V8エンジンを採用せず、アメリカで人気が出なかった三菱パジェロ(北米では三菱モンテロ)。
アメリカでは三菱ブランド車の商品力・販売力も弱かった。
1960年代後半、外資参入規制解除を視野に入れた三菱重工業は
クライスラーと提携し、クライスラーに三菱自動車工業の株式の25%の保有をさせた。
クライスラーは三菱車をクライスラーの販売チャネルブランド、ダッジ、プリマスにおいてダッジ車、プリマス車として販売することにした。
三菱自動車工業は自社製品を販売網の構築をすることなくアメリカに輸出・販売することに成功したが、
反面、三菱ブランドの浸透はできなくなった。
その後、クライスラーの経営悪化によりクライスラーに頼れなくなった三菱自動車工業はアメリカ進出を本格化させるが遅かった。
販売網は構築できていなかったが三菱自動車工業はアメリカで現地生産を開始した。
三菱自動車工業はクライスラーと合弁で製造会社ダイヤモンド・スター・モーターズを設立した。
ダイヤモンド・スター・モーターズで製造された車は三菱ブランド、ダッジ・ブランド、プリマス・ブランド、イーグル・ブランドで売り出された。
三菱自動車工業はアメリカで販売力が無く、クライスラーは経営悪化で販売力が落ちていた。
弱者連合は弱かった。
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