中国の軍拡と攻撃的外交でも防衛力を削減した政権6

小泉純一郎内閣総理大臣は、郵政民営化をはじめ各種の「構造改革」に乗り出した。

 

そのひとつに防衛も含まることとなった。

 

中国は1989年から国防費を急増させ、1993年にはロシアからスホーイSuー27戦闘機、ソブレメンヌイ級駆逐艦、キロ級潜水艦の導入を開始し、量だけではなく質の大幅向上していった。  
   
1992年には領海法を制定し尖閣諸島、南沙諸島などの武力奪取を宣言した。  
   
北朝鮮も核開発を進め、弾道ミサイルの配備を進める。  

 

韓国の日本に対する軍事的挑戦が強まり、経済が復調したロシアは極東での権益を増すため軍事力を強化していた。

 

日本の防衛力増強は必至であった。しかし小泉政権は大幅な軍縮を目指した。

 

 

 

 

 

 

小泉内閣総理大臣は2004年12月1日の参議院予算員会で、

 

「防衛予算も聖域はない。前年度以下に抑制するように、増やすべきは増やしていいが、それに見合った削減も考えてくれと言っている。」

 

と発言した。(注2)

 

 

 

細田内閣官房長官は2004年12月8日に、東京・赤坂全日空ホテルで与党安全保障に関するプロジェクトチームの額賀福志郎氏に対して、

 

「定数は抑制的にしてほしい。私の感触として小泉首相はそうだ。」

 

と述べ、

 

小泉内閣総理大臣と細田内閣官房長官は高まる脅威の中、軍縮を指示した。(注3)

 

結局、防衛大綱では財務省、防衛庁が譲歩を示し、折衷案的なものに仕上がった。

 

 

 

陸上自衛隊

 

編成定数15万5000人、うち常備自衛官定員14万8000人、即応予備自衛官定員数7000人、中期防完成時編成定数16万1000人程度、うち常備自衛官定員数15万2000人程度、即応予備自衛官定員数8000人程度とした。

 

戦車は約600両、中期防完成時790両とされた。

 

主要特科装備は約600門/両、中期防完成時には約830門/両とされた。

 

 

 

海上自衛隊護衛艦部隊(機動運用)は4個護衛艦群(8個隊)とされ、護衛艦部隊(地域配備)は5個隊、中期防完成時に6個隊とされた。

 

 

 

 

航空自衛隊の作戦用航空機は約350機、うち戦闘機は約260機とされた。

 

面積が日本の1割、人口わずか1700万人のオランダ冷戦期より少ない数である。