負け組のアメリカ進出2

スバル富士重工業といすゞ自動車という資金力、販売力が無い自動車会社が合弁で設立したアメリカ現地生産会社SIAスバルいすゞオートモーティブ。

 

いすゞ自動車の株式の25%を保有するGMゼネラルモーターズの要請で乗用車の開発製造から撤退することになった。

 

いすゞ自動車はSUVの開発製造は継続したが、それも撤退することになりトラック専業メーカーになった。

 

いすゞ自動車はSIAスバルいすゞオートモーティブからも手を引くことになった。

 

スバル富士重工業はSIAを単独事業として継続することにした。

 

SIAはスバル・インディアナ・オートモーティブと改称した。

 

そのころから徐々にアメリカでスバルが売れ始めた。

 

しかし、SIAの生産能力はスバルだけの生産では利益が少なかった。

 

アメリカの国民車となったトヨタ・カムリは旺盛な需要に生産が追い付けていなかった。

 

SIAは、トヨタ自動車からトヨタ・カムリの生産を請け負うことになった。

 

SIAは、スバル・レガシィ、スバル・インプレッサ、トヨタ・カムリを生産し採算がとれるようになった。

 

そしてアメリカでスバルが大ヒットし始めた。

 

SIAは、スバルだけの生産で儲かるようになった。