしている。また、民主党結成時に、「センター・レフト」を目指すということである。きわめて定義づけしにくい言い回しであるが、防衛には消極的であるということであると思われる。また、民主党結成時のスローガンは「市民が主役」である。国政を担う政党を目指しているのに国民でなく市民を使っている。国家に否定的なアナーキズム傾向が読み取れる(注19)

 

第14項 功刀達郎・国際基督教大学教授の主張

 

 1993年12月21日の読売新聞「論点」において、「国際協力省を望む」と題し、「国連の平和と安全保障機能への協力を自衛隊と別組織で行ったり、軍縮や平和創出のための資金協力を行うためには、防衛費1%(防衛費が対GNP比1%である現状)の半分をこれに充当しうるのではないか。」と論じている。防衛費を半減して、軍縮と平和を可能にすると言うのは実現不可能な妄想に過ぎない。(注20)

 

第15項 水島朝穂・広島大学助教授(憲法学)の主張

 

 1995年1月27日の朝日新聞「論壇」において「92年秋、筆者は憲法の理念に基づく非軍事的国際協力のモデルとして『ニッポン国際救助隊』設立を呼びかけた。」と主張し、非軍事を強調しているが、そういうものは需要が少ないので無駄である。(注21)

 

第16項 北山愛郎・元衆議院議員の主張

 

1997年4月4日の朝日新聞「論壇」において、「日米安保依存から脱却しよう」と題し、「2005年ごろまでに安保の解消を予定し、そのプロセスを協議することを提案する。これと並行しアジア諸国に対し、アジアの平和保障機構をつくるよう働きかける必要があろう。これは空想ではない。アジア諸国の現在の重要問題は経済であり、生活である。軍事的紛争を起こそうと考える余裕もあるまい。」と述べている。アジア諸国とはどこを指すのか。敵国の中国、北朝鮮は含まれるのか。それならば実現不可能である。そしてアジアでは戦争が絶えない。現実を無視した暴論である。(注22)

 

 

 第17項 暉峻淑子・埼玉大学名誉教授の主張

 

1999年5月3日の朝日新聞「論壇」において、「『大国』日本が残せるもの」と題し、「戦後、『大国』として日本が唯一、世界に対して手本となりえたのは平和憲法ゆえであり、二十一世紀には日本の憲法に倣う国々が一般化していくと思われる。」と主張している。平和憲法はアメリカの属国化の象徴であり、どの国からも尊敬されることは無い。21世紀に日本国憲法が世界で一般化するどころか、紛争、対立の嵐である。(注23)

 

 第18項 金子熊夫・東海大学教授、元外交官の主張

 

 1999年7月27日の朝日新聞「論壇」において、「感情論やタブーは排し、核抑止力は本当に役に立つのかどうか、『核の傘』に代わる安全保障政策として期待される北東アジアの非核化構想は可能性はあるのか、それを実現させる道は何かなどにつき、客観的に検討する必要がある。昨今の日本では北朝鮮の脅威がことさら強調され、その対応策に関心が集中しているが、もっと長期的視野にたった総合的な北東アジア安全保障体制をどう構築してゆくか検討を怠るべきではない。」と主張している。北朝鮮の脅威は現実であり、朝鮮戦争以来存在するものである。長期的視野にたつにしても北朝鮮対策は重要である。(注24)

 

 第19項 坂井定雄・龍谷大学法学部教授の主張

 

1999年9月11日の朝日新聞「論壇」において、「TMDより多国間安保急げ」と題し、「軍事力による威圧をやめて、東北アジアの多国間安保体制、非核地帯条約を構築する。軍事に頼らない努力の積み重ねによって、北朝鮮の『危険』を解消できる。」と、している。軍事に頼らない世界は非現実である。北朝鮮の危険は非軍事の努力だけでは解消できない。(注25)

 

 第20項 吉田均・東京財団主任研究員の主張

 

 1999年12月2日の朝日新聞「論壇」において、「平和による相互発展というイメージを周辺国に伝えるため、日本も自治体に役割を再認識し、二国間組織や多国間組織を積極的に活用する必要が生まれている。」と主張しているが、自治体に外交権は一切無く、軍事同盟ほど戦争を防ぐ手段はない。(注26)

 

第21項 志方俊之 元陸上自衛隊北部方面総監の主張

 

 中国の軍拡、領土拡張のための手段を選ばない行動や、北朝鮮の特殊部隊によるゲリラ戦、ノドン1号などの弾道ミサイルの脅威などに警鐘を鳴らし、防衛計画の大綱の変更を、ある面では評価しながらも、「削減ありき」の方向、「限定的かつ小規模侵略に対しては独力で対処する」という表記の削減によって生じる過度の日米安保体制頼り、集団自衛権に触れない姿勢を批判している。志方氏は集団自衛権の行使による日米関係の強化と、有事法制による円滑な自衛隊運用による迅速な対応を求めている。(注27)

 

第22項 岡崎久彦 元タイ大使の主張

 

