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松田優作が生きていたら1

松田優作が死んで今年で30年になる。

 

パラマウント映画「ブラック・レイン」でハリウッド超大作にいい役で出演できた松田優作。

 

「ブラック・レイン」の公開直後に死んだ松田優作。

 

日本では「世界的大スターになれた」という声が多い。

 

しかし、その可能性は高くないように思える。

 

松田優作は77年に角川映画で東映の佐藤純也が監督した「人間の証明」に出演した後、

 

「大作とかは合わない。」

 

と答えている。

 

にっかつ撮影所で日活スタッフが撮影した東映セントラルフィルムのアクション映画についても

 

「アクションは卒業」

 

と言っていた。

 

85年のインタビューでは

 

「大都会と西部警察が日本映画を駄目にした。」

 

とアクション映画ドラマを嫌い、ヒューマニズムを強く訴えっている。

 

しかし松田優作は

 

「変わらない奴はバカだ。」

 

と言い、変節・転向を認めている。

 

大作にも出演していき、アクション映画も復活した。

 

松田優作は頻繁に考えが変わるところがある。

 

ハリウッド超大作の「ブラック・レイン」の作り方をべた褒めし、ハリウッド超大作を非常に評価していた松田優作だが、また飽きて違う方向に行っていた可能性が高い。

 

90年代以降はハリウッド超大作もマーケティング重視で内容が薄い映画が増えてきていたので、松田優作の不満が高まっていってような気がする。

 

「ブラック・レイン」は89年の映画でもっとも予算が多い作品で、パラマウントピクチャーズが社運をかけて作った映画だったのでなに不自由なく撮影できたが、

ハリウッドの映画にも予算や撮影条件に制約があるものの方が多い。