第7節 日本の危機 台湾 1990年代
国共内戦に破れ、台湾に逃れてきた国民党、蒋介石、蒋経国政権は国内では独裁政治体制を敷き、中華民国の大陸復権を目指していた。
中国(中華人民共和国)は、1954年から金門島、馬祖島への砲撃を始め、台湾侵攻の機会をうかがってきた。
1996年、独裁政治に終わりをつげるべく実行されようとしていた総統の民主選挙に対し、中国は3発のミサイルと、台湾上陸を前提とした大規模な軍事演習を実施、自由と民主主義に対する脅迫・恫喝をおこなった。しかし、台湾は恫喝に屈することなく、総統選挙を実施し、台湾は新たなる一歩を確実に進めることになった。
しかし、中国は台湾の対岸に大量の地対地ミサイルを配備、スホーイSu―27戦闘機、スホーイSu―30MKK戦闘爆撃機、スホーイSu―30MK2戦闘爆撃機を300機以上、ミコヤンMIG-21ベースの旧型戦闘機、旧型攻撃機を3000機近く配備し、人民解放軍海軍艦船とともに台湾封鎖や台湾侵攻を実行する態勢を敷いていた。
台湾は、
ロッキード・マーティンF-16Aブロック20ファイティング・ファルコン戦闘機
150機、
ダッソー ミラージュ2000-5戦闘機
60機、
IDF経国戦闘機
150機、
ノースロップF-5E/Fタイガー戦闘機
215機
と、
レーダー、情報通信網、PATRIOT地対空ミサイル防空システムなどによる高度の防空システムで空からの脅威に対抗し、
オリヴァー・ハザード・ペリー級フリゲート、
フランスのラファイエット級フリゲートの台湾版・成功(チェンクン)級フリゲート
を保有し、
中国による海上封鎖に対抗しているが苦境に立たされている。
第8節 日本の危機 ロシア 1990年代
ソ連時代は極東に多大な戦力を割き、日本侵攻を実現する可能性もあったが、ソ連崩壊後の経済的困窮によってロシアの軍事力は急速に低下した。
艦艇の半数近くが退役し、軍内の士気も低下した。
また、ベトナムのカムラン湾においていた海軍基地からも撤退し、ロシア海軍艦船の日本海縦断、日本接近の回数も減った。
しかしながら
航空機の領空侵犯や、
樺太千島交換条約に記されている「北方領土は北海道の一部である」との文言を無視して、ロシアは北方領土を不法占拠しているのみならず、
択捉島、国後島には冷戦激化の1979年から継続的に旅団(5000人)規模の地上軍部隊、戦闘機部隊を配置していた。
その後のロシアは、
弾道ミサイル搭載原子力潜水艦、地上発射大陸間弾道ミサイルの二本槍による核戦力、
高い機動を誇るスホーイSu―27戦闘、スホーイSu―30戦闘爆撃機、スホーイSu―35戦闘機の配備を進めている。
また、中国にたいし、大量に戦闘機、駆逐艦、潜水艦を輸出するなど中国と軍事的に接近している。
経済は一時の困窮を脱したロシア。70年代後半の軍拡と外交攻勢、拡張主義のときのように石油資源の高騰など状況が整えば再び覇権大国をめざし、軍事力を行使して東アジア、日本を影響下におさめようとする可能性があった。
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