 極東有事に対し、F-15戦闘機を200機ほど保有している日本が、なんらの協力をしなければ、日米同盟は破綻すると、警鐘を鳴らし、内閣法制局の「保有しているが、行使できない」という珍妙な解釈を改め、集団自衛権の行使による日米同盟の強化を主張している。(注28)また、1994年1月20日の読売新聞「論点」では、「防衛大綱改訂への注文」と題し、「情勢判断と戦略思想の閣議決定は避け、随時改訂できるものがのぞましい。さらに先端技術を取り入れた防衛計画を推進すべきだろう。」、「『世界は軍縮傾向だから』というムード的議論は根拠が薄い。ヨーロッパ正面の欧米諸国の軍事費の比較は無意味である。」と断言、柔軟な戦略思想と安易な軍縮論を否定している。(注29)

 

  第23項 森本敏 杏林大学非常勤講師、野村総合研究所主任研究員の主張

 

 1993年10月5日の読売新聞「論点」で、「国際政治を動かす要因は結局のところ宝である。国際社会の秩序を確保する最後の手段が国防力であるという現実は冷戦後も変わらない。」、と厳しい国際社会の秩序のあり方を述べながらも「米国の同盟国や友好国は米国をもっと支援し、協力する具体的な方法について話し合い、それを全体としてゆるやかな協力的安全保障のための合意へと発展させることが望ましい。」と、結論は理想主義に走っている。(注30)

1994年8月16日の読売新聞「論点」では、「不透明情勢と防衛計画」と題し、「ロシアの脅威は今や消滅したという考え方に立っているが、そのような考え方が妥当性があるかどうか疑わしい。集団自衛権の行使に踏み込んでいないのは残念である。アジアの周辺国は、むしろ軍事力を増強しつつある。先行き不透明な時期に、国家の防衛力のあり方を根本的に方向転換することは慎むべきである。」と、脅威が存在していながら防衛計画の大綱の軍縮に向けた大幅な変更に疑義を呈している。(注31)

1996年4月3日の読売新聞「論点」では、「日米同盟 問われる真価」と題し、「アジア・太平洋全体の平和と安定にとってきわめて重要」、「日米安保体制はこの地域における米国の活動を支える最も重要な基礎である。」と、日米同盟を評価している。(注32)

国際社会の厳しさ、アジア情勢の緊迫化をふまえ、安易な軍縮を批判し、日米同盟を支えることによる地域の安定を主張している。

 

第24項 田久保忠衛 杏林大学教授の主張

 

 自衛隊を国軍と位置づけ、日米同盟を双務化する、具体的には憲法改正、集団自衛権の行使をすることで、普通の独立国として、国際発言力も増すとしている。これは「普通の民主主義国」であり、「親米ナショナリスト」こそが、日本の安全と誇りを保つ唯一の道だと主張している。(注33)

 

第25項 小和田恒・外務省事務次官の主張

 

 雑誌「プレジデント」1993年6月号で、「日本が今後国際社会とどう関わっていくべきかという問題なのですが、第一は、終戦直後に多くの日本人が考えたように『清く貧しく美しく』生きる生き方です。国際的な貢献、あるいは国際秩序の形成に責任あるメジャープレーヤーとして行動しない、という決意をする生き方です。そういう国家としての生き方は理論的にはあり得るでしょう。しかし私は現在の日本は既にそれはあまりに大きくなってしまっているので、これは実際には無理な選択肢ではないかと思います。」と安全保障にまったく力を入れない政策を否定しつつ、「二つ目は日本が普通の国になるということです。普通の国という意味は、アメリカやヨーロッパの国々と同じようにいろいろな形でバランスのとれた国家をめざすということです。その場合は国連を中心とした国際社会のためならば、軍事的な貢献も含めて仲間の諸国と同じような協力と貢献をすることが当然期待されることになるでしょう。」と普通の国、外交に軍事力を行使することにも肯定的な姿勢を示さず、「三番目は国際秩序の形成強化に日本として関わらないというのではなく、あくまでも関わるんだという姿勢を明確に持ちつつも、ただ自分の国の行き方として、良い意味での『ハンディキャップ国家』になるという選択です。この場合、日本は過去の自己の行動や国民の信条として、日本自身が属する共同体たる国際社会の共同の利益のためであっても、“特定の行動”には参加しませんということを国家として明確にするわけです。しかし共同体の一員として責任を果たすため、他の分野でそれを補って余りある犠牲を払うことを求められるでしょう」と軍事力を否定した外交、国際貢献によって、日本の国際的な地位向上、国益を追求する姿勢を示している。(注34)

 軍事力を否定して国益を追求できる国際環境は現在のところ存在していないので、この「ハンディキャップ国家」は机上の空論、従来の小切手外交と何ら変わりないだろう。

 

 

第26項 斉藤邦彦・外務省事務次官の主張

 

 斉藤邦彦・外務省事務次官は1993年11月12日に日本記者クラブの講演で、「小和田・前外務事務次官は以前、雑誌の対談で、結論を出さずに『無責任国家と普通の何でもやる国家があり、この間、ハンディキャップ外交がある』と言ったことがある。私はハンディキャップ国家が日本の進むべき道ではないかと思う」と述べた。(注35)小和田恒氏と同様、斉藤邦彦氏は外務省の主流派で、外務省に非常に強い影響力を与える人物である。そのような人物が軍事力を軽視した外交、安全保障、国益を追求しているということは、政治家の影響力の無い日本の外交の舵はそちらに切られているということであり、物理的、現実的な日本の脅威に対応する意欲が無いことを証明している。

