日本の国家安全保障90年代 10

各師団の戦車部隊は61式戦車が主流であったが、1974年度に制式化された74式戦車が第7師団から優先的に配備されていった。

 

1960年代から採用が始まった第2世代戦車の最後発で、最後発の強みを生かし信頼性の確立されたイギリス・ヴィッカーズL7 105mmライフル砲を装備し、40mmAP弾対応の装甲と、レーザー測距儀(距離測定装置)、アクティヴ赤外線暗視装置・赤外線投光器などセンサー類も最新のものを採用する。当時としては最高の性能を誇った。しかし、配備のスピードは遅く、なかなか旧型戦車を置き換えるに至らなかった。

 

1977年のドイツ・レオパルド2戦車を皮切りに、パッシブ赤外線暗視装置、レーザー照準装置、デジタル・コンピューターなどの最新センサーと演算装置、チタニウム合金、セラミック、アラミド繊維などを使用した飛躍的に防御力の向上した複合装甲(運動エネルギー120mmAPFSDS弾、化学エネルギーHEAT弾対応)と、西ドイツのラインメタル製120mm滑腔砲を装備する第3世代戦車が1980年に入って急速に普及した。そのため74式戦車の陳腐化は避けられなかった。

 

しかし、それなりに74式戦車は陸上自衛隊の要として日本の防衛力に貢献した。

 

 

火砲の配備も進んでいった。

 

小松製作所/日本製鋼所75式自走155mm榴弾砲が201輌、

 

ゼネラル・ダイナミクス/三菱重工業M110A2 203mm自走榴弾砲が91輌、

 

国際共同開発(ヴィッカーズ・シップビルディング・アンド・エンジニアリング・リミテッド、OTOメララ、ラインメタル)FH-70 155mm榴弾砲が477門

 

と火力の増強が進んでいった。

 

 

 

各師団飛行隊、各方面隊航空隊の航空機の配備は

 

ベルUH-1B/HイロコイHUEY汎用ヘリコプター、

 

マクドネル・ダグラスOH-6Dカイユース観測ヘリコプター、

 

ボーイング・ヴァートル/川崎重工業KV-107(CH-46 シー・ナイト)中型輸送ヘリコプター

 

に加え、

 

1979年にはベトナム戦争で有効性が確立されたベルAH-1S(AH-1F)ヒューイ・コブラ攻撃ヘリコプターが対戦車ヘリコプターとして導入が決まり、日本の対戦車能力、対地攻撃能力が飛躍的に向上した。

 

 

さらに1984年からはKV-107中型輸送ヘリコプター(定員25人)に代わりボーイングCH-47Jチヌーク輸送ヘリコプター(定員50人)の導入が始まった。これによって、輸送能力は飛躍的に向上し、効率的な運用が進んだ。しかし、他の西側諸国と比較して空中機動能力が未だ低いことは否定できない。

 

 

防空能力としては全般防空に8個高射特科群にMIM-23ホーク地対空ミサイルが配備されていたが、アメリカでのMIN-23インプルーヴド(改良)・ホーク地対空ミサイル配備同様、日本もホーク地対空誘導弾を近代化改良を計画し、三菱電機が改ホークを開発した。

 

 

さらに、東芝81式短距離地対空誘導弾システム(81式短SAM)を導入し、各施設や師団防空能力を強化している。

 

戦術部隊の防空にはL90 35mm機関砲とともに、アメリカからFIM-92スティンガー携帯地対空ミサイルを輸入、配備するなど飛躍的に防空能力が高まった。

 

 

1980年代後半に入ってからは日本も他の西側諸国の陸上戦力に追いつき始めた。

 

威力偵察に使用される小松製作所87式偵察警戒車、

 

連隊防空用に高性能レーダーを搭載し対空用エリコン社製35mm機関砲を装備する三菱重工業87式自走高射機関砲、

 

そしてエリコン35mm機関砲と79式対戦車ミサイルを装備し乗員3名・歩兵7名を収容する日本初の歩兵戦闘車である三菱重工業89式装甲戦闘車を導入、配備した。

 

 

戦車においては、複合装甲とパッシブ赤外線暗視装置、デジタル・コンピューター、赤外線レーザー距離測定装置、西ドイツのラインメタル製120mm滑腔砲を装備する第3世代戦車の三菱重工業90式戦車の配備が始まった。

 

 

砲兵部隊では、面制圧に有効な射程32kmのM26ロケット12発(644個の対人対物子弾/均質圧延防弾鋼板40mm貫通)と、射程160km以上ある弾道ミサイル「ATACMS(陸軍戦術ミサイルシステム)」を装備するLTV/ローラル・ヴォート・システムズM270多連装ロケット発射システム(ATACMSは現在のところ未装備・検討中)が導入され、火力投射の期待を担った。

 

 

 

対戦車、対艦艇、対舟艇にたいしても整備が図られた。

 

1988年には88式地対艦誘導弾システムが配備された。

 

対舟艇・対戦車には有線誘導の79式対戦車誘導弾と、セミ・アクティヴ・レーザー誘導の87式対戦車誘導弾が配備された。

 

 

 

 

空中機動においてはその後、シコルスキーUH-60JAブラック・ホーク汎用ヘリコプター、川崎重工業OH-1観測ヘリコプターなどが開発、配備されていった。しかし、大量生産できない日本の財政制度、諸政策によって値段は高騰し、配備は遅れ、防衛力整備が進まない。

 

 

 

一方で、高機動車がトヨタ自動車によって開発された。これは、アメリカ4軍が使用するジープ、中型トラック双方の後継車両として開発されたAMジェネラルM998ハマー高機動多目的装輪車両(HMMWV)に酷似しており、使用目的も似ている。双方とも民間技術を多用し、大量生産することで価格低減、大量配備を狙ったもので、さらに装甲強化型、救急車、牽引車、地対空ミサイル搭載車、対戦車ミサイル搭載車、無線中継車などにファミリー化し、生産台数を増やし、メンテナンス・コストを低減させることも狙っている。アメリカではそうなったが、陸上自衛隊では結局、小型トラック、中型トラック、軽装甲機動車と別物が開発・生産され続け、コスト削減にはつながらなかった。

 

 

旧・防衛計画の大綱から新・防衛計画の大綱に切り替わった1996年までに進められた陸上自衛隊の防衛力は、旧・防衛計画の大綱開始年次の1976年と比較して、飛躍的に向上した。しかし、大量生産できないことからくる価格の高騰と、それにともなう採用数の低下の悪循環によって、1点豪華主義的な装備となってしまっている。また、ソ連による「限定的かつ小規模な侵略」、着上陸侵攻対処を想定した戦力構成、戦術を採っていたため、市街戦や陽動作戦、ゲリラ・遊撃戦、コマンド対処、テロへの対処のための施策、特殊部隊や市街戦部隊、狙撃部隊などが重要視されていなかった。

 

 

 

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