日本赤軍 2

PFLPとJRAは1972年5月30日、イスラエル・テルアビブのロッド空港(現ベングリオン空港)で奥平剛史、安田安之、岡本公三の3人が銃を乱射、プエルトリコ人を中心に24人を殺害、70人以上を負傷させた。

1973年7月20日には、パリ発東京行きボーイング747機を日本赤軍・丸岡修とPFLPが共闘でハイジャック、リビアのべンガジ空港で機体を爆破した。

1974年1月には和光晴生とPFLPがシェル石油精製所爆破と在クウェート日本大使館占拠のダブルテロ敢行した。

1974年9月には奥平純三、西川純、和光晴生がオランダ・ハーグのフランス大使館を占拠した。

1975年8月にはマレーシア・クアラルンプールのアメリカ大使館を占拠、日本政府の超法規的措置で収監中のテロリストが野に放たれた。


社会主義路線のPFLPはソ連・KGBの指揮の下、ソ連・KGBに忠実に動いていた。
ソ連、パレスチナ・ゲリラ、日本赤軍をはじめとした左翼テロリストが結託した強固なトライアングルは世界を恐怖とテロで震撼させた。