 

第27項 藤井宏明・外務省官房長、駐英大使の主張

 

 外務省で官房長を務めたあと駐英大使になった外務省主流派の藤井宏明氏は1998年に財団法人・日本国際フォーラムが主催したシンポジウム、「海洋国家イギリスの知恵から何を学ぶ」において、「日本の自立は、大英帝国のごとく、軍事力、経済力、外交力、の三本柱のバランスの上に築かれる必要は無いと思う。日本が経済と外交および文明的魅力に大きく頼ってゆくことは可能であろう。しかし、軍事力や関連技術を自ら規制している日本は自主自立の面でも、国際政治力の上でもさらには国際貢献の分野でも大きなハンディキャップを負っており、その対価を他の面で払う必要があることは認識されるべきだろう」(注36)と、軍事に否定的なハンディキャップ外交に親近感を抱きながらも、それが簡単ではないことも認識しているようである。

 

第28項 大前研一・評論家の主張

 

 大前研一氏は1990年代後半、テレビ東京系列で放映された「がらがらニッポン」(司会・飯干景子)で、「もはや超大国の軍事的抑止力による時代は終わった」と一部しかあてはまっていない、超大国の軍事的抑止力は存在し続けているという現実を無視した主張を展開、経済で世界が動く「国境無き世界」となり、そこでは「国家安全保障は神話」になると主張している。国境なき世界は政治面では実現しそうに無く、国家安全保障は神話どころか国家の根幹である。また、大前氏は尖閣諸島問題、日中中間線付近での石油資源掘削問題で、国家主権を無視し、日中融和のみを説いていた。(注37)

 

 

 

第29項 中川昭一・自由民主党代議士の主張

 

中川昭一氏は「日本の正義 アメリカの正義」(扶桑社、1996年)において、外務省主流派が今現在もなお「吉田ドクトリン」、経済至上主義、外交と安全保障のアメリカ依存、軍備には金をかけない、を最重視していることに否定的に疑問を呈し、不安を表明している。一方で、中川氏は「外交、安全保障に関して日米関係がいちばん大切」と表明しつつも、「日本あっての日米関係」、「飽くなき国家利益の追求こそが外交政策の基本でなければならない」と主張、憲法改正も視野に入れるべきと主張している。(注38)

                                                         

 第30項 政治部記者の安全保障観

 

雑誌「文芸春秋」1996年1月号では、「現役政治部記者107人が選んだ 21世紀のリーダーは誰か」(注39)では、鳩山由紀夫氏、船田元氏、谷垣貞一氏、加藤紘一氏が圧倒的上位に位置している。選出した現役政治部記者は、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、東京新聞、共同通信、時事通信の8社である。(注39)

鳩山氏は「駐留なき安保」と国際協力部隊そして盟友は「センター・レフト」の菅直人氏である。加藤氏は60年安保闘争で日米安全保障条約に反対するデモに積極的に参加した東京大学の左翼学生で、「日米中は正三角形の関係」を主張する、すなわち日米の中国への擦り寄り、谷垣氏は加藤氏の腹心である。船田氏は憲法改正による防衛力の強化を目指していると思われる。この結果は、日本のマス・メディアを反映したものともいえる。主流派は政治思想的にはリベラル左派思想、防衛には消極的、国際協力は積極的、すなわち国家意識、国家主権意識、民族意識・国民意識の低い政治家というものである。      

もう一方は、中道・保守穏健思想で、防衛に力をいれる、というものである。二つの流れがあるようである。日本には保守思想や右派思想を支持するジャーナリスト、マス・メディアは少なく、左に偏った状態であり、このような状態では国民がまともな判断を下すのは困難で、ジャーナリスト、マス・メディアの思想の押し付け、バランス感覚の無さと意識の低さは国家、国民に甚大な被害を与えている。このことは何時の日にか歴史的に総括されなければならないだろう。

 

第31項 大久保昭・国際法学者の主張

 

 大久保昭氏は1994年8月2日の読売新聞朝刊で、「戦後責任と日本外交」と題し、「国連の集団安保体制への積極的な参加とその強化こそ、憲法の精神にかなうものである。」、「戦後責任問題の解決は、被害者の償いであると同時に、今後日本が国際的な軍縮・人権政策を推し進め、他国に人権弾圧や軍備拡張政策を控えるよう働きかけるための道義的基盤をなすものである。」と主張している。理念先行すぎてまったく現実感が無い。(注40)

 

第32項 岡部達味・専修大学法学部教授、東京都立大学名誉教授の主張

 

 岡部達味氏は1997年8月27日の読売新聞朝刊で「協調的安全保障と日中外交」と題し、「中国を封じ込めてだれにも利益になることもなければ、それをする能力もない。冷戦的な観点を否定して新たな望ましい方向へ行く以外には、この地域の平和と安定はないのである。」と主張している。冷戦的な観点でもある中国の拡張主義がおざなりにされている。(注41)

 

第33項 田所昌幸・姫路独協大学法学部助教授の主張

 

