日本の国家安全保障90年代 18

支援戦闘機部隊は3個飛行隊とされた。

 

 

当初は、F-86Fセイバー戦闘機であったが、

 

 

1977年から三菱重工業F-1支援戦闘機

(初飛行1975年、自重6550kg、推力32,46kN×2)

 

 

に更新されていった。

 

第3飛行隊(青森県・八戸基地)、

 

第6飛行隊(福岡県・築城基地)、

 

第8飛行隊(宮城県・松島基地)に配備され、

 

 

1984年までに77機が生産された。

 

 

 

 

 

 航空偵察部隊は1個飛行隊とされ、

 

RF-4EJ偵察機が13機配備され、

 

後にF-4EJ戦闘機を偵察機改造したうえで、17機が追加されていく。

 

 

 

 航空輸送部隊は3個飛行隊とされ、

 

川崎重工業C-1輸送機が27機(ペイロード8トン)、

 

ロッキードC-130Hハーキュリーズ輸送機(ペイロード18トン)が16機、

 

日本航空機製造YS-11が9機

 

配備されていた。

 

 

 

 

 地対空誘導弾部隊には6個群とされ、

 

北海道・千歳基地、青森県・八戸基地、埼玉県・入間基地、岐阜県・岐阜基地、福岡県・春日基地、沖縄県・那覇基などにに配備されている。

 

 

当初は、

 

MIM-3ナイキ・エイジャックス地対空ミサイル、MIMー14ナイキJ地対空ミサイルであったが、

 

 

1989年からMIM-104 PATRIOT

(Phased Array TRacking to Interceptor Of Target)防空システム

 

に更新されている。

 

 

 

 主要装備は約430機とされ、そのうち戦闘機は350機と定められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第6章 1995年 新・防衛計画の大綱における防衛体制

 

 

 

 

 1995年(平成7年)11月28日に内閣安全保障会議と閣議によって

 

「平成8年度以降に係る防衛計画の大綱について」(新・防衛計画の大綱)

 

が決定した。

 

 

この新・防衛計画の大綱では、

 

 

・東西の圧倒的な対立解消と紛争の多発

 

・大量破壊兵器の存在

 

・ロシア軍の兵力変化と大規模な軍事力の存在、軍事力の拡充、近代化

 

・依然、不透明、不確実で、わが国にも波及する可能性が日米安全保障条約が重要である

 

 

とされた。

 

 

 

そうした情勢の下、わが国が採るべき安全保障と防衛力の役割として、

 

 

・「 日本国憲法の下、外交努力の推進および内政の安定による安全保障基盤の確立を図りつつ、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならないとの基本理念に従い、日米安全保障体制を堅持し、文民統制を確保し、非核三原則を守りつつ、節度ある防衛力」、

 

・「必要最小限の基盤的な防衛力を取り入れる『基盤的防衛力構想』に従い、軍事力の削減や、軍事態勢の変化がみられることや、地域紛争の発生や大量破壊兵器の拡散など安全保障上考慮すべき事態が多様化しており、科学技術の進歩、若年人口の減少、厳しさを増す経済財政事情に配意し、最も効率的で適切なもの。」、

 

・「合理化、効率化、コンパクト化を一層進めるとともに、防衛力の質的向上と多様な事態に有効に対処できるよう弾力性を確保する」、

 

・「 アメリカとの安全保障体制はわが国の安全確保に必要不可欠」、

 

・「 周辺諸国の軍備に配慮しつつ、わが国の地理的特性に応じ防衛力を適切な規模で、日米安全保障体制とあいまって、侵略の未然防止に努める」、

 

・「大規模災害やテロリズムに対応する」

 

・「国際協力を推進する」

 

 

 

とされた。

 

 

 

 

 

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