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公開から45年『八つ墓村』1 岡山で32人殺し大ヒット超大作 落ち武者8人の祟り

昭和52年(1977年)。

 

 

昭和52年(1977年)。

 

 

 

 

JAL日本航空の子会社AGS空港グランドサービス(現JALグランドサービス)の社員で

 

羽田空港で航空機誘導員をやっている寺田辰弥。

 

 

 

新聞の人探し広告で寺田辰弥を探している人がいることを見つけたAGS空港グランドサービスの管理職。

 

 

AGS空港グランドサービスの管理職は寺田辰弥に休暇を与える。

 

 

 

 

 

 

寺田辰弥を探しているのは大阪・北浜に事務所がある諏訪弁護士だった。

 

 

諏訪弁護士は寺田辰弥に井川丑松を紹介する。

 

 

井川丑松は寺田辰弥の母方の祖父だった。

 

 

寺田辰弥を見て号泣する井川丑松。

 

 

しかし井川丑松は嘔吐して死ぬ。

 

 

井川丑松は硝酸ストリキニーネで毒殺された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寺田辰弥は井川丑松の息子・井川勘治、父方の親戚・森美也子とともに岡山県の山間部にある八つ墓村に行く。

 

 

八つ墓村では濃茶の尼と呼ばれる人物が

 

「八つ墓明神がお怒りじゃ。八つ墓明神の祟りじゃ。、お前は帰れ。」

 

と言って、

 

寺田辰弥の八つ墓村入りを反対する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寺田辰弥は寺田辰弥の父方の実家に行く。

 

寺田辰弥は多治見一族の実力者である大伯母と話す。

 

 

 

 

 

 

寺田辰弥の異母兄・多治見久弥は多治見家の資産を寺田辰也に相続させようとしていた。

 

 

 

 

しかし多治見久弥は死ぬ。硝酸ストリキニーネによる毒殺だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

八つ墓村の地名の由来となった出来事が戦国時代に合った。

 

 

尼子一族の尼子義孝が率いる落ち武者が岡山県の山間部にある村に辿り着いた。

 

 

当初は警戒していた村人だったが、落ち武者と融和する。

 

 

しかし尼子義孝を追う毛利家が村人に尼子義孝の殺害を持ちかける。

 

 

村人は尼子義孝ら8人の落ち武者を殺害する。

 

 

尼子義孝は村人を祟ると言って死んだ。

 

 

尼子義孝ら8人の落ち武者殺害の首謀者・多治見庄左衛門は狂い、自らの首を刀で斬り落として死んだ。

 

 

尼子義孝ら8人の落ち武者の祟りを恐れた村人。

 

 

 

村人は放置していた尼子義孝ら8人の落ち武者の遺体を丁重に葬ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

寺田辰弥、多治見久弥の父・多治見要蔵。

 

 

 

 

 

多治見要蔵は妻子がいるにも関わらず、井川鶴子をレイプする。

 

レイプ後、井川鶴子は拉致監禁される。

 

 

座敷牢に監禁され定期的にレイプされる井川鶴子。

 

 

その後、井川鶴子は多治見要蔵の妾になることを承諾させられる。

 

 

井川鶴子は子供を産む。

 

 

しかし井川鶴子は子供を連れ、多治見家から逃げ出し失踪する。

 

 

 

 

 

井川鶴子が失踪し精神が狂う多治見要蔵。

 

 

多治見要蔵は妻を刀で殺害、

 

 

多治見要蔵は刀と猟銃で武装し、村人を次々と殺害する。

 

 

多治見要蔵は32人を殺して行方不明となる。

 

 

 

 

 

 

 

八つ墓村の駐在、岡山県警の新井巡査は

 

「8人の殺害が32人殺しにつながった。4倍の殺しになった。今度は32人の4倍、128人が殺される」

 

と脅える。

 

八つ墓村の人口は128人だった。

 

八つ墓村の村人全員が殺されると脅える新井巡査。

 

 

 

 

諏訪弁護士に事件解決を依頼された金田一耕助。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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