 田所昌幸氏は1995年12月22日の読売新聞朝刊で「日米同盟 理念無き反発」と題し、「卑屈な対米従属と変わることなく、実は精神的従属そのものにほかならない。反発と甘えの入り混じった気持ちからアメリカに『NO』と叫ぶことが自立ではない。」と主張し、日米同盟に反発する論者に冷静な議論を求めている。(注42)

 

第34項 北岡伸一氏の主張

 

 北岡伸一・東京大学教授は2001年1月5日の読売新聞朝刊において、日本の今後を「『普通の国』化をさらに進めることだろう。安全保障政策についてみてみると、いかなる国も、自国の防衛を第一に、地域の安定を第二に、世界の安定を第三の課題とする。ところが日本では世界安定のためのPKOや、地域の安定のためのガイドラインができたものの、自国の防衛のための準備が意外に欠けている。」と主張している。(注43)

 

第35項 秋山昌廣氏の主張

 

 秋山昌廣(大蔵省主計官、東京税関長、防衛庁防衛局長、防衛庁事務次官)氏は読売新聞2000年2月24日朝刊で「安保、自立戦略持つ責任」と題し、「米は常に正しい判断すると言えない。特にアジアの特性といったものをどこまで理解しているのか。西洋流の白黒の方針をすぐ持ち込む可能性もある。日米安保の一翼たる日本はこの体制の半分の責任を持っている。米国とは異なる。自立したアジアの視点にたった安全保障戦略を確立して米国と実のある論議をしてこそ、日米安保はその機能を良く発揮すると考える」と、考えている。(注44)

 

第36項 富沢暉氏の主張

 

 元・陸上自衛隊陸上幕僚長の富沢暉氏は2001年9月19日の読売新聞朝刊において、「自衛隊が国内で武器を使用できるのは防衛出動と治安出動、それに弾薬庫警備にあたる場合だけだ。つまり、武器使用を伴って基地や駐屯地周辺を部隊警備にあたるという任務は、奇妙なことに認められていないのである。例えば防衛庁のある市ヶ谷駐屯地の警備は、施設管理権によって防衛庁会計課の責任で実施されている。」と、日本の奇妙な防衛政策・法体制に言及、また「軍事協力の本質はお互いの軍隊が流血の可能性というリスクを分担するところにある。」と、同盟の本質を突いている。そして、「現在の日本がなすべきことは一つしかない。それは『集団安全保障』(集団自衛権を含む)にかかわる武力行使を認めるよう憲法解釈を改める、と政府が内外に宣言し、直ちに国会で議論し、その了解を得ることである。」と、主張している。(注45)

 

第37項 松岡宇直氏の主張

 

 松岡宇直(防衛研究所客員研究員、元読売新聞記者)氏は、2001年11月15日の読売新聞朝刊において、「内閣法第6条の閣議にかけて決定した方針に基づいて、首相は初めて行政各部を指揮監督できることになっている。だが、これではテロに対処できない。機動的な指揮権が首相に与えられるべきだ」と、「首相権限強化不可欠」を主張している。(注46)

 

第38項 佐瀬昌盛氏の主張

 

 佐瀬昌盛・拓殖大学教授は2002年1月23日の読売新聞朝刊において、「相互確証破壊理論の再来はあり得ない。」、「この理論はソ連消滅で役割を終えた」、「MDの信頼性の高まりは、間違いなく攻撃用ミサイル兵器の価値下落に通じるからだ」と主張、「ミサイル防衛前提の時代」になる、としている。(注47)

 

第39項 猪口孝氏の主張

 

 猪口孝・東京大学教授は2002年4月18日の読売新聞朝刊において、「日本は国際紛争解決のための力の行使を専守防衛以外に自己抑制してきた。これは20世紀後半に、かつてない長い平和を日本にもたらす一つの大きな力だった。」、「日本外交は、人間の業とでもいうべき軍備を縮小し、軍備管理していくことを全面的に突出させなければならない。」、「いくつかの国がミサイル防衛で軍備競争を激化させる一方、安全保障を求めて多くの国家が核ミサイルを保有・拡大に走るというシナリオも懸念される。このシナリオを阻止する方向が日本の軍縮外交の基本でなければならないだろう。」と主張している。情勢判断が甘く、理想論である。(注48)

 

第40項 新井弘一氏の主張

 

 新井弘一・杏林大学教授(元外務省情報調査局長、元ソ連公使、元東ドイツ大使)は2002年9月12日の読売新聞朝刊で「戦略ある外交、再生の道は」と題し、「わが国では外交、国防の知識は政治家になる必要条件となっていない。官僚側が『政治主導』に甘んじて、プロ集団としての自覚と使命感を放棄し、時の政治家に迎合して自己防衛をはかるとしたら、双方共倒れとなり、日本には明日はないだろう。」、「外務省に求められるのは信頼の回復だが、そのためには高いモラルとともに機略豊かな外交戦略を磨き、国益にこたえなければならない。」、「政治も、また国民の意識も経済唯一主義につかった積年の惰性から脱皮し、外交に目を開かなければならない。」と主張している。(注49)

 

第41項 松村昌広氏の主張

 

