日本の国家安全保障80年代
第1章 79年危機と冷戦激化における日本の安全保障政策 2
中国人民解放軍軍
は
ベトナム
への
「懲罰」
が
終了すると
早期にベトナムから撤退、
中越戦争は終了する。
親中国ポル・ポト派「民主カンプチア」政権
は
国民を200万人
虐殺
していた
ことが判明する。
中国
は
討伐された
親中国「民主カンプチア」政権を率いた
ポル・ポト派
を
支援、
ゲリラ活動を行わせる。
親中国「民主カンプチア」ポル・ポト派
は
これにより
共産主義ソ連とベトナム
に
支援された
ヘン・サムリン政権
と
本格的な戦闘が勃発する。
さらに
ソン・サン派、
シアヌーク派
を交えた内戦となる。
中国
は
1974年1月17日、
ベトナム戦争で苦しむ
南ベトナム
が
実効支配している
西沙諸島
に
中国人民解放軍海軍
を
侵攻させる。
中国人民解放軍海軍
は
南ベトナム海軍の駆逐艦1隻
を
撃沈し、
中国は西沙諸島を占領した。
中国
は
1988年1月、
中国人民解放軍海軍の艦船10隻以上
を
南沙諸島
に
派遣する。
1988年3月、
南沙諸島ジョンソン・サウス礁(赤爪礁)
で
中国人民解放軍海軍
と
ベトナム海軍
が
交戦、
ベトナム海軍のポルノクニイB級揚陸艦1隻
が
中国人民解放軍海軍
の
攻撃を受けて
沈没、
60人以上が死亡する。
圧倒的戦力を誇る
中国
に
ベトナムは降伏、
中国
は
南沙諸島ジョンソン・サウス礁(赤爪礁)
を
占領する。
中国
と
ベトナム
の
一触即発
は
続く。
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