日本で初めて分譲住宅を発売したのは阪神電気鉄道である。
しかし日本で分譲住宅を普及させたのは日本で2番目の分譲住宅と住宅地ディヴェロッパーとなった阪急電鉄(箕面有馬電気軌道から阪神急行電鉄、京阪神急行電鉄を経て1973年に阪急電鉄となる)である。
阪神電気鉄道は目の付け所が良かったがビッグビジネスにつなげられなかった。
阪急電鉄は分譲住宅だけでなくローンを同時に提案したので成功した。
明治末期に創立した阪急電鉄は昭和初期にすでにビジネスモデルを確立した超一流企業となった。
東京財界は阪急電鉄と小林一三に、
東京においても分譲住宅と住宅地開発を普及させることを要請した。
小林一三は資本金の11%を出資し東京急行電鉄の創立、経営に協力した。
小林一三は同郷で子飼いの五島慶太を東京急行電鉄社長に就け、阪急電鉄の経営ノウハウを提供した。
しかし小林一三は第2次大戦後、アメリカGHQに執拗に糾弾される。
自由経済主義者で民主主義の恩恵を享受し同時に普及させ発展させた小林一三を糾弾したアメリカGHQの思惑。
自由と民主主義には豊かで余裕のある暮らし、夢のある人生、生活が必要である。自由経済と民主主義が重要である。
アメリカGHQは自由経済と民主主義の庇護者ではなかったのは明白である。
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