 松村昌広・桃山学院大学教授は2003年4月2日の読売新聞朝刊において、「空爆能力保有、選択肢の一つ」と題し、「現時点で(MDを)配備を目指すにしても、技術、予算、運用の各面で課題が山積している。」、「MDは中国の核戦力に対して配備するのがいいのではないか。いま考えておかなければいけないのは北朝鮮にミサイルを撃たせない戦略である。そのために必要な軍事的選択肢は、対地攻撃能力の保有だろう。」と、当然の主張をしている。(注50)

 

第42項 栗山尚一氏の主張

 

 栗山尚一(元外務省事務次官)氏は、2003年5月29日の読売新聞朝刊において、「憲法9条と常識、両立探れ」と題し、「改憲論者ではない。しかし、政府の憲法解釈は、わが国が自らの安全を確保し、世界平和に貢献していく上で大きな障害になっている。」と主張している。(注51)

 

第43項 江畑謙介氏の主張

 

 江畑謙介(軍事評論家)氏は、2003年12月29日の読売新聞朝刊において、「自衛隊派遣は軍事常識で」と題し、「派遣の規模をある程度設定するのは必要だが、基本計画に示した数値を金貨玉条として、それを超えるのは絶対に許さないというような論議をするなら、状況によっては、派遣された自衛隊が極めて危険な状況に直面する可能性もある。」と主張している。(注52)

 

第44項 兵藤長雄氏の主張

 

 兵藤長雄・東京経済大学教授(元ベルギー大使)は、2000年7月18日の朝日新聞朝刊において、「NMDの実用化は中国を核兵器近代化計画の抜本的な見直しに追い詰め、核増強の口実を与えることにならないか。日本にとって、沈黙するにはあまりにも重大な問題である。少なくとも懸念の表明が必要でないか。」と述べている。(注53)

数十年前から中国派核兵器近代化、核戦力に力を入れておりNMDは関係が無い。

 

第45項 田中明彦氏の主張

 

 田中明夫・東京大学教授は2000年5月2日の朝日新聞朝刊において、「改憲し実質的な安保論議を」と題し、「私の改憲論はきわめて簡明なものである。つまり憲法第9条2項の削除のみ、である。全くの偽善的文章である。」と、主張している。また、2006年1月9日の読売新聞朝刊においては、「9・11小泉外交 近隣重視の『見逃し三振』」と題し、靖国神社問題などの変更で「近隣外交重視を打ち出していればよかった。」と主張している。(注54)

 近隣諸国である中国、韓国、北朝鮮は国家戦略として日本封じ込め戦略を取っているので近隣諸国に対する無駄な配慮はやめた方が賢明である。

 

第46項 小川伸一氏の主張

 

 小川伸一・防衛研究所研究員は2003年6月11日の朝日新聞朝刊において、「核不拡散『非保有国』の安全強化を」と主張している。(注55)

 できるものなら既にやっていることである。

 

第47項 川勝千可子氏の主張

 

 川勝千可子・防衛研究所研究員は2003年6月20日の朝日新聞朝刊において、「イラク戦争『攻撃優位時代』の危うさ」を主張している。(注56)

 攻撃優位はいつの時代も変わらず、それに対応するのが国家の勤めである。

 

第48項 小池百合子氏の主張

 

 小池百合子・自民党代議士は2003年7月18日の朝日新聞朝刊において、「自衛隊派遣 迷彩服脱ぎ、まず白衣で」と主張している。(注57)

 

第49項 山田宏弥氏の主張

 

 山田宏弥・日本航空機長組合渉外部長は2004年2月24日の朝日新聞朝刊において、「民間航空 軍事利用は認められない」、「陸海空港湾組合20が(軍事利用を)反対(している)」と主張している。(注58)

 労働組合が反対しても戦争は防げず、戦争が起こった以上は早期に終結させる必要があるので、数少ない自衛隊基地以外にも税金を投じて数多く作った民間空港を利用するのが当然である。

 

第50項 水島朝穂氏の主張

 

 水島朝穂・早稲田大学教授は2004年8月14日の朝日新聞朝刊において、「武器輸出見直し論 本音に屈せず禁輸継続を」と題し、「軍事に関する『本音の突出』を抑えてきたこの国の半世紀は、憲法9条に基づく厳格な平和主義の規制を緩和し続けた国である。」、「MD開発を円滑にするために3原則を見直し、米国に武器技術を移転してもいいものだろうか。そもそもMDは冷戦後の軍需産業に巨大な需要を生み出す『打ち出の小づち』なのである。」と主張している。(注59)

 

第51項 伊藤博氏の主張

 

 伊藤博・陸上自衛隊3等陸佐は2004年10月16日の朝日新聞朝刊において、「防衛大綱 陸自は増員でなく減員を」と題し、「重大危機でもないのに、『国際貢献』を名目にした増員は疑問だ。テロ対策にしても訓練に加えるか、対テロ専門部隊を設け、現有兵力で対処すべきだ。専守防衛という国是を考慮すれば減員こそが必要である。他国をみると、陸軍はカナダが二万人弱、ニュージーランドが5千人弱で国際貢献している。英国でも11万人強、イスラエルにしても13万人弱だ。陸自が有効な抑止力になるとは思えない。自衛隊の前身の警察予備隊が創設された時の定員7万5千人がいれば、兵器や装備も改善されているので国内警備も国際貢献も十分果たせるはずだ。防衛庁には予算を削減し英国病を克服したサッチャー元首相のような洞察力と勇断が求められている。」と主張している。

