日本の国家安全保障90年代 5

1976年 旧・防衛計画の大綱の成立の背景

 

 

 

 1976年(昭和51年)に制定された防衛計画の大綱は

 

「わが国が保有すべき防衛力としては、安定化のための努力が続けられている国際情勢及びわが国周辺の国際政治構造並びに国内諸情勢が、当分の間、大きく変化しないという前提に立てば、防衛上必要な各種の機能を備え、後方支援体制を含めてその組織及び配備において均衡の取れた態勢を保有することを主眼とし、これをもって平時において十分な警戒態勢をとりえるとともに、限定的かつ小規模な侵略までの事態に有効に対処し得るものを目標とすることが最も適当」

 

としている。

 

 

「限定的かつ小規模な侵略まで」に対応する防衛体制を整えることをもとめている。

 

しかし、この「限定的かつ小規模な侵略まで」に対応するというものは、1970年代中盤の東西冷戦デタント傾向期の、東側勢力が軍拡にむかっていないという間違った認識のもとで現状の防衛力を確保するものであった。

 

情勢の変化に対しては言及されておらず、非常に硬直的な政策であった。

 

もっとも、これは基盤的防衛力という最低限必要な防衛力ということであるから、情勢の変化は好転してもこれ以上防衛力を低下させることはできず、情勢が悪化した場合にはそれに相応して防衛力を整備することが必要であるはずであった。

 

しかし現実は、この必要最低限必要な防衛計画の大綱に示された防衛力整備に動くことが難しく、さらに必要最低限の防衛力すら削減する方向で政府部内一致したこともあった。

 

そのうえ、1976年(昭和51年)の三木武夫内閣は防衛予算をGNP(国民総生産)の1%以下にすることを閣議決定した。

 

これは情勢が悪化した場合には対応できないことを決定づけるものであった。

 

この防衛予算をGNPの1%にするという閣議決定は、当時の防衛予算がGNPの1%弱であったことから、ただ単にそれを延長したものであり、情勢の変化や必要最低限の防衛力の整備はまったく考慮されずに決定されたものであった。

 

 

 

 

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