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左翼を怖がった大阪市 左翼が国家安全保障の足を引っ張った時代

1994年、北朝鮮が国際原子力機関IAEAの特別査察を拒否したことによりアメリカと北朝鮮の軍事的衝突、極東有事が一気に近づいた。

 

1995年、20年ぶりに大阪港にアメリカ海軍艦船が入港することになった。

 

地ならしなので小型のオリヴァー・ハザード・ペリー級フリゲート(満載排水量4100トン)が選定された。

 

案の定、左翼が反対した。

 

大阪市は左翼に批判されることを恐れて歓迎式典をおこなわなかった。

 

警察庁からの要請で大阪府警警備部が機動隊を大阪港に展開させ厳重に警備した。

 

緊迫した雰囲気の中でオリヴァー・ハザード・ペリー級フリゲートが大阪港に入港した。

 

機動隊が厳重に警備したが左翼過激派のテロは発生せず、左翼平和団体の反対デモも小規模だった。

 

大阪市は拍子抜けした。

 

1997年、前回より大型のアーレイ・バーク級駆逐艦DDG-54「カーティス・ウィルバー」が大阪港に入港した。

 

大阪府警機動隊が厳重に警備はしたが前回と打って変わって緊張感はなく、友好親善ムードの漂うのんびりとしたアメリカ海軍艦艇入港となった。

 

それ以降、アメリカ海軍艦艇は普通に大阪港に入港できるようになった。

 

左翼を怖がり過ぎた大阪市だったが、1960年代後半から1980年代までの左翼過激派の脅威、政界学界労働組合マスコミを牛耳る左翼の猛威に苦しめられた地方公共団体が怖がり過ぎるのはやむを得なかった。