 同盟国に囲まれた安全な国と日本を同列に語る愚を犯している。イスラエルは敵国に囲まれているがわずか数百万の人口しかない、面積の極めて小さい国である。

 サッチャーは保守政治家で、夜警国家に戻そうとした。英国病とはリベラル政策による肥大化した一般公務員天国のことであり、軍事は関係ない。(注60)

 

第52項 畠山襄氏の主張

 

 畠山襄(通産省航空機武器課長、通産省貿易局長、通産省審議官、国際経済交流財団会長)氏は、2004年12月11日の朝日新聞朝刊において、「武器輸出 緩和はMD以外認めるな」と題し、「平和国家として高い志掲げ、武器輸出を禁止してきたのだ。国際的に平和国家日本の旗印を高く掲げ続けていくためにも、緩和はMD関連に絞り、他は拡大しないことが肝要だ。」と、主張している。(注61)

 

第53項 大林稔氏の主張

 

 大林稔・龍谷大学教授は、2006年2月8日の朝日新聞朝刊において、「ODA戦略『国益』で援助論じるな」と、主張している。(注62)

 税金でODAを実施する以上、国益を考えるのが国民の為である。

 

第54項 布施広氏の主張

 

 布施広・毎日新聞北米総局記者は2000年7月7日の毎日新聞朝刊において、「NMD配備 勇気もって決定延期を」と主張している。(注63)

 

第55項 前田博之氏の主張

 

 前田博之・毎日新聞社会部記者は2000年8月9日の毎日新聞朝刊において、「発足50年 岐路に立つ自衛隊」と題し、「米国の要請に流されつつあるのが実情」と主張している。(注64)

 

第56項 松本杏氏の主張

 

 松本杏・毎日新聞鳥取支局記者は2006年12月12日の毎日新聞朝刊において、「今、なぜ愛国心」と題し、「広がる『格差』から目をそらさせるため、『国と郷土』を愛するというソフトな言い回しで国民をまとめあげようとしているのでは。」と、主張している。(注65)

 

第57項 勝股秀通氏の主張

 

 勝股秀通・読売新聞記者は2004年11月18日の読売新聞朝刊において、「日本の防衛力『数』が先行する新大綱論議」と題し、「一方、消滅した脅威は、極東ロシア軍による北海道への本格的な上陸侵攻の可能性だろう。」とする一方で、「江陵事件」をはじめとした「新たな脅威であるテロやゲリラへの対応も、ものいうのは人の力だ。窮迫した国家財政から防衛費の削減も例外ではない。しかし、それは大幅な人員削減ではなく、時代遅れとなった90式戦車を小型の装輪タイプに転換するなど、装備の新規導入や見直しこそ知恵を絞るべきだろう。」と主張している。また、2009年12月12日の読売新聞朝刊では「普天間漂流 平和の均衡崩す恐れ」と題し、「中国は海空軍とミサイル戦力を中心に軍事力を増強、今年の国防費は2000年の4倍に達し、北朝鮮は核兵器とミサイル開発で地域の火種となっている。中国が領有権を主張する尖閣諸島もあり、沖縄は、地政学的にも戦略的にも枢要な場所であることが鮮明になっている。」とし、「本来なら、海兵隊の削減やグアム移転を論議するのに合わせ、沖縄への自衛隊の配備も検討しなければおかしい。沖縄に駐屯する陸自の兵力は2000人足らず、海自には満足な港湾もない。民航機と那覇空港を共用する空自は、約20機のF15が常駐するだけ。この現状を放置したまま沖縄海兵隊の主要部隊がグアムに下がれば、周辺国に力の空白というシグナルを送るだけだ」と、指摘している。(注66)

 

第58項 岡本行夫氏の主張

 

 岡本行夫・岡本アソシエイツ代表(元外務省北米第1課長)は2009年8月22日の読売新聞朝刊「09衆院選」において、「安保政策の選択の幅は非常に狭い。ありうるのは非武装中立、武装中立、同盟路線の三つだ。理論的には集団安全保障もあるが、現在の東アジアのように体制、軍事力、基本的価値観が異なる国家間では成り立ちえない。では三つの選択肢のうち、どれを取るのか。非武装中立は国民の数%しか支持していない。武装中立のためには自衛隊を飛躍的に増強させ、さらに核武装しないと、周りの国に対抗できない。となると同盟路線しかない。組む相手は、消去法で行くと、自由と民主主義という価値観を共有するアメリカしかない。」と主張している。(注67)

 

第59項 その他の主張

 

 1995年1月23日の朝日新聞「論壇」では、国広正雄氏が、「『軍事費』を地震対策費に回せ」と主張している。(注68)

1995年5月5日には香西茂・大阪学院大学、京都大学名誉教授(国際法)が自衛隊を平和支援隊として活用し(注69)、モデルは北欧の国連待機軍としている。5月7日には、樋口陽一・上智大学法学部教授(憲法)と、佐藤功・元当会大学教授法学部長(憲法)が憲法9条支持を表明している。(注70)

