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自衛隊の人員を削減するだけだった日本

1993年の細川護熙政権・細川護熙首相は政治改革を目玉にし、行政改革にも意欲を見せた。

 

細川護熙首相は防衛政策も変えると言い出した。

 

92年に中国が領海法を制定し尖閣諸島、南沙諸島の武力奪取を宣言し、

 

93年から中国はロシア製の戦闘機、駆逐艦、潜水艦を増備して大軍拡を実行していた。

 

また92年には北朝鮮がノドン弾道ミサイルの試射を成功させ、IAEAが北朝鮮核施設への特別査察を行おうとしていた。

 

こうした情勢にもかかわらず細川護熙首相は

 

「これからは軍事という時代ではない。」

 

と常々話していた。

 

細川護熙首相は94年の予算伸び率を2,3%増加させたにも関わらず、防衛費は0,855%増に抑え、軍縮を目指した。

 

細川護熙首相は防衛政策懇談会の事実上の中心メンバーに

 

防衛庁の省昇格に反対し、反軍・軍縮・平和外交を主張する猪口邦子・上智大学教授を据えた。

 

北関東を担当する陸上自衛隊第12師団は旅団に降格され、人員は半減以下に削減、戦車大隊は廃止された。

 

細川護熙政権では

 

陸上自衛隊第12師団を旅団化し人員を大幅に削減し、戦車大隊を廃止しても、

第12師団を引き継ぐ第12旅団はヘリコプターを大幅に増備する空中機動旅団にするので

戦力は変わらないと主張した。

 

細川護熙政権は崩壊する。

 

その後の政権では細川護熙政権ほど防衛放棄はしなかったものの連立政権の綱渡り政権維持のため防衛政策は混乱し、大蔵省/財務省が力を持った。

 

その後の政権はもめないように防衛費・防衛力は現状維持、プラスマイナスゼロ志向となったが、力を持った大蔵省/財務省は防衛費削減に力を入れた。

 

第12旅団へのヘリコプター増備は当初計画に比べ大幅に減らされ、第12旅団の空中機動旅団化は断念された。

 

ヘリコプター増備の空中機動旅団化により人員削減・戦車大隊廃止でも戦力は変わらないと言っていたが、

ヘリコプター増備ができなかったのに人員削減と戦車大隊廃止は実行されたので戦力大幅削減となった。

 

これは第12師団の第12旅団への降格だけにとどまらず

 

他の部隊でも「質的向上により人員削減しても戦力は維持される」とされていたが

 

質的向上に必要な新装備導入、装備更新はあまり実現されず人員削減だけは実行された。

 

その結果、日本の防衛力は相対的に落ちていった。

 

東アジア情勢の緊迫化でも人員は削減され、新装備・装備更新は限定的にされた日本の防衛。

 

最近になって防衛費は少し増えてきたが、90年代の防衛政策混乱・防衛力削減と小泉純一郎政権の防衛費削減・防衛力削減によるダメージは現在も続いている。

 

1993年から20年にわたって防衛政策をおざなりにした日本。

 

東アジア諸国は20年間で大幅に軍拡となった。