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中国の軍拡と攻撃的外交でも防衛力を削減した政権2

1993年に細川護熙政権が発足した。 

  

  

  

中国は1989年から国防費を急増させ、1993年にはロシアからスホーイSuー27戦闘機、ソブレメンヌイ級駆逐艦、キロ級潜水艦の導入を開始し、量だけではなく質の大幅向上していった。 

  

1992年には領海法を制定し尖閣諸島、南沙諸島などの武力奪取を宣言した。 

  

北朝鮮も核開発を進め、弾道ミサイルの配備を進める。 

  

  

細川護熙首相は平成6年度(1994年)予算の一般歳出を前年度比伸び率2,3%増加としたが、防衛費の伸び率は、緊迫する東アジア情勢、日本に向けてのあからさまな軍事的示威活動の存在にもかかわらず0,855%増加におさえ、軍縮傾向政策を鮮明にした。 

  

細川護熙首相は「これからは軍事という時代ではない。」と言っていた。 

  

 

 

細川護熙首相は防衛力削減を指示する。

 

それによって1995年に防衛力が削減された防衛計画の大綱ができた。

 

 

1976年にできた防衛計画の大綱は

 

ベトナム戦争終結でアメリカ軍削減縮小

 

アメリカ、ソ連がデタントで平和的雰囲気

 

を受けて平和で安定期になると想定しての防衛力を目指したものであった。

 

 

1976年の防衛計画の大綱は

 

平和時でも必要な最低限の防衛力

 

を定めたものであった。

 

 

それによって、1979年からの冷戦激化により世界が大軍拡に進み国際情勢が悪化しても

 

日本の防衛力は増強されることはなかった。

 

インフレにともなう防衛費の増加、旧世代兵器の更新がおこなわれただけであった。

 

 

しかし細川護熙首相は1976年の防衛計画の大綱での防衛力からの大幅削減を指示した。

 

平和で安定な時でも必要な最低限の防衛力ですらも削減することにした。

 

冷戦激化で防衛力が増強されることはなかったのに

 

冷戦終了だからと防衛力は削減された。