 1997年7月29日の朝日新聞「論壇」では、庄野直美・広島女学院大学名誉教授が、「北東アジア非核化条約を実現せよ」と主張(注71)、1997年12月30日の朝日新聞「論壇」では飯田進・神奈川県児童医療福祉財団理事長が「防衛庁昇格問題の先にあるもの」と題し、「必然的に憲法9条の改正問題に連動することになるだろう。そう遠くない将来、徴兵制復活が唱えられる日がくるかもしれない。」と訴えている。(注72)

 1999年3月5日には朝日新聞「論壇」では湯浅一郎ピース・リンク広島・呉・岩国代表が「防衛は国の専管か」と疑義を呈している。(注73)1999年3月3日には梶本修司・原水爆禁止兵庫県評議会事務局長は、国が「非核神戸方式攻撃」していると訴えている。(注71)1999年3月18には成蹊大学教授(政治哲学)が「9条に立って戦後を永遠に戦後にしようとする名誉ある努力を続けるか、それとも新ガイドラインに沿って新しい戦前に踏み出すのか歴史的岐路に立っている」と、政府を非難している。(注74)

 1999年8月19日の毎日新聞「記者の目」において、「『非核3原則』への疑念」と題し、増尾辰夫(毎日新聞編集制作総センター)は、「政府がこれまでのウソを認めたうえで、非核2,5原則を前提に現実の国際情勢に即した論議をすすめるよう」と、核の領海通過を認める「非核2,5原則」を主張している。(注75)

 1999年3月10日の毎日新聞「記者の目」において、鵜塚健(高知支局)は「自治体の非核港湾条例」と題し、「『核がないことを説明してほしいだけ』という当たり前の主張が、なぜ外交問題となり制約を受けなければならないのか」と、小学生のような発想を商業製品に載せている。(注76)

 1998年12月8日の毎日新聞「記者の目」において、綿貫洋(長崎支局)は「国連軍縮会議長崎会議『核廃絶の意思』連携を」と題し、「日本は新アジェンダ連合など核保有国と対抗する国々と連携して、全体的な核軍縮、そして核廃絶を模索すべき時期にきているのでは」と述べている。国際社会の現実を考えない時期尚早の意見である。(注76)

 1996年4月11日の毎日新聞「記者の目」において、下薗和仁記者は、「『象のオリ』しなやかな沖縄の抵抗」と題し、「セコンドの弁護団とリングに上がった知花昌一さんの闘いは、『無抵抗、不服従、非協力主義』のガンジーにも似ている。」と述べている。知花氏は国内左翼テロリズム集団・中核派の活動家で、弁護団の弁護士も中核派の活動家である。さらに知花氏は、内ゲバとは無関係な一般大学生が撲殺された琉球大学学生殺人事件において殺人教唆・凶器集合準備罪で逮捕され、服役している。このような人物をガンジーと同列に扱う毎日新聞の調査力の低さは日本国民に重大な影響を与えた。(注77)

 1997年4月28日の毎日新聞「争点論点」において自民党元首相で、日米欧三極委員会日本代表の宮沢喜一氏は「憲法改正は得策ではない」と述べている。(注78)

 

