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衝撃から30年「若人あきら失踪事件」深まる謎、深い闇

平成3年(1991年)3月、タレント若人あきらが失踪した。

 

熱海の海岸で釣りをしているときに行方不明となり、3日後、小田原で発見された。

 

 

 

記憶が無い若人あきら。

 

失踪のことを話せない。

 

しかし、身柄を拘束された、ガムテープで目隠しされた、とも証言する。

 

世間から忘れ去られたタレントだったので、注目を集めるための狂言ではないか?と疑念の目を向けられた。

 

若年層は若人あきらを知らず、失踪事件で若人あきらを知ったという人が多かった。

 

若人あきらは一時的な記憶喪失とされたがところどころ記憶があり、記憶喪失を疑う医師もいる。

 

 

 

 

騒動が去り若人あきらで騒ぐ人が少なくなった。

 

そのころ祝日の昼に関西テレビでモノマネ特番が放送された。

 

「コロッケ軍団vs若人あきら率いるモノマネ軍団」

 

だった。

 

コロッケは親しいモノマネ芸人を引き連れていたが、

 

若人あきら率いるモノマネ軍団は急造の寄せ集めだった。

 

若人あきらの話題性だけで若人あきらが使われた。

 

浮いている若人あきら。

 

真面目そうで狂言したとは思えない若人あきら。

 

 

 

 

若人あきらは我修院達也に改名、歌唱指導家となりひっそりと生きていた。

 

そして、まさかの個性派俳優としての再ブレイク。

 

毀誉褒貶、浮き沈みの激しい人生である。

 

 

 

 

若人あきらの失踪は北朝鮮による拉致ではないかという説が警察関係者から出された。

 

当時、北朝鮮はまだ日本人を拉致していた。

 

北朝鮮は人の少ない海岸の沖に工作船を停泊させ、ボートや水中スクーターで日本に侵入し、工作員の投入、武器や覚醒剤の密輸、日本人拉致を展開していた。

 

北朝鮮から短波放送があると警察庁警備局は都道府県警警備部公安課を日本各地の海岸に派遣し警戒していた。

 

 

我修院達也に改名してからの若人あきらは北朝鮮による拉致説について

 

「そんなことあるわけないじゃないですか。」

 

と言っている。

 

記憶喪失で記憶がないというのに北朝鮮による拉致説は頑なに否定する若人あきら。