コリン・パウエル死去 移民の子から黒人初の偉業

ロナルド・レーガン大統領政権で国家安全保障担当大統領補佐官、

 

ジョージ・H・W・大統領政権時に統合参謀本部議長、

 

ジョージ・W・ブッシュ大統領政権で国務長官、

 

だった

 

コリン・パウエルが死んだ。

 

新型コロナウィルスの合併症が死因だった。

 

ジャマイカ系移民の子供で、ニューヨーク市立大学に入学、予備士官訓練課程ROTCから陸軍士官となった。

 

経営学修士か、他の学問なら博士でないとアメリカ軍の将軍にはなれないが、コリン・パウエルは経営学修士である。

 

ベトナム戦争に従軍、重傷を負っている。

 

ビル・クリントン大統領政権では中国を戦略的パートナーシップとして極めて親中、媚中だったが、

 

コリン・パウエルはジョージ・W・ブッシュ大統領政権で国務長官となり

 

盟友のリチャード・アーミテージ国務副長官と共に

 

戦略的競争相手として中国を警戒、中国を抑え込む姿勢を示した。

 

 

この段階ではコンドリーザ・ライス国家安全保障担当大統領補佐官、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官も中国に厳しい姿勢を見せ、コリン・パウエル、リチャード・アーミテージの盟友だった。

 

 

2003年、エリック・ケン・シンセキ陸軍参謀総長はイラク戦争でイラク平定には地上兵力だけで35万人が必要という見解を議会で述べ、イラク戦争に否定的な態度をとった。

 

ドナルド・ラムズフェルド国防長官とポール・ウォルフォウィッツ国防副長官は地上兵力10万人でイラク平定可能とイラク戦争を主張した。

 

コンドリーザ・ライス国家安全保障担当大統領補佐官もドナルド・ラムズフェルド国防長官とポール・ウォルフォウィッツ国防副長官を賛同した。

 

軍事科学は軽視された。

 

エリック・ケン・シンセキ陸軍参謀総長を支持したトーマス・ホワイト陸軍長官は解任され、エリック・ケン・シンセキ陸軍参謀総長の退役式典にドナルド・ラムズフェルド国防長官とポール・ウォルフォウィッツ国防副長官は参加しなかった。

 

コリン・パウエル国務長官とリチャード・アーミテージ国務副長官も元軍人としてエリック・ケン・シンセキ陸軍参謀総長の見解を理解し、支持した。

 

 

 

コリン・パウエル国務長官、リチャード・アーミテージ国務副長官とコンドリーザ・ライス国家安全保障担当大統領補佐官、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官は対立、不仲となった。

 

リチャード・アーミテージはコンドリーザ・ライス、ポール・ウォルフォウィッツを「かつては友人だった。今は全く違う。」と述べている。

 

 

 

コリン・パウエルが国務長官を辞任後、コンドリーザ・ライス国家安全保障担当大統領補佐官が国務長官に就任した。

 

コンドリーザ・ライス国務長官は極めて親中の外交を展開し中国のやりたい放題に何も言わず、さらに北朝鮮にも譲歩しまくり、北朝鮮をテロ支援国家から解除するまでになった。

 

イラクとアフガニスタンが大事なので中国と北朝鮮はしばらく許すという事になった。

 

 

 

イラク戦争ではアメリカ軍の戦死者が4500人となり、さらにイラクを平定できず、防弾装備不足を訴える兵士に対し「軍人は与えられたものでなんとかしろ」と言ったため軍人、退役軍人とその家族の反感を買ったドナルド・ラムズフェルド国防長官は政権の足を引っ張る存在として疎まれるようになり、解任と言われることもなく、契約更新しないという形で無視されるように放置され、自ら出ていくように仕向けられた。

 

後任のロバート・ゲイツ国防長官は、20世紀最強のF-15イーグル戦闘機を相手にDACT(異機種間戦闘訓練)で144連勝し、対中国の戦闘で制空・防空に必要となるF-22ラプター戦闘機を「イラクやアフガニスタンで役に立たない」と言い、わずか187機で調達を打ち切った。

 

さらにイラクやアフガニスタンのゲリラのような雑魚にしか使えないMQ-1プレデター、RQー9リーパー、MRAP、MATVに予算を使い過ぎて、大国相手の正規戦に必要な兵器の予算を大幅削減したアメリカ。

 

軍事で中国に対応することを放棄するかのようになったアメリカ。

 

 

外交でも軍事でも中国にやられまくることになるアメリカ。

 

 

 

コリン・パウエルは中国の危険性を認識し対策を講じようとしていたが失敗した。

 

さらにコリン・パウエルは新型コロナウィルス合併症で死ぬ、中国に殺されてしまった。

 

 

日本にとっては強大な中国でもアメリカならなんとかできた時代もあった。

 

しかし手を打たず中国を増長させ、全人類に災厄をもたらすまでにしてしまった。

 

 

移民の子供で貧困、差別を感じながらたぐいまれな努力で出世し実力をつけ、中国の工作と親中派の慢心で中国に甘かったアメリカに警鐘を鳴らしたコリン・パウエル。

 

軍人として軍事を冷静に分析し、軍事科学から国益を考えられる人間だった。

 

軍人としての真面目さはアメリカ政界では仇になったのかもしれない。