注1  読売新聞朝刊 1997年4月15日

注2  東京新聞朝刊 1994年4月10日

注3  鴨武彦「大国主義路線を廃し、民生国家をめざせ」

    朝日新聞社『Ronza』1995年4月号 P16

注4  山口二郎 田中直穀 若宮啓文「脆弱な日本外交と『国際貢献』と言う名の魔性」

    朝日新聞社『Ronza』1995年4月号 P38

注5  同上P38

注6  柴山哲也「新エネルギー開発こそ尖閣諸島鎮静化への道」

    朝日新聞社『Ronza』1996年12月号 P33

注7  同上P38

注8  細川護熙 「ARE U.S.TROOPS IN JAPAN NEEDED? 米軍の日本駐留は本当に必要か?」

    『FOREIGN AFFAIRS』3/4月号

    朝日新聞社『論座』1998年8月号

注9  産経新聞朝刊 1995年4月30日

注10 堤清二 橋本晃和 マイク・モチヅキ 「沖縄の非軍事化を提唱する」

    岩波書店『世界』1996年4月号 P105

注11 同上P108

注12 五十嵐武士「日本はどのように生きるのか 『平和国家パートⅡ』」

    岩波書店『世界』1994年6月号

注13 五十嵐武士「地球的平和国家への挑戦『文明の衝突』史観を超えて」

    朝日新聞社『Ronza』1995年12月6月号

注14 同上P16

注15 同上P16 

注16 産経新聞朝刊 1995年4月15日

注17 読売新聞朝刊 1995年12月8日

注18 鳩山由紀夫「私の政権構想」文芸春秋『文芸春秋』1996年11月号

注19 菅直人「憲法は覚悟なくして変えられない」

文芸春秋『文芸春秋』1999年6月号

注20 朝日新聞朝刊 1993年12月21日

注21 朝日新聞朝刊 1995年1月27日

注22 朝日新聞朝刊 1997年4月4日

注23 朝日新聞朝刊 1999年5月3日

注24 朝日新聞朝刊 1999年7月27日 

注25 朝日新聞朝刊 1999年9月11日

注26 朝日新聞朝刊 1999年12月2日

注27 志方俊之『極東有事』クレスト社

注28 岡崎久彦『国家は誰が守るのか』クレスト社

    読売新聞月曜日朝刊「地球を読む」

1994年1月20日、2月19日、4月4日、7月4日、9月19日、

11月17日、12月13日

    1995年2月12日、8月29日、11月12日

    1996年2月19日、5月20日、8月19日

    1997年3月3日、7月6日

    1998年3月15日、11月23日

注29 読売新聞朝刊 1994年1月20日

注30 読売新聞朝刊 1993年10月5日

注31 読売新聞朝刊 1994年8月16日

注32 読売新聞朝刊 1996年4月3日

注33 田久保忠衛『新しい日米同盟』PHP研究所

注34 小和田恒 平山郁夫  プレジデント社『プレジデント』1993年6月号

注35 田久保忠衛氏の資料

注36 田久保忠衛氏の資料

注37 テレビ東京「がらがらニッポン」

注38 三根生久大 中川昭一『日本の正義 アメリカの正義』扶桑社

注39 「現役政治記者107人が選んだ 21世紀のリーダーは誰か」

    文芸春秋『文芸春秋』1996年1月号

注40 読売新聞朝刊 1994年8月2日

注41 読売新聞朝刊 1997年8月27日

注42 読売新聞朝刊 1995年12月22日

注43 読売新聞朝刊 2001年1月5日

注44 読売新聞朝刊 2000年2月24日

注45 読売新聞朝刊 2001年9月18日

注46 読売新聞朝刊 2001年11月15日

注47 読売新聞朝刊 2001年1月23日

注48 読売新聞朝刊 2002年4月18日

注49 読売新聞朝刊 2002年9月12日

注50 読売新聞朝刊 2003年4月2日

注51 読売新聞朝刊 2003年5月29日

注52 読売新聞朝刊 2003年12月29日

注53 朝日新聞朝刊 2000年7月18日

注54 朝日新聞朝刊 2000年5月2日

注55 朝日新聞朝刊 2003年6月11日

注56 朝日新聞朝刊 2003年6月20日

注57 朝日新聞朝刊 2003年7月18日

注58 朝日新聞朝刊 2004年2月24日

注59 朝日新聞朝刊 2004年8月14日

注60 朝日新聞朝刊 2004年10月16日

注61 朝日新聞朝刊 2004年12月11日

注62 朝日新聞朝刊 2006年2月8日

注63 毎日新聞朝刊 2000年7月7日

注64 毎日新聞朝刊 2000年8月9日

注65 毎日新聞朝刊 2006年12月12日

注66 読売新聞朝刊 2004年11月18日

注67 読売新聞朝刊 2009年2月28日

注68 朝日新聞朝刊 1995年1月23日

注69 朝日新聞朝刊 1995年5月5日

注70 朝日新聞朝刊 1995年5月7日

注71 朝日新聞朝刊 1997年7月29日

注72 朝日新聞朝刊 1997年12月30日

注73 朝日新聞朝刊 1999年3月5日

注74 朝日新聞朝刊 1999年3月18日

注75 毎日新聞朝刊 1999年8月19日

注76 毎日新聞朝刊 1998年12月8日

注77 毎日新聞朝刊 1996年4月11日

注78 毎日新聞朝刊 1997年4月28日

 

 

世論への影響

 

 内閣府大臣官房政府広報室による自衛隊・防衛問題に関する世論調査では、自衛隊の防衛力について、平成5年度(1993年)では、「増強したほうがよい」が6,3%、「今の程度でよい」が66,2%、「縮小したほうがよい」が15,3%、「わからない」が12,1%となっている。大半が現状維持を望んでいるということになる。平成8年(1996年)では、「増強したほうがよい」が7,5%、「今の程度でよい」が64,3%、「縮小したほうがよい」が15,5%、「わからない」が12,8%である。この調査からわかるのは、この時期の世論は自衛隊の防衛力に関心が薄いということである。

 平成11年(1999年)の調査では、「増強したほうがよい」が13,5%、「今のままでよい」が66,1%、「縮小したほうがよい」が8,7%、「わからない」が11,6%となっている。北朝鮮情勢が影響して、「増強」が増加し、「縮小」が減少しているが、大半は関心がないようである。

 防衛費の規模については、平成5年度では「増額したほうがよい」が6,2%、「今の程度でよい」が58,5%、「減額したほうがよい」19,7%、「わからない」が15,6%となっている。平成8年度では「増額したほうがよい」が7,4%、「今の程度でよい」が56,0%、「減額したほうがよい」が21,9%、「わからない」が14,7%となっている。それほどの変化はないが、「増額したほうがよい」と、「減額したほうがよい」の二極分化のはじまりが垣間見える。平成11年度では、「増額したほうがよい」10,7%、「今の程度でよい」が61,7%、「減額したほうがよい」が13,9%、「わからない」が13,7%となっている。やはり、北朝鮮情勢が影響してか、「増額したほうがよい」が増加し、「減額したほうがよい」が減少している。しかし、「今の程度でよい」が61,7%とは、無関心が強いことを痛感させられる。

 世論は一部の関心の強い層と、大半の無関心層に分化され、新聞、オピニオンは、関心のある人間にしか作用していないことがあるといえる。