国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代
毎日新聞 1990年代
毎日新聞は毎年、防衛白書や12月の予算策定時にそれを批判する内容の社説を掲載する傾向にある。
防衛白書については、まず前提としている国際情勢の認識に刃が向けられる。
「ソ連の崩壊によって、大規模進行の危機は去った」
との記述であるが、
毎日新聞の場合、ソ連が存在した時代から、緊迫情勢を否定していた。
また、中国、北朝鮮という新たなる危機については触れていない。
そして、新装備についても精査することなく批判している。
防衛費については、毎年増加について、
「危機は遠のいた」
という記述で、
防衛費の増加を批判している。
1999年2月3日の社説「修正点が整理されてきた」
では、
日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連の周辺事態法について取り上げているが、
「周辺」
の定義をはっきりするように記述している。
しかし、周辺の定義をあいまいにすることによって生じる抑止力としての効果も考慮するべきである。
1999年3月12日の社説「国民の『不安』払拭を 問われる国会の判断能力」
では、
集団自衛権の行使や専守防衛に反するという国民の声があるという指摘をしている。
しかし、
「全国の憲法学者が反対している」
という記述は考えるべきことである。
憲法学者の大半は、自衛隊は憲法9条に抵触する違憲状態、憲法9条は死守すべき、という反自衛隊、反軍事の考えを持つ偏った思想のイデオロギー集団、左翼イデオロギー集団であることは広く知られている。
知識人を自らの意見の代理人にし、読者を説き伏せようとしている意図が見える。
1999年3月25日の社説「なぜ政策を変更したのか」は、
北朝鮮の工作船が日本領海を侵犯した事件についての主張である。
そこでは、自衛隊の役割が強化されることに対しての懸念が表明されている。
それを
「国民のあいだになお多くの疑念がある」
としているが、
世論調査などの根拠も提示せず、自らの考えを国民に押し付けるおこがましさがある。
1999年8月19日の毎日新聞「記者の目」において、
「『非核3原則』への疑念」と題し、
増尾辰夫(毎日新聞編集制作総センター)は、
「政府がこれまでのウソを認めたうえで、非核2,5原則を前提に現実の国際情勢に即した論議をすすめるよう」
と、
核の領海通過を認める「非核2,5原則」を主張している。
1999年3月10日の毎日新聞「記者の目」において、
鵜塚健(高知支局)は
「自治体の非核港湾条例」
と題し、
「『核がないことを説明してほしいだけ』という当たり前の主張が、なぜ外交問題となり制約を受けなければならないのか」
と、小学生のような発想を載せている。
1998年12月8日の毎日新聞「記者の目」において、
綿貫洋(長崎支局)は
「国連軍縮会議長崎会議『核廃絶の意思』連携を」
と題し、
「日本は新アジェンダ連合など核保有国と対抗する国々と連携して、全体的な核軍縮、そして核廃絶を模索すべき時期にきているのでは」
と述べている。
国際社会の現実を考えない時期尚早の意見である。
1996年4月11日の毎日新聞「記者の目」において、
下薗和仁記者は、
「『象のオリ』しなやかな沖縄の抵抗」
と題し、
「セコンドの弁護団とリングに上がった知花昌一さんの闘いは、『無抵抗、不服従、非協力主義』のガンジーにも似ている。」
と述べている。
知花氏は数々のテロで100人以上殺害してきた国内左翼テロリズム集団・中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)の活動家で、
弁護団の弁護士も中核派の活動家である。
さらに知花氏は、内ゲバとは無関係な一般大学生が撲殺された琉球大学学生殺人事件において凶器集合準備罪で逮捕され、服役している。
このような人物をガンジーと同列に扱う毎日新聞の調査力の低さは日本国民に重大な影響を与えた。
毎日新聞は、防衛についてそれほど熱心でないらしく、関連した社説は少ない。そして、あったとしても毎年恒例の防衛白書批判、防衛予算批判と、その時々のトピックぐらいである。
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