現代日本の安全保障とマス・メディア19

第6章 1995年 新・防衛計画の大綱における防衛体制

第1節 陸上自衛隊1

 

編成定数は16万人とされ、常備自衛官定員は14万5千人、即応予備自衛官は1万5千人とされた。

 

若年人口の減少とたえず90%にとどまる充足率の陸上自衛隊の実状に合わせるとともに、

危機が低下したとの認識のもとに、旧・防衛計画の大綱の編成定員18万から大幅に削減される一方、

即応予備自衛官制度が導入され有事の際に対応しようとするものである。

 

平時地域に配備される部隊は9個師団と6個旅団とされた。

 

強化、近代化の進む中国軍による南西地方の島嶼部占拠や、北朝鮮によるミサイル攻撃、ゲリラ・コマンド対処のため沖縄の第1混成団と四国の第2混成団を旅団化して強化する一方で、ソ連の消滅と極東ロシア軍の弱体化にともなって北海道への着上陸という危機が低下したと考えられる北海道の第5師団と第11師団が旅団化される。

第5師団は第5特科連隊と第5戦車大隊が第5特科隊と第5戦車隊に大幅に縮小されるとした。

 

また、中国地方に配備される第13師団も第46普通科連隊が廃止され、また第13特科連隊が第13特科隊に大幅に縮小、定員7100名の(乙)師団から大幅に縮小・削減された定員4100名の旅団となった。

南関東と静岡・山梨を防衛地域にする第1師団と、近畿地方を防衛地域として配備される第3師団が政経中枢師団として、普通科部隊を中心とした市街戦も重視した地域防衛部隊に改変されるとした。

なお、第3師団は第45普通科連隊(京都府・大久保駐屯地)が廃止され、定員8800人の(甲)師団から、定員7000人の(乙)師団へ降格されることとなった。一方で、中部地方を防衛地域とする第10師団は定員7000人の(乙)師団から、定員8800人の(甲)師団へと昇格した。有事には戦略機動師団として南関東、近畿を中心に各地に展開する。

第49普通科連隊が新設されるが、即応予備自衛官を中心とするコア連隊である。同じく第13旅団も海上自衛隊の呉基地に配備されている輸送艦を利用し、有事の際には揚陸展開される予定であった。

 

北関東と長野・新潟を防衛地域とする第12師団も旅団化される。この地方の特性である山岳地帯において迅速・有効に展開するため空中機動力が強化され、高速機動力、大量輸送力に優れるシコルスキーUH-60JAブラック・ホーク汎用ヘリコプター、ボーイングCH-47JAチヌーク輸送ヘリコプターの配備が優先して進められる予定であった。一方で第12戦車大隊が廃止され、大幅な火力の削減となった。

 

第6師団は第21普通科連隊に代わり第44普通科連隊が編入され、第9師団は第38普通科連隊に代わり第21普通科連隊が編入された。

 

 また、装備も北海道の部隊優先の傾向から地域特性、緊急性のある部隊など、均衡化したものとなっていった。

政経中枢師団の第3師団にはトヨタ自動車・高機動車やトムソン・ブランツL16 81mm迫撃砲、ロイヤル・オーディナンスRT 120mm迫撃砲が優先配備されている一方で、第1師団は120mm重迫撃砲中隊を解隊し、普通科中隊を増加させる予定であった。

ゲリラ・コマンド対処に必要である普通科要員を増加させ、小松製作所の軽装甲機動車も優先して配備される計画であった。

また、従来の機甲化、機械化の推進の傾向から、小銃、機関銃、対戦車ミサイルなど普通科部隊の軽歩兵としての装備の充実が図られる傾向が見られ、ゲリラ・コマンド対処、市街戦対策に力が注がれるようになりつつある。

 

北海道の部隊には、その地形特性を考慮して機械化が以前と同様に優先して進められ、60式装甲車の更新、73式装甲車の後継として、イニシャル・コスト、ランニング・コストに優れる装輪(タイヤ式)の小松製作所96式装輪装甲車が配備されていった。しかしながら、1輌あたり1億円以上と、GMカナダ製造の装輪装甲車LAVシリーズ原型の価格の4倍以上と非常に高く、なかなか配備が進まないのが現状である。また、歩兵戦闘車である三菱重工業89式装甲戦闘車も年産数量程度の生産数にとどまり、価格も高騰し、配備がなかなか進んでいない。

 

しかしながら、1輌あたり10億円近くし、西側欧米諸国の主力戦車よりは割高だった90式戦車は量産が進み徐々に価格が下がり、配備は徐々に進み、旧型の61式戦車を退役に追い込んだ。それにしたがって、全国の部隊に少なくとも第2世代戦車である74式戦車の配備が可能となった。