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落語家と歌手が不仲2 東京では通用しない芸人に月亭方正も号泣

歌手やしきたかじんは

 

コンサートではトークコーナーが一番評判で長時間トークコーナーを設け

 

大阪ローカルの番組では司会で有能さを見せつけ、トークも独壇場だった。

 

 

やしきたかじんは

 

「俺は芸人・・・」

 

「俺は芸人やから・・・」

 

と言い始めた。

 

 

月亭方正の師匠・月亭八方はやしきたかじんに

 

「あんた芸人ちゃうで。芸人やったら板の上に立たな。」

 

と言った。

 

 

月亭方正の師匠・月亭八方の言葉に腹を立てたやしきたかじん。

 

 

 

やしきたかじんは松竹芸能の寄席である角座でラジオをやったりして板の上に立っているということを示し始めた。

 

 

しかし月亭方正の師匠・月亭八方は

 

「そんなん板の上に立ったことにならんわ。」

 

と言う。

 

 

 

やしきたかじんと月亭八方の不仲が決定的になった。

 

 

それ以来、やしきたかじんと月亭八方が話をすることはなかった。

 

 

 

その後、やしきたかじんは死ぬ。

 

 

やしきたかじんと月亭八方は和解することなく関係を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

月亭八方は1984年ごろ、東京に進出した。

 

タモリ司会のフジテレビ人気バラエティ「森田一義アワー笑っていいとも!」に出演した月亭八方。

 

タモリ司会のフジテレビ人気バラエティ「森田一義アワー笑っていいとも!」に

 

「八方ちゃんとなじもう!」

 

という月亭八方のためのコーナーが作られた。

 

 

 

しかし東京ではさっぱりの月亭八方。

 

東京では受けない月亭八方。

 

 

 

東京では

 

月亭八方の嘘か本当かわからない芸人ネタ噺は

 

「嘘ついてんじゃねえよ!」

 

と怒られてしまう。

 

 

 

東京では

 

月亭八方の隼ジュンなどマイナー芸人のおもしろネタ噺は

 

「隼ジュンって誰だよ!知らねえ奴の話するんじゃねえよ!」

 

と怒られる。

 

 

 

人志松本すべらない話やケンドーコバヤシが評価される現在。

 

1984年に月亭八方は早すぎた。

 

 

 

完全敗北の月亭八方。

 

自信をなくす月亭八方。

 

東京が怖くなった月亭八方。

 

大阪に引きこもるようになる月亭八方。

 

大阪の内弁慶芸人になった月亭八方。